「いいね」っていいな。

いろんなSNSがあるので、いろいろ使っている。
・Twitter(現 X)
・Instagram
・Threads
・Facebook
・LINE
・note
・YouTube

他にも、アカウントはあっても開いていないSNSがいくつかあるが、現状、回せているのはこのくらい。いい具合に住み分けができていると自分では思ってる。

住み分けの内容的にはこう。
・Twitter(現 X)→日常、愚痴、愛情、閉鎖的、高頻度
・Instagram →思い出の良いとこ取り、キラキラ捕獲、開放的
・Threads →好きなことだけを好きなだけ、限界オタク希望
・Facebook →旧友との義理、情報収集、楽しくない
・LINE →連絡ツール
・note →思考整理、I/O、対自分
・YouTube →多面性の増長、好感の増幅、閲覧のみ

住み分けイメージはこう。
・Twitter(現 X)→冷蔵庫:しょっちゅう開けちゃう
・Instagram →窓:空気の入れ替え
・Threads →タンス:大事なもの入れる
・Facebook →屋根裏:要るんだか要らないんだかわからん
・LINE →水:すぐ喉乾く
・note →ボールペン:書きたいだけ書く(noteなので)
・YouTube →テレビ:まんまじゃん

昔はアメブロもlivedoorもmixiも魔法のiらんどもやってたし、どれもこれも気づいたら辞めていた。厳密には更新していないだけで、アカウントはいる。たぶん。確認のためでも、寝てるアカウントを起こすのは怖い。
過去に置いてきてるSNSたちは、恐らく黒歴史と呼ぶに等しい存在だろうし。そんなもの、夏の怪談より怖い。そっとサ終しててほしい。
(iらんどはサ終したっけか…)

続かないまま黒歴史と化した原因は、SNSごとにキャラ付けをしていたせいだと思う。他人になりたかったのかな。あとは、始めたからには続けなければならない、という強迫観念に駆られて逃げた。振り返れば何に追われていたのか、さっぱりわからず。たぶん何にも追われてなどいない。強いて言うなら、私自身かもしれない。作ったキャラの維持って難しいもの。

そもそも私は、自分の考えてることを紙に書きだすのが好きだった。その延長線上にSNSがあった。リアルでは口数の少ない私なので、インターネットで言葉を吐くようになったら、饒舌も饒舌。言葉ってこんなにスルスル出てくるものかと思うほど。どのSNSでも、もちろん投稿は毎回長文だ。
それは今もなお。

所謂ブログには、行ったライブの感想などをよく綴っていた。良いと悪いを混ぜ込みながら、自分の趣味嗜好に偏った感想をつらつらと残していた。万が一、その感想がアーティスト本人に見つかってしまった場合に備えて、ある程度言葉は柔和にするよう考慮したと思う。
自己満足なものだとしていたが、どこかで他人に読まれたい気持ちもあった。評価というより、共感かもしれない。

今は各SNSに特色があるので、使い分けも意外とスムーズにいけてる。なにより、キャラ作りを辞めた。回してるどのSNSを覗いても切り取っても、どこをどうしたって私でしかない。私にしかならない。逆に怖い。
それに、書いたものを宣伝しなければならない。なんてことも一切ないし、このnoteだって、たぶん読者は私一人だ。
キャラを作らずとも、自分が自分であることを認められるようになったのは、シンプルに大人になったんだな。と自身の成長をここで急に感じている。

後続のSNSもいろいろ出てきてはいるが、果たして始めるんだろうか。好きな芸能人が始めたら始めるのかもしれない。情報収集のために。ただ、複数のSNSをやってる芸能人が新たなSNSに参入したとしても、現行SNSが生きてる以上、異なる情報が流れてくることは少ない。
それがクロージングな世界でないなら、急いで始めることもないな。と考えてしまうが、いやきっと、まぁまぁな速度で始めるな私は。

たくさんのSNSを通じて、ネットリテラシーを学び、他人との距離を測り、表面と裏面を目撃し続け、真偽の天秤に掛かる事柄を自身で精査し続け、静観とミュートとブロックを覚え操り。そこはかとなく「いいね」に魅了されている節がある。

いくら自己肯定感が高いとはいえ、他者からの肯定や共感は、何度受けても心地よさを感じる。姿が見えないことのメリットを、私はこういうところに強く感じている。
SNSって「いいね」。

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