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三国志・考

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三国志について正史の記述に基づいた事実と私見を綴るシリーズ
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#正史三国志

『正史・三国志』と『三国志演義』

『正史・三国志』と『三国志演義』

 仕事で中国系の人と話す機会があったとき
「なぜ日本人はこんなに三国志に詳しいんだ?」
 と、言われたことがある。

 日本で一般的に知られる三国志は中国がモンゴル帝国に支配された時代である元(1271〜1368年)の末期から漢民族が政権を取り戻して建国した明(1368〜1644年)の初期に民族の誇りを取り戻すために、漢王朝復興を目指した2世紀の群雄を主人公に据えた事実に基づくエンターテイメント作

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【三国志・考】乱世の前兆・黄巾の乱

【三国志・考】乱世の前兆・黄巾の乱

 400年中国を統治した漢王朝だが、長きに亘る政治腐敗はとどまることをしらず二世紀末には官職が売りに出される始末であった。賄賂というレベルでなく密かにではあるがオフィシャルで政治家の地位に値札がつけられていたと正史に記されているのだから始末が悪い。

 そのようにして政治家になった者は「濁流派」と呼ばれるのだが、彼らは官職を得てから、そのために投資(?)した金額を増税によってペイしようとすることも

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【三国志・考】董卓はいかにして朝廷を牛耳ったのか

【三国志・考】董卓はいかにして朝廷を牛耳ったのか

 189年、宦官と亡き霊帝の外戚とその部下たちが乱を起こす中、宦官二人に都・洛陽の郊外へと連れ出された幼い皇帝・劉弁(諡・少帝)と陳留王・劉協(のちの献帝)

 後漢書・献帝紀によれば郊外で宦官らを討ち、二人を保護したのは盧植らが率いる軍だったとされている。なお後漢書の盧植伝に上記についての記述は見られない。正史・董卓伝では盧植の実行したことがそのまま董卓にすり替わっており、どちらが真実かはわから

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