ある朝起きると、妻の寝グセがすごかった。
おはようついでに、私は言った。
「頭、スネ夫みたいになってるよ」
そう言うと、妻は笑いながら言う。
「キテレツならトンガリね」
だから言う。
「なら俺はブタゴリラだ」
アハハハハハハ。
今日も平和である。
トンガリもブタゴリラも、アニメ『キテレツ大百科』に登場する。藤子・F・不二雄の、あの、である。
「ブタゴリラ」ってすごいあだ名だなぁ。
ガキ大将にブタゴリラって名付けるか?
いやつけないよ。
ここで『キテレツ大百科』とはなんなのか、について解説することは、この記事の目的ではない。そんなのは調べれば分かること。
noteなどの情報発信において重要なのは、書き手独自の視点であるように思う。だから今日は、キテレツ大百科に対する私のイメージを書くことで、読者さんに「分かるわぁ」と思っていただきたい。
えーい! 分かる人にだけ届け!
▶︎キテレツ大百科がよく分からない
[1]コロ助の立ち位置が分からない
[2]勉三さんの立ち位置もよく分からない
[3]曲が切ない
[4]いつ見ていたのか思い出せない
で、私は思う。
『キテレツ大百科』は、創作のある種の
到達点ではないか?
この作品は、詳細を覚えていなくたって、なんか記憶に残っているのだ。不思議な魅力がこの作品にはある。
記事を書いている私たちは、どなたかになんらかの気づきを与えたい、と思ってしまう。役に立つこと、タメになることを発信して、影響力を持ちたいと誰もが願っている。もれなく私もそうだ。
が、キテレツ大百科は、正直、毒にも薬にもならない。ならないのになぜだか記憶には残っている。キャラクターの名前もこうして出てくる。
文章を書くということにおいて、頭を抱えて悩む方はそれほど多くはないと思う。が、もし今、そういった創作の壁みたいなものにぶち当たっている方がいたとしたら。
ぜひ、キテレツ大百科を思い出してほしい。
隣にコロ助がいたとしたら、
こう言ってくれそうだ。
「そんな難しいことは考える必要ないナリよ〜」
いつも心にコロ助だ。
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