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JW225 翌月に就任

【開化天皇編】エピソード10 翌月に就任


第九代天皇、開化天皇(かいかてんのう)の御世。

衝撃の立后(りっこう)から、二年の歳月が流れた。

紀元前150年、皇紀511年(開化天皇8)1月。

開化天皇こと、稚日本根子彦大日日尊(わかやまとねこひこおおひひ・のみこと)(以下、ピッピ)の元に、大臣(おおおみ)がやって来た。

すなわち、物部鬱色雄(もののべ・の・うつしこお)(以下、コー)である。

系図(物部氏・コー)

コー「大王(おおきみ)! ついに、この日が来てしまいましたがな。」

ピッピ「この日? 一体、何を言っておるのじゃ?」

コー「クランクアップするんですわ!」

ピッピ「なに!? 引退すると申すかっ!?」

コー「そうですぅ。せやから、次の大臣について、決めんとあかんのですわ。」

ピッピ「し・・・して、次の大臣は?」

コー「わしの弟、大綜杵(おおへそき)こと『ヘソ』やで!」

系図(ヘソ)

そこに、当該の人物がやって来た。

ヘソ「わてが、新しい大臣やで! よろしく頼むで、しかし!」

ピッピ「う・・・うむ。よろしく頼むぞ。」

コー「ほな、わしは、これにて・・・。」

ピッピ「待て! ヘソが大臣になるということは、大禰(おおね)は如何(いかが)致すのじゃ?」

ヘソ「ホンマやで! 昼間の警護を司(つかさど)る、大禰を誰にするか、決めんとあきまへんで! 頼むで、しかし!」

コー「それは、汝(なれ)が大臣になったんやさかい、汝が決めたら、ええやないけぇ。」

ヘソ「おっ! そう言われたら、そうやなぁ。ほな、わての偏見と独断で、決めさせてもらうで!」

ピッピ「うむ。良きに計(はか)らえ・・・。」

ヘソ「ほな、大禰は、わての弟、大峯(おおみね)にしよかっ!」

系図(大峯)

ヘソの叫び声にも似た、台詞を受け、当該の人物がやって来た。

大峯「はい。わてが大峯ですぅ。よろしゅう頼んますぅ。」

ヘソ「以上やがな。」

コー「待て、待て! わしの息子は、どうなってんねん!?」

ピッピ「ん? コーの息子?」

コー「そうですぅ。わしの息子も大禰になったと『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』に書かれてますのんや。」

ヘソ「固い事、言うなて! 大禰は一人で、充分やろ?」

コー「何を言うてんねん! ちゃんと書かれた通りにせんと、あかんやろっ!」

ヘソ「しゃあないなぁ。ほな、今回だけ特別やで! では、紹介しますぅ。兄貴の息子、そして、わての甥っ子! 武建(たけたつ)でんがな!」

系図(武建)

大げさな素振りのヘソに合わせるかのように、当該の人物は躍り出てきた。

武建「どうもぉ! わしが、武建やで。よろしゅう頼んまっせ!」

コー「なんか心配やなぁ。」

武建「なんで、そないなこと言うねん、おとん! 懸命に務めて参りますよって、安心しておくんなはれ!」

コー「ほうかぁ。頼むでぇ。」

こうして、物部氏(もののべ・し)の世代交代がおこなわれたのであったが・・・。

同年2月、衝撃の事件が起こった。

ピッピ「な・・・何が有ったのじゃ?」

ヘソ「すんまへん。何が有ったのか、さっぱり分からへんのやけど、なんでか、大臣が、もう一人、増えよりましてなぁ。」

ピッピ「ふ・・・増えたじゃと!?」

驚くピッピの面前に現れたのは、ヘソの息子、伊香色雄(いかがしこお)(以下、ガーシー)であった。

系図(ガーシー)

ガーシー「まいど! わても大臣になったで!」

ピッピ「親子で大臣になったのか?」

ガーシー「そうなんですわ。おとんが、しっかりしてへんかったんで、わても大臣になったんとちゃうんかなぁぁって・・・。」

ヘソ「なんでや! わてが、しっかりしてへんって、どこに書いてんねん! 怒るで、しかし!」

ガーシー「まあ、作者の考えなんですけどねぇ。ちょっと考えたら、おかしいでしょ? 一緒に大臣になれば、ええのに、翌月になってるっちゅうのは、なんか有ったんとちゃうかって・・・。」

ピッピ「たしかに・・・言われてみると、不自然な気もするのう。」

ヘソ「なっ! 大王まで、そないなこと言うんかいなっ!」

ピッピ「されど、おかしいではないか!?」

ヘソ「いや、元々、物部と磯城(しき)の二人体制やったんで、元の鞘(さや)に収めましょか・・・みたいなことかもしれへんし、他の豪族に納得してもらうために、ちょっと期間を開けたとか、いろいろ、考えられるやんけぇ!」

ピッピ「そう言われると、そのようなことも有り得るとは思うが・・・。」

ヘソ「思うけど・・・なんですの?」

ピッピ「汝(いまし)の適当な性格が、周りから、信頼されなかったような気もするのじゃ。」

ヘソ「ちょっと待ちなさい! それ、完全に冤罪(えんざい)やがな! この性格は、物語のオリジナル設定やで! ホンマにされたら、敵(かな)わんで、しかし!」

こうして、なにはともあれ、大臣が二人体制に戻ったのであった。

そして更に、二年の歳月が流れた。

紀元前148年、皇紀513年(開化天皇10)。

ピッピの大后(おおきさき)、伊香色謎(いかがしこめ)(以下、イカメ)が、皇子(みこ)を出産したのである。

ピッピ「その通りじゃ。では、披露(ひろう)致そうぞ。」

イカメ「では、紹介しますぅ。御間城入彦五十瓊殖尊(みまきいりひこいにえ・のみこと)どすえ。『ミマキ』と呼んでおくれやす。」

皇室系図(ミマキ)

ピッピ「うむ。我(われ)の二番目の息子にして、日嗣皇子(ひつぎのみこ)となるべき皇子じゃ!」

こうして、次代の大王が誕生した。

次回、ピッピの子供たちについて語られる。 

つづく

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