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愛情と金額とサービス。

ファンクラブって、そもそも有志の応援団。
後援会の派生みたいなものらしい。
それを公式に用意して、金額設定して応援者を募っているのが、現在のファンクラブの形だと思っている。
(ファンクラブ:以下FC)

私にとってFCは、その人を好きな証。程度にしか捉えておらず、
会員番号やシステムは、そんなに重要視していない。

しかしながら、お金を払って入会しているわけだから、非会員との差別化は当たり前だとは思っている。
ただ、月額ないし年額のほとんどは“お気持ち”としているので、情報の先出しや、イベントやコンサートなどの優先受付が、どのFCに対しても求めてる最低限だ。

大好きなエンタメにどうやってお金を使うか。を時折考えるが、やたらめったら撒けるような収入はないし、自分の生活を脅かすほど費やす器量もない。

いくら大好きだからといっても、私は私が何より大切だ。
それに、知っている。
壊れるほど愛しても、1/3も伝わらない。ということを(某楽曲より)

大好きなものにお金を使うときは、私が幸せになるとき。

それがグッズなのか、ライブなのか、FCなのか。どれでもいいけど。
愛情を伝えたい衝動はもちろん発生する。
それはそれは膨大な量で生成される。そして伝える。

私の伝え方は、長文ファンレターかライブ会場での盛り上がりが主。
本当に伝わってるかどうかは案外どうでもいい。
私が「好き!大好き!愛してる!!!」って言いたいだけだから。

いや、本当はちょっと伝わってたらいいな。と思ってる。
なんなら、反応があったらいいな。と心のどこかで思ってる。

(本当は)については、きっと誰しもが抱くものと信じてる。
これは見返りを期待していることになるだろうな。
過度な期待は身を亡ぼすので、反応はない体で進めていく。

愛情の大きさを金額に反映させてはいけない

ここが今回の一番重要なポイントだ。
与えられたもの、提示されたコンテンツに対して、自分が幸せになれる金額を投じる。これが最高。

ふと立ち止まると、FCの存在って意外と微妙なもの。
これこそ、見返りあってのコンテンツになってしまっている気がする。

月額ないし年会費を提示され、特典等を理解しFCへ入会する。
会費に対して特典等が見合っているのか。を個々で協議していくわけだ。

これが難しいもので「金額に見合った待遇」とは、本当に千差万別であり、余計なものを見聞きするほどに、応援するってなんだろうな。と首を傾げてしまう。

事務所側から「FCありますよ。公式で応援しませんか」と招集されている。
そして「応援するためには○○円が会費で必要です」とされる。
加えて「応援してくれる代わりに、ライブ優先申し込みあります、限定コンテンツあります」などと出される。

公式FCの存在を否定するわけではなく
応援したい。と、応援されたい。の相互関係を、運営してくれるのだから、こんなに有難い存在はない。

先にも述べたが、やはりFC加入特典は「先出情報」とか「優先受付」くらいでいいんじゃないだろうか。

間口だけエラい広く取ってもらって、入るも出るも自由で。
多少の手続きは必要だけど、住所とか支払情報とかは必要なとき、必要な人だけ入力すればいいし。
ワンストップでなんたらって流れはあるけど、実際に使用されてない情報登録しておくのもなんだな。とも思っているし。
ファン側にも特典の取捨選択をさせたほうがいいと思う。

定額はかけずに、コンテンツ事の個別料金制にしてもらったほうが、いくらか気が楽になる気がする。

遊園地みたいな感じ。入園料は無料で、アトラクションごとに料金が発生するタイプ。でも結局、2コンテンツ以上利用するなら、年会費払ったほうが安いよ。的な。

そんなのを施行しているFCって、どこかにありそうだけど
正直、運営管理面倒くさそう。下準備と説明が特に。
というか、このシステムだと運営費賄えなそうだな。

繰り返すようだが、愛情を金額で量ってはいけない
他人に愛し方を強要するのもよくない。
他人と比べると、過ちを犯しがちになる。
人それぞれに合った愛し方が、絶対にある。

受け取る側は、多ければ多いだけいいだろうが、
活動する以上、ファンの分母を増やす努力をし続けなければいけない。
ファンの思想に甘えるな。
お前らは絶対に、たかるな。絶対に、だ。

運営費・活動費諸々が必要なのは、さすがにわかっているので、
行き過ぎていないグッズであれば、だいたい買うし、
会いたい気持ちの一心で、ツアー全通に勤しんだりもする。

そこに対して、
チェキ1枚2,000円とか、デザイン性の低いアパレル品とか、
「ファンなら買うでしょ」のような、
足元を見た発想のグッズや特典を頻発させてはいけない。

愛情をお金に変換させる言動が「たかる」ということ。

再三言っている、愛情を金額で量ってはいけないのは、
あちらも、こちらも、同じ。
どこか「水商売に気をつけろ」と言っている雰囲気もあるが
これは、遠からずな話である。むしろ、そのものかもしれない。

彼あるいは彼女を支えているのは、あなただけではない。

話をFCに戻すと、
FCにおいては、コンテンツのラインナップが先にわかるので、どの程度の量か文面で確認が取れる。あとは実際の更新頻度が問題になる。

「金額に見合った待遇」を考えると、
万人が納得する内容は、実現不可だろう。

だからこそ、ファン自身が決めなければならない。

「〇〇円払ってるんだから、もっとこうしろ」などというのは、サービスの搾取であり、それは恫喝であり恐喝だと思っている。

提示された金額を支払っていながら、サービスに不満を感じるのであれば、スッと辞めればいい。退会しよう。
しかしながら、愛情があるが故にFCに入っているのだから、そう易々と辞められるわけがない。
その日まで支払ってきた金額も、安い合計ではなくなっている。
天秤にかけていくと、どんどんストレスに変化していくだろう。

さて、愛情とは、応援とは、いったいどんなこと指すのだろうか。
いったい何をすれば、気持ちを伝えることができるのだろうか。

FCとは罪な存在である。

その人を好きなファン同士が集い、好きな金額を好きなだけ捧げるシステムになってしまうと、支払い金額によるサービス格差が発生し、
それこそまるで水商売のようになってしまう。

であれば、やはり公式運営による一括管理が最適なのかもしれない。

愛情と金額とサービス。(部屋とYシャツと私。のリズム)
エンタメに関わらず、ここの均衡をとるのは到底無理な話だ。

自身が幸せになるために、お金を使う。
親愛なる誰かのためにお金を使うと、金額分の見返りを欲してしまう。

愛情の大きさを金額に反映させてはいけない。

だからこそ、ここは、自分自身を知ることで着地させたい。
幸せの妥協と呼ぶのは少し違うが、満足しない程度で過ごしたい。

自分なりの愛し方を模索し、
大好きなエンタメとの適切な距離を保って、
用法容量を守って、正しく愛していこう。

エンターテインメント、良い薬です。

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