木鳥 建欠 (キドリ タテカツ)

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木鳥 建欠 (キドリ タテカツ)

イギリス在住 小説・エッセイ・書評 ホームページ「両端」:https://ryouhashi.weebly.com/index.html

マガジン

  • 回想

    長編小説。悲喜劇。1章から5章。 あらすじ:ある介護施設の一室で、駅長が縊死しようとすると、闇の中から現れた「影」に、残り数日しかない寿命をまっとうするよう説得される。そして翌日、施設に連れてこられたうそつきと出会う。うそつきは、神と会ったことがあると告白する。

最近の記事

「欧州御巡業随行記」

「欧州御巡業随行記」 「欧州御巡業随行記」は李王のヨーロッパ外遊に随行した篠田博士により、1928年刊行されました。 李王含める外遊団は、1927年(昭和二年)、横浜より1万トンの旅客蒸気船(箱根丸)に乗って出発し、マラッカ海峡、インド洋、スエズ運河を通り、いくつかの港に寄港しながら、目的地であるフランスのマルセーユには、出発から43日後の同年7月4日に到着しました。 一行はフランス、スイス、イギリス、デンマーク、ドイツ、ポーランド、チェコなどヨーロッパと大きく時計回りに

    • 「Peace in Their Times」

      「Peace in Their Times」 この本は1964年に刊行されています。 このKelenというハンガリー出身の風刺画家は、1920年代から30年代にかけて3度ムッソリーニと会っています。もちろん個人としてではなく、ジャーナリストとしての取材対象としてで、面会というよりもムッソリーニの現れる場所にいた、という感じです。 一度目は1923年、スイスのローザンヌでした。この時はムッソリーニもまだ首相になったばかりの時期になります。 二度目は1925年、スイスのロカ

      • ムッソリーニと会った人たち

        最近読んだ二冊の本の著者が、偶然第二次大戦中のイタリア独裁者であるムッソリーニと会っていたという共通点がありました。そしてそれぞれの本でそれぞれのムッソリーニについての印象が書かれていました。 これらの本は、ムッソリーニと会うことを目的とはしておらず、二人の著者も、ムッソリーニを主題においていません。 ひとつはジャーナリストとしてムッソリーニと会い、もう一つは旅の途中の表敬訪問として会っていました。 ジャーナリズムの一環として会った著者は、Emery Kelenというハ

        • 回想 第五章 214

          第214回  駅長は、何が良かったのか、上手くは説明できない、と返事した。  「でも確かに良かったのですね?」  駅長は、うなずいた。  「そうですか。それは止めた甲斐もあった、というものです。」影はうれしそうに言った。「それではそろそろ横になりますか?」 駅長は同意して横になろうとしたが、少し思案してから、できればこの濡れた服を着替えさせてほしい、と要求した。  「もちろんです。着替え終わるまで待ちましょう。」影は快く承知した。  駅長は濡れた服を脱ごうとしたが、もう両腕に

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        • 回想
          5本

        記事

          回想 第五章 213

          第213回  駅長は少し考えてから、死ぬとどうなるのか影に尋ねた。  影は、クスクス小さく笑いながら言った。  「こわいのですか?」  駅長はなんと答えたらよいかわからなかった。こわくない、と言えばウソになるが、気を失うほどこわくはなかった。駅長は、苦しくなければこわくはない、と答えた。  「苦しくはありません。ただほんの少し息苦しくなるだけです。それだけです。わたしが合図したら横になって目をつむってください。そうするとしばらくのあいだ息ができなくなって、もう気がつかないうち

          回想 第五章 212

          第212回  それは二日ほど前に聞いた、よく通る太い声だった。振り返ると以前と同じ場所に影が立っていた。身体はやはり黒いマントで覆われており、細い杖を持つ両手は白かった。  「うそつきさんが青い顔をしながら飛び降りたんです。」影は説明した。「まったく愚かな男です。ああいうタイプの人間はすぐに調子に乗ってしまうんでしょうね。困ったものです。ク、ク、ク。でも心配しなくても大丈夫です。死んでやしませんから。帽子さんが下で受け止めたんですよ。ヒ、ヒ。今頃あそこに集まってる人間は大慌て

          回想 第五章 211

          第211回  焦る聴衆の怒号と罵声が飛び交う中、雨が降り出した。しかし誰ひとりとしてその場から去ろうとする者はいなかった。皆夢中になってうそつきを木の上から飛び降りさせようとがんばっていた。反対にうそつきは言葉をつくして聴衆の説得を試みたが、効果はまったくなかった。聴衆はうそつきが話そうとするたびに、あおられた炎のようにさらに激しく、枝の上になすすべもなく立ち尽くすうそつきを追求した。  雨の中ひとりだけ我に返ったのは駅長だった。駅長もまわりの興奮にのまれて事の顛末を追ってい

          回想 第五章 210

          第210回  聴衆から罵声がうそつきに向かって投げつけられた。雨雲の接近に焦った聴衆は、早く何とかしてうそつきを木の上から飛び降りさせて、この決着をつけなくてはならない、とやっきになっていた。もしうそつきが死ななかったら、ほかの誰かが変わりに死ななければならないのである。聴衆はさっきまでの、奇跡に対する期待も忘れて焦っていた。うそつきは聴衆からの敵意を一身に受けながら、彼らを説得し始めた。  「わしが悪かった。どうか落ち着いてくれ。こんなでたらめなことをしようとして、わしが本

