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新学習指導要領が学校に変化を起こす3つの理由。

2021年4月から新学習指導要領がいよいよ全面実施となる。
それに合わせて、職場も少しざわついてきた。

新学習指導要領の最大のポイントは、評価が変わることである。
例えば国語科で言うと、5つもあった評価の観点が3つにまで絞られる。

旧指導要領における評価の観点
「書くこと」「読むこと」「話すこと」「聞くこと」「伝統的な言語文化に関する知識」の5つ

旧指導要領下では、作文「書くこと」の分野で評価、ディベート「話すこと」の分野で評価……など、ある程度の棲み分けがなされていたため、分かりやすく評価することができた。

しかし、今回の改訂によって、評価の観点はこのように変わる。

新指導要領における評価の観点
「知識・技能」「思考・判断・表現」「主体的に学習に取り組む態度」の3つ

この、「主体的に学習に取り組む態度」という言葉に私は注目した。

これからはスキルだけでなく、マインド在り方の変化を評価するということである。

心 風船 空 ハート

これをどう見取るのか。何をもって身についたとするのか。
そもそも目に見えないものを、どうやって評価するのか。

この点が、新指導要領下で評価を行う上での大きなテーマになると思う。

しかし、この「態度」という言葉の曖昧さが、学校に変革を起こすための追い風になると個人的に思っている。

その理由を以下に示したいと思う。


アリバイ探しにさよなら

自学ノートの提出義務がある学校は多い。
このシステムにはデメリットも多いと感じる。

「あなたは義務づけないと勉強しない」という、生徒に対する不信感をヒドゥン・カリキュラムとして刷り込み続ける。
・勉強したことの結果のみに注目し、「どのように学んでいるか」「何に関心があるか」という過程から目を逸らさせる。
・自学ノートが提出できず、テストで得点できない生徒に対して、教師は「我々は勉強しろと言ったのに」と言い訳できる。生徒に対する学びの責任を放棄している。
自学ノートの提出率は、成績の良し悪しに比例しない。

この自学ノート提出システムと対極にあるのが、この記事にある梅田君の自学ノートである。

私がこの記事を読んで、自学ノートの意味を再考して感じたことは以下の通り。

・提出の義務はない。本当に勉強したいことは言われなくても学ぶ。
・学びの過程が分かる。生徒の興味・関心から出発している。当校の自学ノートは、日によって学んだ内容が異なる。国語、数学、理科……ただのドリルをやった記録。連なっていない。

そもそも「自主学習ノートの点検」という仕事は、ただの作業になっている。

正直、多忙化の原因だと思う。

中教審の「教育課程企画特別部会 論点整理」の資料と、それらの議論を受けて改訂された新学習指導要領には、このような文章がある。

現在の「関心・意欲・態度」の評価に関しては、例えば、正しいノートの取り方挙手の回数をもって評価するなど、本来の趣旨とは異なる表面的な評価が行われているとの指摘もある。「主体的に学習に取り組む態度」については、このような表面的な形式を評価するのではなく、2.(3)2.3)に示した「主体的な学び」の意義も踏まえつつ、子供たちが学びの見通しを持って、粘り強く取り組み、自らの学習活動を振り返って次につなげるという、主体的な学びの過程の実現に向かっているかどうかという観点から、学習内容に対する子供たちの関心・意欲・態度等を見取り、評価していくことが必要である。(教育課程企画特別部会 論点整理)

評価に当たっては、生徒の実態に応じた多様な学習を促すことを通して、主体的な学習の仕方が身に付くように配慮するとともに、生徒の学習意欲を喚起するようにすることが大切である。その際には、学習の成果だけでなく、学習の過程一層重視する必要がある。(中学校学習指導要領総則解説編、P84)

ここからも分かるように、新学習指導要領が評価において重要視しているのは、学びのプロセスである。

つまり、授業ノート・自主学習ノートの点検、テスト前のワーク・プリント提出など、「きちんと勉強したよね?」という確認作業はすべて不要となる。

「正しいノートの取り方挙手の回数」という評価材料を挙げ、それらがもはや材料として機能しないことは明らかである。
昨年の職員研修でも、講師の指導主事からそのような話があった。

学校 教師 生徒 黒板

答えを丸写ししたワークを見て、「あなたはちゃんと勉強したんですね」と生徒に言い、要らぬアリバイについてやり取りをする茶番に、漸く別れを告げられる。

「やらされ感」を拭えない限り、学習意欲とは呼べないだろう。

教科・学年横断的にならざるを得ない

社会に出てから、国語科で学んだ知識だけを100%使った仕事というものはまずない。

大体の仕事においては、文章能力や計算能力をはじめ、様々な能力を複合的に組み合わせて活用する場面が殆どではないだろうか。

仕事 デスク ワーク 計算

教科ごとに授業が蛸壺化している現状を受け、教科・学年横断的なカリキュラム設計はこれまでにも繰り返し叫ばれてきたが、現状はなかなか変化してこなかった。

しかし、それも指導要領改訂によって変化が起きそうである。

総括的な評価のみならず、一人一人の学びの多様性に応じて、学習の過程における形成的な評価を行い、子供たちの資質・能力がどのように伸びているかを、例えば、日々の記録ポートフォリオなどを通じて、子供たち自身が把握できるようにしていくことも考えられる。(教育課程企画特別部会 論点整理)

他者との比較ではなく生徒一人一人の持つよい点や可能性などの多様な側面、進歩の様子などを把握し、学年や学期にわたって生徒がどれだけ成長したかという視点を大切にすることが重要である。また、生徒が自らの学習過程を振り返り、新たな自分の目標や課題をもって学習を進めていけるような評価を行うことが大切である。(中学校学習指導要領総則解説編、P84)

