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NZ life|蜘蛛の巣と綿あめの魔法

ニュージーランド生活32日目。
天気、晴れ。気温16度。日向は暖かいけれど、日陰は冬のよう。

いつもと同じ朝が来る。ごはんを済ませ、鶏のお世話に掃き掃除、それから畑仕事をして午前中が終わる、といういつもの朝。

今朝はひどく冷え込んでいて、カーテンを開けると窓が結露していた。夏の朝ってこんなんだったっけ、と思いながら、もこもこのダウンを着込んで、台所に向かう。


今滞在させてもらっているお家は、移住してきた日本人ファミリーなので、毎日の朝ごはんはお味噌汁と雑穀ご飯をいただける。和食暮らしが縁遠くなるニュージーランドで、本当にありがたい。

冷え切った身体にお味噌汁を流し込むと、胃の底から温まるのを感じる。リビングでは、クリスマスの曲を集めたピアノのプレイリストが流れている。信じられないけれどここはニュージーランドで、しかも夏なのだ。


午前中の仕事は黙々と進んだ。いつも作業しながらポッドキャストを聴くようにしているけれど、ふとした瞬間、次にやりたいことが頭の中に浮かぶことが多い。ニュートラルな状態で頭と手を動かしていると、思いがけない素敵なアイデアに出会えるのかもしれない。

最後にホウキを持って、蜘蛛の巣を取り除いていく。壁の上側や窓枠のところに繊細な糸を張り巡らせた蜘蛛の巣を、サッと掃いて取り除く。細く、美しい糸に引っかかってしまった朝露が、太陽の光を浴びてきらりと光る。


ホウキを片手にくるくると蜘蛛の巣を巻き付けていると、夏祭りの屋台に並ぶ綿あめのことを思い出していた。


砂糖を入れた機械の周りを、割り箸でぐるぐると円を描く。最初は細い、蜘蛛の巣のような糸がうっすらと張り付く。目が回りそうなほど、機械の中で割り箸を持った手を動かし続けると、あっという間に綿あめはふんわりと膨み、入道雲のような形になる。


小さい頃、綿あめは魔法の食べ物だと思っていた。

何もないところに割り箸を入れて手を動かすと、こんなにもむくむくの物体が生まれてしまう。

生まれたばかりの赤ちゃんみたいな神秘さと、触れたら消えてしまいそうな儚さを抱えている綿あめ。壊してしまわないよう、そっと指でつまむ。

ふっと軽い音で裂け、ゆらりと漂う。口の中に運ぶと、脳天にまで届くほどの暴力的な甘さに襲われ、あっ、と思った瞬間にはもう溶けて、消えている。

夢みたい、と思ってまたつまむ。暴力、溶けて、消える。夢みたい、つまむ。暴力、溶けて、消える。

食べても食べてもなくならないのに、ふと気がつくと割り箸だけになっている。さっきまで食べていたはずなのに、何を食べていたかさえも思い出せない。指先はべっとりとしていて、甘い匂いが染み付いている。寂しいような、うれしいような気持ちだけが残っている。

これが魔法の食べ物じゃないなら、他に何と呼べばいいのだろう。

綿あめを食べている間の私は、空も飛べなければ、魔法も使えないけれど、確かに立派な魔法使いだった。




蜘蛛の巣をそっと壊していく。未完成の芸術品をこっそり盗んでいるようで、申し訳ない気持ちになる。

けれど同時に、この作品は獲物が捕えられて初めて完成されることを思うと、救ってしまったかもしれない小さな命を思い浮かべては、うれしい気持ちにもなる。


ホウキには、どんどん蜘蛛の巣が巻き付いていく。最初は頼りなかった細い糸が、いつしか立派な糸になっていく。

知らない者同士の糸、間向かいの敵の糸、お隣さんの糸、ひょっとすると恋人同士の糸。たくさんの蜘蛛たちの糸が撚り合わさっていく。


家の周りを一周すると、すっかり壁はきれいになった。蜘蛛たちの生活に踏み込んでしまったがゆえの罪悪感を多少は抱きつつも、身の回りがきれいになるのは、やっぱりどうしたって気持ちがいい。

手にしたホウキに目を向けると、さっきまでの糸がどこにもない。あれだけあったたくさんの蜘蛛の巣が、一瞬でどこかへと消えて行ってしまった。

私は本当に、魔法使いになったのかもしれない。

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