4年前の私が下書きに残していた話。

何事においても、何故か勝ち負けが付き纏う。
実際のところ、勝ち負けなんてあってないようなものだが、何故だかつけたがる人がいる。

あれはいったい、なんなのか。

ある会社に属した際、新人同士で売上数値を競わせ、切磋琢磨を促されたことがある。

他人と競い、勝ち上がり、賞賛を獲ることに、喜びを感じないので、
そのときは、無理矢理立たされたスタートラインの1歩目からコースアウトした。

「なぜやらない?」「やる気がない?」
「何をしてる?」「どうした?」
そんな叱責にも近い疑問を投げつけられていた気がしたが、私はそうじゃないんで、の一点張りで、スルーを決め込んだ。

もちろん、他人と競わせることで、負けず嫌いが成長剤になる人もいるだろう。
しかしながら、他所は他所・内は内
そのボーダーラインを読める人間が少ない。

どうしてこうも、自身の成長方法を押しつけてくる人間が絶えないのだろうか。
一度試すのは良い。どんな方法で育つかわからないのだから。
能力が数値化されているわけでもない、提出された経験や肩書きは、所詮は過去の話であって、社会人の時間がゼロではないというだけのもの。

上積みの経験なんて、場所が変われば、簡単に崩れる。必要なのは、崩れた上積みを、いかに手早く現場に合わせられるか。それが仕事。

利益だけを生む、損失を生まない。
出来ない奴とは仕事をしない。
出来ない奴が悪い。

それは仕事じゃない。自慰だ。
お前の自慰を見せられても、こちらは気分悪いだけなんだ。

仕事のやり方も千差万別。
働くということに、どれだけ重きを置いているか、それも人それぞれだろう。

私の場合は、お金を使う先があるから稼がなければならない。
しかし、お金を使う時間を確保しなければならないから、私は仕事はそこそこにしかやらない。明日出来ることは明日やればいい。
最低限+α。自分と他人が困らないように、気をつけて働いているつもりだ。

世の中、働くことに人生の意義を持っている人いたりする。それはそれでいい。そういう人がいなければ、会社の成長も見込めない。

「働きアリの法則」をご存知だろうか。
全体の2割はよく働き、6割は普通に働き、2割は怠ける。というもの。
全てはこの法則が物語っていると、信じて止まない。法則というより、私的には、これは世界の真理だと思っている。

どこへ向かう話かと言えば、私は6割に入るように調整している。意識的にそうしている。というところ。

前述の、人の育て方に関して、切磋琢磨を促すやり方は、よく働く2割を生成しようとしているので断った。
まぁ、提示されたやり方を断ることが出来ない人も多いのだろうけど。

………………
と、ここまで書いて下書きにしてあった。
4年前の私の話が、やっと日の目を見ている。

公開前に何度か読み返したが、私の思考回路は、1ミリも変わってない。なので修正もなし。
追記をするには、若干熱量足りない。

数年ぶりに書いたnoteが、下書きの昇華。
なんて良い再開だろうか。
本当にまた書き始めるんだろうか。
でも、まぁ、気まぐれにやろう。
思考整理にもってこいなのは実証済みなので。

では。

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