ひろな

ざっくりと音楽が好きです。 output先として続けられるように尽力します。 内容の一…

ひろな

ざっくりと音楽が好きです。 output先として続けられるように尽力します。 内容の一貫性は、いずれ出てくると思います。 近頃はお笑いも温度高めです。 エンタメは私を救います。

最近の記事

ルーティン向き不向き

○○ルーティン。 近頃よく見聞きするが、考えてみると私にはその意識がない。 日常に溶け込みすぎていて、日々何をしているのか思い出せない。 当たり前の行動を、ルーティンとして出力している人たちは、 他人に見られる意識が、とても高い人なんだろう。 私の場合は「ルーティン」として作業を組んでしまうと、 作業漏れが発生したときに、極度のストレスを感じる。 「やらなければいけないこと」になるようだ。 作業漏れを起こさなければいい話ではあるが、 私は絶対に作業漏れを起こす。絶対にだ

    • コンビは仲良しでなければならないのか

      芸人やアイドルは、コンビ、ユニット、グループ…と 複数人での活動が多いエンタメジャンルだが、 ちょくちょく「不仲」という誘い文句で、話題作りをされることがある。 というか「仲良し」に対しても、多少の疑問は常に抱えている。 私は、活動する上で、必ずしも仲が良い必要はないと思ってる。 仲の良さと仕事の生産性は、直接は結び付かない。 誰かと仕事するなかで、重要視されるのは、信頼関係。 他人を信頼するというのは、 相手の言動、パフォーマンスを認めて、期待し静観することであって、

      • 愛情と金額とサービス。

        ファンクラブって、そもそも有志の応援団。 後援会の派生みたいなものらしい。 それを公式に用意して、金額設定して応援者を募っているのが、現在のファンクラブの形だと思っている。 (ファンクラブ:以下FC) 私にとってFCは、その人を好きな証。程度にしか捉えておらず、 会員番号やシステムは、そんなに重要視していない。 しかしながら、お金を払って入会しているわけだから、非会員との差別化は当たり前だとは思っている。 ただ、月額ないし年額のほとんどは“お気持ち”としているので、情報の

        • 無意味という価値

          物事には、例外なく理由や意味があると思っている。 結果に対して「なぜそうなったのか」を知りたい。 OKやNGで振り分けたいのではなく、そこに至ったプロセスを収集したい。 自分のことでも、他人のことでも。 どんなものでも、結果に対する感情は「無」。 強いて言うなら、好奇心なので「楽」の可能性は高い。 私自身に不利益が発生した場合には「怒」がついてくるだろうが、 それ以上に、意図・経緯を知りたい。 「なぜそうしたのか」「なぜそうなったのか」 そこを回収しておけば、次に活かせ

        ルーティン向き不向き

          優良な客でいたい

          見た目が好き。顔が好き。な、アイドルもいるし、アーティストもいるし、芸人もいるし、タレントも俳優もいる。 ものすごく言葉は悪いが、芸能人って「商品」って見方ができるので、見た目も大切になってくるのは必然だと思っていて。 だから、見た目の良さで客がつくのは、ごく自然な話になる。 しかしながら、 「見た目より芸を見ろ」「顔じゃなくて歌を聴け」とかね。 顔ファンを毛嫌いする層って、一定数いる。 しかも、この層はえらく言葉がキツイこともあれば、顔ファンを下に見ているのがありありと

          優良な客でいたい

          他人と平等であること、自分を認めること

          「○○してくれたら△△してあげるよ」 これは、交換条件。 相手に提示しているものであって、言葉にして伝えて、相手の許諾が得られて初めて成立する。 それらを言葉にせず、心のなかで唱え、それが叶わなかったからといって、結果に対する不満だけを言葉にする人がいる。 別に、心のなかで唱えるのは自由だ。 条件の提示をしないまま、不満だけを言葉にすることが身勝手であり、受け手からしたら、理不尽と言わざるを得ない状況になる。 我儘と捉えられても仕方のない言動でもある。 自分の行動に対し

          他人と平等であること、自分を認めること

          着ぐるみ怖い

          まるで落語のようなタイトル。 だがしかし、これは決して、好きの裏返しではない。 マジで無理。 小さな子供が着ぐるみを怖がる心理はわかる。 大きい、得体が知れない、喋らない、笑わない。 こんなもの、子供からしたら怖いに決まってる。 怖がってる子供に(怖くないよ)と言わんばかりに、身をかがめて近づく着ぐるみがいるが、そんなものはただの追い打ちである。 大人になれば、身体も大きくなり慣れもあり、怖くなくなる人が多いとされるが、私の場合はいつまで経っても怖い。 とはいえ、いい年齢

          着ぐるみ怖い

          結婚報告は確実に嬉しい

          いつから人の結婚を「嬉しいこと」と認識していたんだろう。 ゼクシィのキャッチフレーズに『結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私はあなたと結婚したいのです』というのがあった。 とても良いキャッチフレーズだなと思って過ごしている。 あなたと結婚することで得られる幸せに、とても大きな価値がある。 結婚する=幸せになる。と捉えている人に刺さるのだとしたら、私もきっとそう捉えているのか。 結婚って“ステージが変わる”という意味では、転職と同じイメージでいるんだが、友人から「転職

