ひろな

ざっくりと音楽が好きです。 output先として続けられるように尽力します。 内容の一…

ひろな

ざっくりと音楽が好きです。 output先として続けられるように尽力します。 内容の一貫性は、いずれ出てくると思います。 近頃はお笑いも温度高めです。 エンタメは私を救います。

最近の記事

優良な客でいたい

見た目が好き。顔が好き。な、アイドルもいるし、アーティストもいるし、芸人もいるし、タレントも俳優もいる。 ものすごく言葉は悪いが、芸能人って「商品」って見方ができるので、見た目も大切になってくるのは必然だと思っていて。 だから、見た目の良さで客がつくのは、ごく自然な話になる。 しかしながら、 「見た目より芸を見ろ」「顔じゃなくて歌を聴け」とかね。 顔ファンを毛嫌いする層って、一定数いる。 しかも、この層はえらく言葉がキツイこともあれば、顔ファンを下に見ているのがありありと

    • 他人と平等であること、自分を認めること

      「○○してくれたら△△してあげるよ」 これは、交換条件。 相手に提示しているものであって、言葉にして伝えて、相手の許諾が得られて初めて成立する。 それらを言葉にせず、心のなかで唱え、それが叶わなかったからといって、結果に対する不満だけを言葉にする人がいる。 別に、心のなかで唱えるのは自由だ。 条件の提示をしないまま、不満だけを言葉にすることが身勝手であり、受け手からしたら、理不尽と言わざるを得ない状況になる。 我儘と捉えられても仕方のない言動でもある。 自分の行動に対し

      • 着ぐるみ怖い

        まるで落語のようなタイトル。 だがしかし、これは決して、好きの裏返しではない。 マジで無理。 小さな子供が着ぐるみを怖がる心理はわかる。 大きい、得体が知れない、喋らない、笑わない。 こんなもの、子供からしたら怖いに決まってる。 怖がってる子供に(怖くないよ)と言わんばかりに、身をかがめて近づく着ぐるみがいるが、そんなものはただの追い打ちである。 大人になれば、身体も大きくなり慣れもあり、怖くなくなる人が多いとされるが、私の場合はいつまで経っても怖い。 とはいえ、いい年齢

        • 結婚報告は確実に嬉しい

          いつから人の結婚を「嬉しいこと」と認識していたんだろう。 ゼクシィのキャッチフレーズに『結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私はあなたと結婚したいのです』というのがあった。 とても良いキャッチフレーズだなと思って過ごしている。 あなたと結婚することで得られる幸せに、とても大きな価値がある。 結婚する=幸せになる。と捉えている人に刺さるのだとしたら、私もきっとそう捉えているのか。 結婚って“ステージが変わる”という意味では、転職と同じイメージでいるんだが、友人から「転職

        優良な客でいたい

          大物芸人の与える影響は視聴者にとっては微々

          固有名詞を出すことがなんとなく憚られる。 が、気にしすぎても思考整理の邪魔になる。 若干日和った前置きをしつつ。 松本人志が活動休止している。 それに伴い、彼の冠番組に代行MCが続々と入っている。そんな番組たちを、あまり気にせずに視聴していたが、この2か月あまりで、明確に感じたことがある。 それは、出演している人たち、特に芸人の方々は、松本人志に向かって話をしていたんじゃないか。ということ。 これまでの番組を熱心に見ていたわけではないので、何がどうという細かい話は難し

          大物芸人の与える影響は視聴者にとっては微々

          ミーハー心を忘れない

          いつの場面も「物知りだね」「知識幅広いよね」「あなたに聞けば大丈夫」と、周りから博識扱いをしていただいている人生。 正直まやかし以外の何物でもないのだが。そのように扱ってくれるものだから、私も満更でもない心持で対応している。顔はポーカーフェイスでいけてるはず() おそらく私は好奇心が強い。 ふと疑問に感じたことや、知らない物事に直面すると、その場ですぐに調べ始める。付随してくる事柄も、芋づる式に私の知識となっていく。 ただし、その場で聞きかじっただけの内容は真実とは異なるこ

          ミーハー心を忘れない

          note再開のきっかけをタグ付けする

          そういえば、なぜ数年ぶりにnoteが再開されたかといえば。 簡単な話で、年明けから好きになった芸能人がnoteやっていたから。 好きになったからには、その人のことを知りたい。とインターネットの海を泳ぐ。これがオタク気質の性。溺れない程度に水を飲み続ける。 そもそも好きな傾向にあった存在を、生で動いてる姿を目撃してしまったものだから、何かが弾けてしまった。これはあまり好ましく思われないことが多いようだが、私は「顔が好き」な芸能人は結構いる。 note再開のきっかけの方も、い

          note再開のきっかけをタグ付けする

          愛情のピラミッド

          「推し」という言葉が少々苦手である。 推し活、推し事。 人生を彩るために不可欠な存在であることは十二分に理解してる。 貴方にとって「推し」がいることは、とても幸せなことだ。 俗にいう「推し」とは、私にとっては「好き」なのだと思う。 使う言葉が違うだけで、実際指している存在は同じなので、周りの方々が使っている分には特段気になるわけではない。意味もニュアンスも伝わってる。ただ、私自身が「好き」を現すために「推し」を使うのは違うというだけ。 そもそもの意味を問えば「推す」は「

