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回想 第五章 212

第212回
 それは二日ほど前に聞いた、よく通る太い声だった。振り返ると以前と同じ場所に影が立っていた。身体はやはり黒いマントで覆われており、細い杖を持つ両手は白かった。
 「うそつきさんが青い顔をしながら飛び降りたんです。」影は説明した。「まったく愚かな男です。ああいうタイプの人間はすぐに調子に乗ってしまうんでしょうね。困ったものです。ク、ク、ク。でも心配しなくても大丈夫です。死んでやしませんから。帽子さんが下で受け止めたんですよ。ヒ、ヒ。今頃あそこに集まってる人間は大慌てになってるでしょう!だって死ぬはずだったうそつきさんが死ななかったんですから…。」
 駅長はこの返答を聞くと、外の様子を見ずにまた寝台へと戻って腰をおろした。駅長は、前回出会ったときよりも落ち着いて影と対峙することができた。駅長には影に対していろいろと尋ねたいことがあった。しかし駅長が質問するよりも先に影が話しかけてきた。
 「お迎えにやってきましたよ。」
 あらためて駅長は宣告された。外の雨はしとしとと静かに降っていた。雨におびえた住人は、昼食前の散歩をあきらめて、それぞれの部屋に戻ったのであろう。建物の中も静まり返っていた。駅長は、坊主に最後のあいさつをしていなかったことを思い出した。
 「大丈夫ですよ。」駅長の心を読んだかのように、影が答えた。「坊主さんからはいずれ機会を見て、私の方から話しておきましょう。そんなことよりも、どうでしたか、この数日間は?」
 影の質問は、もうすでに相手の満足を知っているかのように自信にあふれていた。そして実際駅長も、この延長された数日間に対してなんら不満を抱いてはいなかった。
 「そうそう、あなたの遺書を読ませてもらいましたよ。」影は、駅長のポケットの中を杖で指しながら言った。「なかなか興味深いものでした。あなたには何か詩人さんに共通するものがありますね。」
それはいったいどういう共通点なのか、駅長は尋ねてみた。
 「そうですね…。」影はゆっくりと答えた。「強いて言うと、人生に対する真摯な態度ですかね。ふたりともとても真面目なんです。そう、見ていて気持ちがいいくらい真面目なんですね。もちろん良い悪いは別にして…。でももうよしましょう。わたしは今ここであなたに向かって教訓めいたことを話しに来たんではないんですから。さっきも言ったように、わたしはあなたを迎えに来たのです。…でもそうですね。」ここで影は少し思案しながらつぶやいた。「少しくらいなら、お話しても大丈夫かもしれませんね。それくらいの時間ならゆるされるでしょう。それに今日はなんだかとても気分がいいんですよ。あなたも何か聞きたいことがあるようだし。」

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