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ルーティン向き不向き

○○ルーティン。
近頃よく見聞きするが、考えてみると私にはその意識がない。

日常に溶け込みすぎていて、日々何をしているのか思い出せない。
当たり前の行動を、ルーティンとして出力している人たちは、
他人に見られる意識が、とても高い人なんだろう。

私の場合は「ルーティン」として作業を組んでしまうと、
作業漏れが発生したときに、極度のストレスを感じる。
「やらなければいけないこと」になるようだ。

作業漏れを起こさなければいい話ではあるが、
私は絶対に作業漏れを起こす。絶対にだ。

何においても「やったほうがいい」レベルにしておかないと
少量の心的ストレスの蓄積で、早めに潰れてしまう。

仕事終わりには、一駅分歩くようにしているのだが、
これは、一人の時間を過ごしたい気持ちから来ている。
自分のペースで、好きな音楽を聴きながら、
時々歩くコースを変えつつ、帰路を進む。

音楽と景色を楽しみながら、好天候のときにのみ歩く。
これで一日のリフレッシュが進む。

もちろん健康面から見ても、好ましい行動だと思うが、
一駅分歩く目的を、健康面においてしまうと、
「歩かなければならない」に変換されてしまい、
体調が少々優れないときでも、歩くことを優先するようになる。

こう、自分自身のメカニズムを知っておくと、
自然と無理をしなくなっていく。

ひとつの結果に至ったプロセスを収集していると、
それは、自身を知ることにもなる。

これは結果論の寄せ集めではあるけれど、
自分の気分の浮き沈みにも理由、きっかけ、経緯
諸々が存在しているわけだから、
安定しているときにでも、そこを振り返っておきたい。

(気分が沈む予感がする)
数が揃えば、そんなことを察知できるようになる。

気分が沈むのは仕方ない。
考えるべきは、沈んだあとの行動だ。

覚えておけないのであれば、紙に書き出しておけばいい。
書いた紙が集まればノートになる。
記されているのは、自分の扱い方。
つまりは、自分による自分のための取扱説明書だ。

「トリセツ」という曲がある。
あれは理にかなった歌詞ではあるが、
自分のための説明書ではなく、特定の相手に向けたもの。
あまりにも独りよがりに感じていて、
恋愛って難しいな。という感想に至ってしまっている。

ただ、共感者が非常に多いということは、
それだけ的を射た曲なんだろうな。

仕事においては、
ルーティンを組んだほうが、作業効率が上がるだろう。
俗にいう、ルーティンワークというもの。

マニュアル化とは少々異なる。

マニュアル化は、誰でも同じことができることが目標のため、
そこに書いてある内容のみをさらえば良く、
ルーティンワークは、マニュアルの内容を理解した上で、
その人なりに効率化させることを指すと考えている。

マニュアルは機械、ルーティンは個性。

「出勤前にこの店のコーヒーを買う」
「会議の前にタバコを吸う」
仕事に入る前の下準備、これらもルーティン。

だから、芸能人のモーニングルーティンとやらが流行るわけだ。
そういった個性を出すこと、表現するというエンタメ。
そりゃぁ、見られる意識が高くないとできない。
何も考えずに生きてる私に出せるものではない。

人によっては、日常の行動をルーティン化することで、
ストレスが軽減する場合もある。

ルーティン通りに身体が動くことで、脳内メモリに空きができる。
本当に器用な人であれば、ルーティン中に別のことを思考できる。
別のことを考えられたら、新しいことに手をつけやすくなる。

こうして、マニュアルは厚くなり、ルーティンは長くなる。

人前に出る前に行う行動をルーティン化している人もいるが、
それはルーティンというより、ゲン担ぎのようにも思える。

「上手くいったのはルーティン通り準備できたから」
「上手くいかなかったのはルーティンを間違えたから」

果たしてこれは、ポジティブか否か。なんとも言い難い。

ルーティンというものに捉われてしまっては、
マニュアル通りにも動けなくなる。
本末転倒だ。

自分をコントロールするための意識は
確実に自分自身に向けていないと、ダメになる。

記事の締め方に迷いが生じているが、
明確にわかっていることが一つ。

私にはルーティンは不向き。ということ。

このまま、身の丈に合った日常を綴り送ろう。

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