          結婚報告は確実に嬉しい

          大物芸人の与える影響は視聴者にとっては微々

          固有名詞を出すことがなんとなく憚られる。 が、気にしすぎても思考整理の邪魔になる。 若干日和った前置きをしつつ。 松本人志が活動休止している。 それに伴い、彼の冠番組に代行MCが続々と入っている。そんな番組たちを、あまり気にせずに視聴していたが、この2か月あまりで、明確に感じたことがある。 それは、出演している人たち、特に芸人の方々は、松本人志に向かって話をしていたんじゃないか。ということ。 これまでの番組を熱心に見ていたわけではないので、何がどうという細かい話は難し

          大物芸人の与える影響は視聴者にとっては微々

          ミーハー心を忘れない

          いつの場面も「物知りだね」「知識幅広いよね」「あなたに聞けば大丈夫」と、周りから博識扱いをしていただいている人生。 正直まやかし以外の何物でもないのだが。そのように扱ってくれるものだから、私も満更でもない心持で対応している。顔はポーカーフェイスでいけてるはず() おそらく私は好奇心が強い。 ふと疑問に感じたことや、知らない物事に直面すると、その場ですぐに調べ始める。付随してくる事柄も、芋づる式に私の知識となっていく。 ただし、その場で聞きかじっただけの内容は真実とは異なるこ

          ミーハー心を忘れない

          note再開のきっかけをタグ付けする

          そういえば、なぜ数年ぶりにnoteが再開されたかといえば。 簡単な話で、年明けから好きになった芸能人がnoteやっていたから。 好きになったからには、その人のことを知りたい。とインターネットの海を泳ぐ。これがオタク気質の性。溺れない程度に水を飲み続ける。 そもそも好きな傾向にあった存在を、生で動いてる姿を目撃してしまったものだから、何かが弾けてしまった。これはあまり好ましく思われないことが多いようだが、私は「顔が好き」な芸能人は結構いる。 note再開のきっかけの方も、い

          note再開のきっかけをタグ付けする

          愛情のピラミッド

          「推し」という言葉が少々苦手である。 推し活、推し事。 人生を彩るために不可欠な存在であることは十二分に理解してる。 貴方にとって「推し」がいることは、とても幸せなことだ。 俗にいう「推し」とは、私にとっては「好き」なのだと思う。 使う言葉が違うだけで、実際指している存在は同じなので、周りの方々が使っている分には特段気になるわけではない。意味もニュアンスも伝わってる。ただ、私自身が「好き」を現すために「推し」を使うのは違うというだけ。 そもそもの意味を問えば「推す」は「

          愛情のピラミッド

          「いいね」っていいな。

          いろんなSNSがあるので、いろいろ使っている。 ・Twitter(現 X) ・Instagram ・Threads ・Facebook ・LINE ・note ・YouTube 他にも、アカウントはあっても開いていないSNSがいくつかあるが、現状、回せているのはこのくらい。いい具合に住み分けができていると自分では思ってる。 住み分けの内容的にはこう。 ・Twitter(現 X)→日常、愚痴、愛情、閉鎖的、高頻度 ・Instagram →思い出の良いとこ取り、キラキラ捕獲、

          「いいね」っていいな。

          テレビはエンタメの巣窟

          テレビって面白い。 生まれたときから傍にある、テレビという娯楽。 そういえばずっとテレビを見てきたし、今も見てる。 いわゆる、テレビっ子。だと思う。 あの番組がどえらく面白くて、あの芸能人が大好きで、毎週欠かさず見ていて…というのではなくて「テレビ」というものが好き。 趣味が何か悩むことがあるが「テレビを見ること」が趣味な気がしてきた。 もちろん、好きな番組もあるし、好きな芸能人も多くいる。なので、毎週欠かさず見ていたものもある。当然ながら。 ただ、そういう“好き”は、テ

          テレビはエンタメの巣窟

          「優しい」のレッテル

          自分がどんな人間かなんて、ほとんど他人に委ねている。 自然に振る舞ってはいるが、どこかで、相手に合わせている部分がある。 だから大抵の場合、私は「優しい人」になる。 目の前のあなたには、どうか楽しく幸せでいてほしいからね。 ありったけの優しさを注ぐ。それはもう過剰なほど。 しかし、その「優しい」に意図があるしたら。 急に打算的で嫌な奴に思えてこないだろうか。ていうか、打算的ってマイナスイメージなのが、そもそも解せないな。 無意識な優しさはきっとあり得なくて、私はいつだっ

          「優しい」のレッテル

          4年前の私が下書きに残していた話。

          何事においても、何故か勝ち負けが付き纏う。 実際のところ、勝ち負けなんてあってないようなものだが、何故だかつけたがる人がいる。 あれはいったい、なんなのか。 ある会社に属した際、新人同士で売上数値を競わせ、切磋琢磨を促されたことがある。 他人と競い、勝ち上がり、賞賛を獲ることに、喜びを感じないので、 そのときは、無理矢理立たされたスタートラインの1歩目からコースアウトした。 「なぜやらない?」「やる気がない?」 「何をしてる?」「どうした?」 そんな叱責にも近い疑問を

          4年前の私が下書きに残していた話。