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「泣いたって何ひとつ変わらないよ」

『私、お酒飲めないんです』

店に入るなりいつものように彼女の分を含めてドリンクを注文しようと「生で良い?」と尋ねると彼女はそう答えた。

「…へー。じゃあソフトドリンクだね」

『クリームソーダで』

「キミね。良い年の女が居酒屋に入るなりメロンソーダにアイスクリームを載せた飲み物を頼むなんて不相応だよ。烏龍茶とかにしなよ」

『きかないんですか?なんでお酒を飲めないか』

「体調悪いの?」

『違います』



その理由なんか簡単に分かっていた。

それが分からない程私は世間知らずでも愚か者でもなかった。けれども鈍感を演じなければ、何かが変わってしまうことも簡単に分かっていた。


「まあとりあえず注文しようよ」

『妊娠してます』

「おめでとう」


呆気なく出された解答を意にも介さず、私は続けた。


「キミ、彼氏と別れたんじゃなかったっけ」

『復縁というか、これきっかけで』

「へー」

『彼氏の子です』

「おめでとう」


私はまた下を向き、メニューを意味もなく見渡し、何度もページをめくったり戻したりした。


「お酒ダメなら焼き鳥食べる?たくさん食べなよ」

『ちゃんと聞いてもらっていいですか?』

「何ヶ月?」

『5ヶ月』

「マジ?気付かなかったわ。言ってよ」

『だからいま言います』

「いやいいよ」

『これで松岡さんと会うのは最後です。子供ができたらどうなるのかわからないけど、多分最後。今まで本当にありがとうございました。ずっと楽しかったです』









ベースボールベアとアシッドマンのライブをめちゃくちゃ楽しみにしていたのだが、当日になって中止になってしまった。

どうやら出演者の1人が新型コロナウイルス陽性になってしまったらしい。

直前まで特にリリースはなく、最寄り駅から会場に向かうため電車に乗った際に、そういえばチケットをまだおとしてなかったなと公式ページを観ると、ライブ中止の声明が展開されていた。


あまりにもショックだった。



数年前の夏フェスでアシッドマンを観た。

その時の彼らの持ち時間は1時間ほどであって、すごく楽しだったのでなるべく前列のほうに場所をキープし演奏に耳を傾けていたが、彼らはこれでもかと喋り、30分近くを曲ではなく長い長いトークに費やした。

