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「Peace in Their Times」

「Peace in Their Times」
この本は1964年に刊行されています。

このKelenというハンガリー出身の風刺画家は、1920年代から30年代にかけて3度ムッソリーニと会っています。もちろん個人としてではなく、ジャーナリストとしての取材対象としてで、面会というよりもムッソリーニの現れる場所にいた、という感じです。

一度目は1923年、スイスのローザンヌでした。この時はムッソリーニもまだ首相になったばかりの時期になります。

二度目は1925年、スイスのロカルノ。そして三度目は1935年、イタリアのストレーザでした。

それぞれの場所には著者以外にも取材陣がいたようですが、共通しているのは三度ともムッソリーニは記者たちを敬遠していたようですし、記者たちもこのイタリアの首相を好もしく思っていなかったことです。

二度目のロカルノでは、ある記者がムッソリーニに対して無礼であったということで、有名な黒シャツ隊から頬を叩かれるという事件が、著者の目の前で起こったようです。

いずれの場合もムッソリーニは、(著者によると)目をギョロつかせ、顎を持ち上げて悠然と記者団の前を通り過ぎたようです。

著者はムッソリーニのこの傲岸不遜な態度を、梅毒による症状と断定しています(p.292)。著者は、スイスの医者から、ムッソリーニがスイスに住んでいた若い頃、梅毒にかかって治療を受けていたという話しを聞いたようです。

ムッソリーニがイタリアで政権を取った時、当時のカルテが紛失したということでしたが、どこまで信ぴょう性のある話か分かりません。

梅毒患者の特徴として、大言壮語、突発的な感情の発露、前言撤回などがあるようですが、ムッソリーニの不可解な政治行動はこれによるものだと著者は(面白おかしくですが)主張しています。

彼の文章を読んで思ったのは、彼が描くムッソリーニは何となくですが僕の持っていたムッソリーニの印象と同じものでした。強大な権力を持ちながら、ヒットラーに振り回される何となくおっちょこちょいな政治家という印象そのものでした。

とにかくジャーナリストからは嫌われていたようで、1925年のロカルノでは、ムッソリーニが記者会見を開くと言っても、ほとんどの記者たちは出席をボイコットしたようです(p.156)。

以上を踏まえた上で、次は篠田博士によるムッソリーニとの面談について書こうと思います。

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