テレビはエンタメの巣窟

テレビって面白い。

生まれたときから傍にある、テレビという娯楽。
そういえばずっとテレビを見てきたし、今も見てる。
いわゆる、テレビっ子。だと思う。

あの番組がどえらく面白くて、あの芸能人が大好きで、毎週欠かさず見ていて…というのではなくて「テレビ」というものが好き。
趣味が何か悩むことがあるが「テレビを見ること」が趣味な気がしてきた。
もちろん、好きな番組もあるし、好きな芸能人も多くいる。なので、毎週欠かさず見ていたものもある。当然ながら。
ただ、そういう“好き”は、テレビを介して生まれているので、私の趣味嗜好は概ねテレビの影響と言わざるを得ない。

テレビってやつは、現代的には「時代じゃない」らしい。
とはいえ、テレビは娯楽。
あの箱に映ってる事柄なんて話半分でいい。信じて良い面と、そうでない面。何をそんなに真に受けることがあろうか。

…ていうか、テレビのこと「箱」って呼んでるの古だな?
ブラウン管で育ったのバレバレじゃん。でも、中学生のころには大きめの液晶テレビだった(見栄)

なんにせよ。
コンプライアンスだなんだと、いろいろとモヤがかけられている昨今。
ああいうのは総じて、物事を自分で判断しきれない人たちが共感者を求めて大きな声を出しているように感じているし、中には絶対的な愉快犯だっているし。行き過ぎた行為が散見されるのも確かだけど、それを一つ一つ摘み取って検討するなんて、有効的な時間の使い方じゃない気がする。

誰かにとっての希望は、誰かにとっての絶望なのかもしれない。
マイナス面だけを取り除けたところで、プラス面が残るとも限らない。プラスとマイナスは表裏一体だから。両方剥ぎ取ってる可能性が高い。

誰かの小声や一人言が、知らない誰かにつまみ上げられて、意図しないカタチで大声に変換されてしまう世界で。
いつだって騒いでいるのは、実は第三者。関係ない人たちのほうが、コンプライアンスがどうだとか、倫理観がどうとか。男尊女卑だなんだと。
そういう言葉を持ち出して、弱者のフリして斬りかかってくる。

当事者は、どこにいるんだろうな。

音楽もお笑いも政治も教養も。
テレビから得たものが多すぎる。
そんなテレビと現実を擦り合わせて、私は自分で情報を精査してる。正しいも正しくないも、自分で決めてる。近頃は量が多くて少し参っているが。
それでも、自分にとっての正しさで、正義で、価値観で。
テレビという娯楽を、用法容量を守って楽しんでいる。
見たいものも見たくないものも、自分で選べる。選べるだけの幅がある。種類がある。
良いも悪いも潜んでる。そこに踏み入るか否かも、自分の判断。

テレビって良い内容ばかりじゃない。
誰かから怒られたり、気持ち悪がられたり、批判されたり。でも、そこがあるから“良いもの”が輝いたりする。良いと悪いは、表裏一体だから。

テレビのなかで行われてることは、エンターテインメント。エンターテインメントは、娯楽。
テレビって娯楽だし、エンタメの巣窟。

自分で選んで、良いものだけ拾えばいいじゃん。
自分にとって悪いものを否定するのは、娯楽の楽しみ方間違えてる。何かを強く否定すること、批判すること、非難すること。攻撃すること。それが楽しいなら仕方ないけど。楽しくないなら、娯楽じゃない。
テレビじゃないものに目を向けてほしい。

私はハッピーが好きだから、テレビの良いとこ拾って、エンタメ楽しんでる。

テレビって面白い。
楽しいことしようよ。見る側の器量を上げてこう。エンターテインメントを楽しむ身体でいよう。
私はずっとそうやって生きてたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?