こいつら明らかに喋るために来たな、と思うほどだった。  


自己責任ではあるが私はそのトークタイムで熱中症気味になってしまい、場を離れざるをえなくなってしまった為、以来アシッドマンを相性の悪いバンドと決めつけている。


その上で今回の直前中止だ。

仕方がないとはいえ相性が悪い。


『どうします今日?』

「もう電車乗っちゃったんだよなあ」

『じゃあ晩御飯一緒に食べましょう。せっかくだから』

「そうだね」


電車の中の私は失意の底だった。

この日の為に今月は仕事を頑張っていたと言ってもいいくらいなので余計に残念だった。


とりあえずは食事で紛らわそう。


お酒でムラムラして理性を失いたくなかったし、彼女とは毎回のことだがsexをしたくなかった。

なので3回もオナニーをしている。


それでも今日、その気にお互いなってしまったらまあその時はその時だ。

そんなことを考えながら彼女の待つ横浜駅へ向かったのだった。




まさかそんな話を聞くことになるとは。









食事を終えると時刻は22時であった。


「身重ってことはもう帰ったほうがいいってこと?」

そう尋ねると彼女は

『せっかくだし終電までカラオケ行きましょうよ』

と私を誘った。



カラオケに入ると私は無言だった。

何を話したり歌ったりすればいいのかわからなかったとも言える。

すると彼女が口を開いた。

『めっちゃ色んな所行きましたよね。主に音楽だけど。かなり長い間一緒に遊んでくれてありがとうございました』

「いやいや。そんな一生の別れみたいな」

『一生の別れかも』

「おめでたいことだから」


良い事なんだよ。これからは家族とお幸せに。

その言葉を放つことが私にはなぜかできなかった。


『怪談バーにもお笑いライブにも行ったし。松岡さんのM1グランプリも応援に行ったしネタの評価もしました』

「そうだよ。今年も出るんだよ。キミじゃなかったら誰が俺のネタを精査してくれるの?」

『誰がやったって同じですよ。松岡さん才能ないから』


そう彼女が言うとまた沈黙が室内を包んだ。


「お酒飲めない人生って楽しいの?」

『そりゃ最悪でしょ。でも一年くらいの我慢だし』

「オッパイあげるならもっとでしょ」

『えー無理ー』


するといきなり、彼女は私に向かいマイクを向けた。


『最後ですから、今まで一緒に観たアーティスト、全部歌いましょうよ!』

「マジ?覚えてないよ。それに時間ないよ」

『終電までです。そこで終わり。だから無駄話無しで一気に行きましょう』


そして彼女はKing GnuのBOYを入れた。

去年の11月の代々木、まるで周りの空気と時間が停まってしまったかのように、私たちはKing Gnuの演奏するBOYに心を奪われた。


【走れ遥か先へ】


そう意味なく2人で口ずさみながら、私達はあの日終電を急ぎ渋谷の闇夜を走り抜けた。



次々と曲がいれられていく。



クリーピーナッツ、のびしろ

会社で歓送迎会の二次会になると必ずこの歌を入れられるんだと言ったら、彼女はラップも恥ずかしいしわりと歌詞も声に出すとめちゃくちゃ恥ずかしいのによく歌えますね。名曲だけどと言っていた。


あいみょん、君はロックなんか聴かない

サビ前で腕を高くあげる仕草がかっこいいんですよねと言いながらマネをする彼女に、腕短くない?と茶々をいれるとうるさいわとすかさず突っ込む。


ゲスの極み乙女、キラーボール

困難な仕事を無茶振りされ、毎晩暗闇でパソコンに向かう彼女を食事に誘うと、悔し涙を流しながら『マジでドン底』と呟いた。川谷絵音が不倫でドン底にいた時期だ。


ヤバイTシャツ屋さん、集まれパーティーピーポー

みんなでカラオケで合唱した次の日、『ヤバTの単独行きたいんですけど、よかったら一緒に行ってくれません?』と彼女は誘ってきた。


アジアンカンフージェネレーション、迷子犬と雨のビート

「俺のアジカンはこの曲なんだよ!やってくれるなんて最高」と興奮していると、いつの間にか手を握りながらリズムにのっていた。


RADWIMPS、君と羊と青

「最高過ぎて今日帰りたくないわ」とつい口走ると、『シャワー浴びたいですね』と彼女は言った。


星野源、BUMP OF CHICKEN、ポルノグラフティ、欅坂46、乃木坂46、エルレガーデン、ストレイテナー、ハイエイタス、モノアイズ、スキマスイッチ、鬼束ちひろ、キックザガンクルー、Dragon Ash、リップスライム、マキシマムザホルモン、B'z、松任谷由実、セカオワ、フォーリミ、Mr.Children…

代々木、さいたま、幕張、九段下、横浜、桜木町、新宿、渋谷、原宿、赤坂、新木場、ひたちなか…


ありとあらゆる思い出が、右耳から脳へ伝わり、心を通って左耳に抜けていく。


私は半分泣いていた。寂しかった。


「ごめん。結構泣けるわ」

そう言うと彼女は

『もうちょっとでこの歌終わるんですから我慢してください』と涙を流していた。


その瞬間感情が溢れ、私達はマイクを使わず、まるで叫ぶように共に歌った。



goes on!!

goes on!!

goes on!!


忘れていたが、初めて2人で観たのは、10FEETのgoes onだった。









「ご祝儀をあげるよ。今日急に言われて用意してないから。また今度、ご祝儀?お祝い金なのかな?わからんけどあげるから。3万でも5万でも」

『そんなにくれるんですか?』

「もちろん。それくらいしないと」

『お返しとか面倒なんだよなー』

「いらないよ。俺が祝いたいだけなんだ。お返しはいらない」


『でも、やめときます』


そう言って彼女は少し微笑み、手を振りながら改札の向こうへ消えた。


「彼氏によろしく…」


届かないとわかる消え入りそうな声を、私は彼女の背に掛けた。



私の中でひとつの時代が、物語が終わったのは明白であり、その実感が五体を包む。



終電に揺られながら私は深い失意の底にいた。

大切な、大切な友達を失ってしまった。


『連絡も、もう多分しないと思います』


彼女はそう言っていた。


別にそこまでしなくてもとも思うが、これがもしも彼女の中の物語の私の章であるならば、それが栞を抜く、ということなのだろう。


まあ俺ごときが章を担うなんてそんなわけないか。

酔っちゃったなあ。酒にではなくその関係性に。

自嘲気味に私は苦笑し、iPodから流れる音楽に身を任せた。


明日から誰と遊べばいいんだろう。

また同じような関係を他人とつくるのにどれほどの時間や年月を要するんだろう。

となるともう無理だな。孤独だ。


Rocked by the moving train, to my face in the glass 
"Crying's not gonna change a thing" I say.


かけがえなかったなー。
言い表しようのない悲しみを、心地よい睡魔が包み込んだのだった。

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夏の思い出

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