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回想 第五章 202

第202回
 「かわいそうに、かわいそうに。」眼鏡をかけた小さな老婆は何度も繰り返した。
 「そりゃあ無駄ってもんだろう。」白髪の男が気の毒そうにつぶやいた。「どうせ神なんかいやしないんだし、祈るだけでいいんなら今頃おれはこんなとこにいないだろうしね。」
 「じゃあこの子の願いはかなえてもらえないのかい?」眼鏡をかけた小さな老婆はおろおろしながら尋ねた。
 「無理だろうねえ。げんにまだ帰ってきていないんだし。もし仮に数年後帰ってきたとしてもそれは神とはまた別問題だろうね。」
 「きっと神はこの子の願いを聞いてくれるよ。」うそつきは何度もうなづきながら言った。
 「じゃあなんでひと月もこの子を待たせてるんだ?こんな小さな子を待たせておいて、神はいったいなにをもったいぶってるんだ?もしいるとしても、こんなにやきもきさせて待たせるんならいないのといっしょだよ。」
 「でも神様を信じていなくても、困った時には祈ったりしてしまうもんだけどねえ。」瓜実顔の老婆が言った。
 「都合のいいやつだな。」白髪の男はさげすむように言った。
 「あんただってほんとうは、困ったことがあったら神様にお願いしてるんじゃあないのかい?いい格好しようとしてるだけだろう?」
 相談員は、この問題は現代において避けて通ることのできないとても大切なトピックだ、と少女に向かって話しだした。この問題は要約するとつまり『祈りは未来を変えることができるか』ということになる。例えば重い病気にかかった母親のために祈るとする。祈りを唱える人にとって、そこには二通りの未来があるように思える。健康を取り戻すかもしくは死んでしまうか。そして祈りをささげる人間は、えてして死んでしまう母親を想像し、献身的な祈りによって別の未来を、つまり健康を取り戻す母親を得ようとする。つまりどれだけ真摯に祈ることができるか、どれだけ自分を犠牲にして祈ることができるかが、運命を決定する事のできる神に問われているように思ってしまう。すこしでも邪念が入ったり、怠けたりすると神が悪い方向に決定を変えてしまうかもしれない、と恐れてしまう。だから『自分のがんばりによって未来を変えたい』と思うのである。もしここで願いどおり母親が快癒したとすると、祈りをささげた人間は、これは神のおかげだと感謝するだろう。では反対に母親が病気のために死んだらどうなるか?祈った人間は間違いなく、自分の祈りの誠実さを疑い、神が自分の邪心を見抜いたのだと恐れおののくか、もしくはこの結果は神の導きであったのだ、と神に感謝しながら母の死を受け入れるであろう…。

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