ここから分かるように、ポートフォリオが重要な役割を担うことになる。

虫眼鏡 点検 チェック 書類

マインド面の成長を見取るために、授業・単元・学期・学年ごとに、生徒が学びの振り返りを記述する(蓄積していく)必要があることは自明である。

当然、教師も今まで以上に細やかなフィードバックカンファランス、何より見取りを求められる。

Aさんは、5月の時点で取り組んでいた成果物に納得できないまま、諦めてしまった。しかし、9月の単元でのプレゼンテーションでは前向きに取り組み、「自分でも納得のいくパフォーマンスができた」と話していた。

例えば、国語の授業での生徒の変容に関して、このような記述があるとする。

この記述だけを読んだ場合、生徒の意志的・内面的な成長を認めることができるだろう。

しかし、ここで気をつけなければならないことは、この見取りは国語科のみの話であって、「Aさんが前向きになった要因は他にも考えられる」ということだ。

例えば、理科で成果物の作成がうまくいき、ストレッチゾーンで戦い抜く力が身についたのかもしれない。
夏休みに、マイプロなど学校外での経験を通して、プレゼンテーションに自信をつけたのかもしれない。

Aさんに限らず、人間は多面的な生き物であるし、そもそも教育はインテグラル(相互依存的)な構造をもっている。

「主体的に学習に取り組む態度」を見取る場合、その要因を自分の専門領域だけでなく、学年・学級での様子、各教科での様子など、広く外に求める必要性が出てくる。

そうすると、今まで以上に広く、詳しく生徒の情報共有が行われる必要がある。

話し合い 打ち合わせ 同僚

それによって、生徒の学習態度に変容が見られた場合、その根拠を求めることが(完璧ではないにしろ)明らかにできる。

1人1端末が実現されているからこそ、デジタルポートフォリオの活用が今後ますます重要視されていくと思う。

「自己調整能力」は勝手に身につかない、では?

生涯にわたる学習の基礎を培うため、基礎的・基本的な知識・技能の確実な定着とともに、それらを活用して課題を解決するための思考力・判断力・表現力等の育成を重視した教育を行うことが必要であり、生徒がこれらを支える知的好奇心探究心をもって主体的に学習に取り組む態度を養うことは極めて重要である。(中学校学習指導要領総則解説編、P64,65)

さらに、『学習評価の在り方ハンドブック』には、「主体的に学習に取り組む態度」を評価することについて、このような記述がある。

知識及び技能を獲得したり、思考力、判断力、表現力等を身に付けたりするために、自らの学習状況を把握し、学習の進め方について試行錯誤するなど自らの学習を調整しながら、学ぼうとしているかどうかという意思的な側面を評価します。(学習評価の在り方ハンドブック、P4)

ここで述べられている「自らの学習を調整」する力、すなわち自己調整能力は、学習において最も必要な力ではないだろうか。

ネガティブな出来事に引っ張られて、学びから遠ざかってしまった経験。
自分の思い通りにいかず、努力することが無駄に思えて、やる気を失ってしまった経験。
そんなことは、誰にでもあるはずだ。

しかし、そこで周りに助けを求めたり、音楽を聴いてリフレッシュしたり、リスケジューリングをして気持ちを切り替えたり、ネガティブな状態を脱するために行動することが、生きる上では重要になってくる。

学習意欲を自分で持続可能なものにしていく能力が、自己調整能力だと私は思っている。

ただ、自己調整能力とは生得的なものではないはずだ。

嫌な気分、失敗、もう諦めたい……。
ネガティブな感情に引っ張られたときに、ニュートラルな位置に素早く戻れるか。レジリエンスを発揮できるか。
これは、全員が全員、自然に身につける力ではない。

では、どこで自己調整能力を育めばよいのか?
それが探究学習に求められるのだと思う。

探究といえば、話題のこちら。
紹介されているHTHの実践は示唆に富んでいる。

プロジェクト型の学びは、目的は決まっていても成果物やゴールが決まらないままスタートすることが多い。

多くの困難がある中で、理想と現実の狭間で妥協点を見出し、折れず腐らず強かにプロジェクトをやりきる能力は、自己調整能力と呼べないわけがない。

この力を育むことが、公教育の使命であると思う。

探究・GIGA・新指導要領。すべてはつながる

GIGAによって教科の学び方を変え、教師は生徒を細やかに見取る。

ポートフォリオやパフォーマンス、成果物を教員間で共有し、評価を行う(もちろん生徒の自己評価も!)。

そして、「主体的に学習に取り組む態度」を下支えする自己調整能力を、探究学習で育んでいく。

新学習指導要領の本格実施を前に、パズルのピースが次々とはまっていくように、昨今のキーワードどうしが繋がった感覚がある。

パズル ピース 組み合わせ

新学習指導要領と、教育界にじわじわと変化を起こしつつある探究学習GIGAスクール構想は、少し考えればそのすべてがつながることを理解できる。

しかし、教師として探究すべき事柄はまだ多い。

何をもって主体的とするのか?
自己調整とは何か?
生徒一人一人のパフォーマンスを、効率的かつ丁寧に見取るには?

授業中に綺麗なノートをとり、期日までにワークを提出して、テストの点数をしっかり取る。
そんな生徒が「よい」とされてきた。

そんな見取りは、言ってしまえばである。
過程を無視してよいのだから。
これからは学びのに注目して、生徒を見取っていく必要がある。

しかし、やっと、これから必ず教育が変わっていく。
新学習指導要領を読んで、そんな気がした。

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