          愛情のピラミッド

          「いいね」っていいな。

          いろんなSNSがあるので、いろいろ使っている。 ・Twitter(現 X) ・Instagram ・Threads ・Facebook ・LINE ・note ・YouTube 他にも、アカウントはあっても開いていないSNSがいくつかあるが、現状、回せているのはこのくらい。いい具合に住み分けができていると自分では思ってる。 住み分けの内容的にはこう。 ・Twitter(現 X)→日常、愚痴、愛情、閉鎖的、高頻度 ・Instagram →思い出の良いとこ取り、キラキラ捕獲、

          「いいね」っていいな。

          テレビはエンタメの巣窟

          テレビって面白い。 生まれたときから傍にある、テレビという娯楽。 そういえばずっとテレビを見てきたし、今も見てる。 いわゆる、テレビっ子。だと思う。 あの番組がどえらく面白くて、あの芸能人が大好きで、毎週欠かさず見ていて…というのではなくて「テレビ」というものが好き。 趣味が何か悩むことがあるが「テレビを見ること」が趣味な気がしてきた。 もちろん、好きな番組もあるし、好きな芸能人も多くいる。なので、毎週欠かさず見ていたものもある。当然ながら。 ただ、そういう“好き”は、テ

          テレビはエンタメの巣窟

          「優しい」のレッテル

          自分がどんな人間かなんて、ほとんど他人に委ねている。 自然に振る舞ってはいるが、どこかで、相手に合わせている部分がある。 だから大抵の場合、私は「優しい人」になる。 目の前のあなたには、どうか楽しく幸せでいてほしいからね。 ありったけの優しさを注ぐ。それはもう過剰なほど。 しかし、その「優しい」に意図があるしたら。 急に打算的で嫌な奴に思えてこないだろうか。ていうか、打算的ってマイナスイメージなのが、そもそも解せないな。 無意識な優しさはきっとあり得なくて、私はいつだっ

          「優しい」のレッテル

          4年前の私が下書きに残していた話。

          何事においても、何故か勝ち負けが付き纏う。 実際のところ、勝ち負けなんてあってないようなものだが、何故だかつけたがる人がいる。 あれはいったい、なんなのか。 ある会社に属した際、新人同士で売上数値を競わせ、切磋琢磨を促されたことがある。 他人と競い、勝ち上がり、賞賛を獲ることに、喜びを感じないので、 そのときは、無理矢理立たされたスタートラインの1歩目からコースアウトした。 「なぜやらない?」「やる気がない?」 「何をしてる?」「どうした?」 そんな叱責にも近い疑問を

          4年前の私が下書きに残していた話。

          答えは年頭に出ていた

          ついこの間「なぜ配信を好きになれないのか」について、悶々としていた。 考え行き着いた先が、 『好きなアーティストが見ている景色の一端にいたいんだ』 だったので、備忘録としてnoteに書き留めようと思ったとき、記事一覧に「アーティストの見る景色の一部でいたい」とあるじゃないか。 備忘録の存在すら忘れていたんだ、私は。 唖然とした。 すでに出ていた答えを忘れ、数日悶々と過ごしていたんだ。なんて勿体ないこと。 しかしまぁ、これほどに考えても出てくる答えが同じなんだから、私の思考

          答えは年頭に出ていた

          アーティストの見る景色の一部でいたい

          こんな世の中に誰がした。 たぶん、人類だ。 どう足掻いても、人類だ。 政府を牽制しながら、有観客を増やしていたライブハウスは、軒並み配信に切り替わった。 これは振り出しに戻ったのか? むしろマイなのか? 何がいけないんだろう。 わからないことが、また増えた。 ほとんどのライブハウスは、分類上は飲食店 なので、要請に則り20時閉店。は、理解できる。 私が行くようなライブハウスは、 定員300がいいとこ。 実際の客は、多くみても50人いないくらい。 そして、友人同士でも

          アーティストの見る景色の一部でいたい

          ヒーローを歌うのもヒーロー

          仮面ライダーの音楽は、 昭和の時代からずっと、小難しい印象だ。 一応、子供向けのものだし、音階が複雑なわけでもないはずだが、口ずさもうとすると上手く出せない。 なぜ。 音程だけじゃない。 抑揚のなさか。 それとも音学的な心理が…? 細かいことはよくわからないが、 手元で聞いているときは、あんなにワクワクして カッコいいぜ!最高だぜ!なんて感じるのに 発してみると、盛り上がりに欠ける。 頭のなかだけで鳴る、あの猛々しい管楽器たち。なんとも虚しい。 初代仮面ライダーに始

          ヒーローを歌うのもヒーロー

          遠ざけたくなる音楽

          こんな世の中になってから、意識的に聞くのを避けていたバンドがいる。 それは、ウラニーノ 私はウラニーノが好き。 小説のように駆けていく歌詞と、身体をさらう波のような曲に溢れていて、生々しいフィクションを奏でるバンド。 メッセージ性が強いといえばそうなのかも知れないが、私的にはそうじゃなくて、なんだか色が濃い。 濃口。薄口より甘い。 歌詞が多面的だからなんだろうか。 ライブでの姿が泥臭いからなんだろうか。 まぁなんにせよ、好き。 とりあえず、好き。 それしかない。

          遠ざけたくなる音楽