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回想 第五章 210

第210回
 聴衆から罵声がうそつきに向かって投げつけられた。雨雲の接近に焦った聴衆は、早く何とかしてうそつきを木の上から飛び降りさせて、この決着をつけなくてはならない、とやっきになっていた。もしうそつきが死ななかったら、ほかの誰かが変わりに死ななければならないのである。聴衆はさっきまでの、奇跡に対する期待も忘れて焦っていた。うそつきは聴衆からの敵意を一身に受けながら、彼らを説得し始めた。
 「わしが悪かった。どうか落ち着いてくれ。こんなでたらめなことをしようとして、わしが本当に悪かったんだ。こんなふうにして神をためしちゃだめなんだよ。これはわしがバカで、間違った考え方をしていたからこんなことになってしまったんだ。本当だ。これは本当なんだ。わしらに必要なのは、なんにも言わないで、黙ってひざまずくことだったんだよ!それが今にしてわかったんだ!わしらはひざまずかなけりゃならないんだ。何もかも捨てる覚悟でひざまずかなけりゃだめなんだよ!祈りには頭を下げてひざを折る覚悟が必要なんだ。どうかわかってくれ。わしは別に怖くなってこんなことを言い始めたんじゃない。信じてくれ!今何がいちばん大切なのかわかったんだ。それはこんなふうにして、神をためすことじゃないんだよ。このやり方はおろかで、冒涜的でとにかくまちがってるんだ!本当さ!見当違いだったんだよ。大切なのは屈服して降伏して、何もかも捨てる覚悟で信じて祈ることなんだ。ほうとうさ!」
 しかし聴衆はうそつきの説得に耳を貸そうともしなかった。そして聴衆からの罵声はやがて怒号へと変わっていった。
 「ぐずぐず言ってないで、早く飛び降りろ!」小心な老人がヒステリックに叫んだ。
 「そうだ、あんたが今何を悟ったかなんて関係ないんだ!今大切なのは、帳尻を合わせることだ!さあ早くこの責任を取ってくれ!」無責任な老人も喉を絞るようにして叫んだ。
 「おい、もう早くしないと雨が降ってきそうだぞ!」慎重な老人が後ろに迫る雨雲を心配そうに見上げながら言った。
 うそつきは、もう止められそうもない聴衆の興奮を呆然と木の上から見下ろしていた。そして戸惑った様子で、自分に向かって問いかけ始めた。
 「まだ手遅れではない。今わしはためされているだけなんだ。このままこいつらの非難をがまんして飛び降りるのをやめるか、それとも飛び降りてしまうか…。飛び降りる勇気と、非難を覚悟でやめる勇気と、今わしにはどっちが大切か?そうだわしは今ためされてるんだ。まだ手遅れではないんだ!せつな的な屈辱を耐えれば、永遠の至福が約束されているんだ!」

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