          回想 第五章 209

          第209回  雨雲は両翼を伸ばした巨大な鳥のように、施設を包み込むようにして広がってきていた。そしてそれにともなう黒い影と一緒に、湿った冷たい風が建物前を散歩している住人たちに向かって吹いてきた。冷たい風に恐怖をあおられた聴衆は、新たな不安がわきおこってきた。普段、施設に住む住人に死の予兆を伝える雨雲は、太陽の沈みかけた夕刻、もしくは夜中にしかなかったことで、昼前に来ることは極めて異例のできごとだったのだ。これをどう解釈すべきなのか?うそつきも含め、すべての聴衆がとっさにこの

          回想 第五章 208

          第208回  「大丈夫かな?」裏切られたくない期待を守るように、ある小心な老人がつぶやいた。  「ただではすまんだろうな。」責任の所在を自分からはずすように、無責任な老人が他人事のように言った。  「もしかすると、もしかするかもしれんぞ。」これから起こる惨事を確信しながら、おもしろがるようにまわりをながめていた、慎重な老人が言った。  この聴衆の外側にいた駅長と坊主も、はじめこそ冷やかすようにながめていたが、今では皆と同じように不安と期待をあわせ持って、熱心にうそつきの動向を

          回想 第五章 207

          第207回  「どうせこんな事だろうとわかっていたよ!」瓜実顔の老婆が残念そうに言った。「やけに威勢がよかったからもしや、と思ったんだけど。」  するとこのとき聴衆の数人が驚きの声をあげた。枝の上にいるうそつきが幹を両手でつたいながら、そろそろとバランスをとって枝の上に立ち上がり始めたのだ。聴衆は息をのんでこの光景を見守った。初めて立ち上がった赤子のように、うそつきの少し曲げられた両足は震え、上半身もゆらゆらと揺れていた。そしてうそつきはかたく両目をつむると、また聴衆には聞き

          回想 第五章 206

          第206回  「まったく子供じみた話だな。」あきれた坊主はつぶやいた。  「さあ、早く飛び降りてみろ!」聴衆のひとりがせかした。  「いつまでそんなとこにいるつもりなんだ?あんたの祈りはあんたを守ってはくれんのかね?どうなんだ?」  「でもこわいのならこわいってさっさと言えばいいじゃないか。そんなら降りるの手伝ってやってもいいぞ。」  「静かにしてくれ、静かにしてくれ!」うそつきは両腕で大切そうに木の幹にしがみつきながら、叫び返した。「心配しなくてもここから飛び降りるから、ど

          回想 第五章 205

          第205回  「あんなところであいつ何をしてるんだ?」驚いた坊主がすぐ隣にいた老人に尋ねた。  「飛び降りるんだって!」白いひげを伸ばした、杖を突いた老人が興奮気味に言った。  「なんだって?」坊主が問い返した。  「飛び降りるんだって!」杖をついた老人が繰り返した。  「どうして?」  「なんでもあそこから飛び降りて、奇跡を起こそうとしてるらしいよ。」近くにいた瓜実顔の老婆が説明してくれた。  「でもあんなところから落ちたら、骨の一本や二本じゃすまないぞ。」坊主がまた木にま

          回想 第五章 204

          第204回  二人はのそりのそりといつもの散歩道を歩いていた。太陽はやさしくその陽光をふりそそぎ、温かい風が触れるものすべてをなでるように吹き抜けていった。いつもと同じように、建物の前の広場では住人がいくつかのグループを作ってのんびりと動きそして話し合っていた。老犬は今日も老人に投げられた枝切れをうらめしそうに追いかけて舌を出しているし、家畜のようにただよう老人も同じ場所で同じ会話にいそしんでいる。  「もう最後のものばかりなんだな。ここの散歩ももう二度と経験しないんだな。」

          回想 第五章 203

          第203回  「わしは神に自分の願いを聞いてもらったことがたくさんあるぞ。」うそつきが得意げに言った。  「どんな?」  「息子の病気を治してくれて、わしを真人間にしてくれた。」  「願いはかなってないと思うがね。」白髪の男がくすくすしのび笑いながら声をひそめて言った。  「でもあんたはその息子に医者からの薬を飲ましたりしたんだろう?」坊主が問いかけた。「もしそうなら神のおかげじゃなくて、薬が効いただけじゃないのか?どうして神のおかげだって言えるんだ?」  「だって高熱が一晩

          回想 第五章 202

          第202回  「かわいそうに、かわいそうに。」眼鏡をかけた小さな老婆は何度も繰り返した。  「そりゃあ無駄ってもんだろう。」白髪の男が気の毒そうにつぶやいた。「どうせ神なんかいやしないんだし、祈るだけでいいんなら今頃おれはこんなとこにいないだろうしね。」  「じゃあこの子の願いはかなえてもらえないのかい?」眼鏡をかけた小さな老婆はおろおろしながら尋ねた。  「無理だろうねえ。げんにまだ帰ってきていないんだし。もし仮に数年後帰ってきたとしてもそれは神とはまた別問題だろうね。」