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JW190 大后、逝く

【孝霊天皇編】エピソード45 大后、逝く


第七代天皇、孝霊天皇(こうれいてんのう)の御世。

すなわち、紀元前220年、皇紀441年(孝霊天皇71)夏。

鬼林山(きりんざん)を拠点とする、青鬼(あおおに)と赤鬼(あかおに)との戦いは、まだ続いていた。

地図(鬼林山)

そんな中、大后(おおきさき)の細媛(くわしひめ)(以下、細(ほそ))が病(やまい)に倒れる。

孝霊天皇こと、大日本根子彦太瓊尊(おおやまとねこひこふとに・のみこと)(以下、笹福(ささふく))は、戦場から離れ、大后の元に向かったのであった。

笹福「細(ほそ)! 体の具合は、どうじゃ!?」

細「お・・・大王(おおきみ)。も・・・申し訳ございません。」

笹福「謝らずとも良い。ちと、疲れが出たのであろう・・・。」

細「いえ、もう長くはないとのこと・・・。」

笹福「戯(たわ)けたことを申すでない! そのようなこと、有るはずが無かろう。」

そのとき、傍(かたわ)らで看病をしていた、百田弓矢姫(ももたのゆみやひめ)(以下、ユミ)が口を挟んだ。

ユミ「大王・・・。大変、申し上げにくいことなんだけど・・・。巫女(みこ)の占いによると、今月いっぱいで・・・。」

笹福「伝承に無いことを申すでない! これは、作者の陰謀ぞ!」

細「いいえ。さ・・・定めにございます。天罰(てんばつ)にございます。」

笹福「何を愚かな・・・。」

細「わらわは、大王を慕い、この地に参りました。」

笹福「存じておる。伝承にも、そう書かれておるではないか!」

細「されど、まことは、朝妻(あさづま)殿に、やきもちを焼いていたのかも・・・。浅ましいオミナ(女)にございましょう?」

笹福「何を言うておるのじゃ! 伝承に無いことを申すなと言うたであろう?!」

細「言わせてください・・・。わらわの浅ましき所業(しょぎょう)が『ふぅちゃん(福姫)』を、あのような・・・あのような目に・・・。そして、二度と『ニクル(日嗣皇子)』に会えぬまま・・・。」

笹福「気をしっかり致せっ! まだ、常世(とこよ:あの世のこと)に行くと決まったわけではないぞ!」

細「大王・・・。ほら、そこに・・・。『ふぅ』が迎えに来ておりますよ。『ふぅ』・・・。寂しい想いをさせてしまいましたねぇ。すぐ、そちらに参りますよ・・・。」

笹福「細! 細! (´;ω;`)ウッ…。」

ユミ「大后・・・(´;ω;`)ウッ…。」

細「嗚呼・・・。もう一度だけ・・・。もう一度だけ、ニクルに・・・ガクッ。」

笹福「細! 細!」

紀元前220年、皇紀441年(孝霊天皇71)4月21日、大后の細媛が薨去(こうきょ)した。

笹福は、行宮(あんぐう:仮の御所)の裏山に細媛を葬ったのであった。

ここで、皇子(みこ)の鶯王(うぐいすおう)と、細媛の父で、大臣(おおおみ)でもある、磯城大目(しき・の・おおめ)が解説を始めた。

鶯王「あまり乗り気にはなれぬが、なんとか、解説致そうぞ。では、大目よ。行宮について頼む。」

大目「行宮とは、二千年後の西樂樂福神社(にしささふくじんじゃ)のことじゃほい。」

鶯王「そうか・・・。そこが、母上様の終焉(しゅうえん)の地になるのじゃな・・・。」

大目「鳥取県日南町宮内(にちなんちょう・みやうち)に鎮座してるんじゃほい。」

地図(日南町宮内)
地図(西樂樂福神社)

鶯王「して、そこの裏山に葬られたということか・・・。」

大目「神社から東北に位置する、崩御山(ほうぎょやま)に葬られたんじゃほい。」

地図(崩御山)

鶯王「鬼林山の鬼と戦っている時に、このようなことになるとは・・・(´;ω;`)ウッ…。」

大目「孫につづいて、娘まで・・・。悲しいんじゃほい・・・(´;ω;`)ウッ…。」

鶯王「福姫(ふくひめ)こと『ふぅちゃん』は、大目の孫でもあったな・・・。」

大目「もう、こんなことは嫌なんじゃほい・・・(´;ω;`)。」

鶯王「ところで、西樂樂福神社が有るということは、東も有るのか?」

大目「その通りなんじゃほい。日野川(ひのがわ)を隔てて、東樂樂福神社(ひがしささふくじんじゃ)が鎮座しているんじゃほい・・・。」

地図(東樂樂福神社)
東樂樂福神社(鳥居)
東樂樂福神社(拝殿)

鶯王「なにゆえ、西と東が有るのじゃ?」

大目「細が亡くなってから、東に移動したんじゃないかと、作者は考えているみたいじゃほい。」

地図(東へ移動)

鶯王「新たに行宮を設(もう)けたということか?」

大目「その通りなんじゃほい。」

鶯王「では、二千年後の宮内地区には、二つの神社が有るということか?」

大目「当初は、そうだったみたいなんじゃほい・・・。」

鶯王「当初?」

大目「東の宮と西の宮が、二社一対で祭祀(さいし)をおこなっていたんじゃが、西暦2004年、皇紀2664年(平成16)11月3日に、東の宮に合祀(ごうし)され一社となったんじゃほい。」

地図(西樂樂福神社・跡地)
西樂樂福神社(跡地)

鶯王「なんと! そのような・・・。」

大目「ちなみに、東の宮と西の宮で、祀(まつ)られている人が少し違うんじゃほい。」

鶯王「どのような?」

大目「では、まず西の宮から・・・。大王(孝霊天皇)。細媛。彦狭島(ひこさしま)こと歯黒(はぐろ)。歯黒の母、絙某弟(はえいろど)こと『ハエ』。彦五十狭芹彦(ひこいさせりひこ)こと芹彦。そして、大山祇神(おおやまづみのかみ)じゃほい。」

系図(西の宮)

鶯王「なるほど。東の宮は、少し違うようじゃな。大王。母上様。ふぅちゃん。歯黒。稚武彦(わかたけひこ)こと『タケ』となっておる。」

系図(東の宮)

大目「それだけじゃないんじゃほい。東の宮の摂社(せっしゃ)、若宮神社(わかみやじんじゃ)には、わしこと、磯城大目(しき・の・おおめ)。大水口宿禰(おおみなくち・のすくね)こと『みなお』。大矢口宿禰(おおやぐち・のすくね)こと『ぐっさん』。そして『ぐっさん』の息子、鬱色雄(うつしこお)こと『コー』が祀られてるんじゃほい。」

祭神一覧

鶯王「左様か・・・。ちなみに、母上様は、安産の神様として祀られているようじゃな。平安時代まで、臍(へそ)のことを『ほそ』と呼んでいたことから、安産と結びついたらしい。」

大目「きっと、娘も喜んでいると思うんじゃほい・・・(´;ω;`)ウッ…。」

こうして、戦いの最中、大后の細媛は、帰らぬ人となったのであった。 

つづく

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