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嘉道
2023年12月11日 06:38
普段生活をしていて、ふと、「なぜ」あるいは「これは何だろう」と思うことはないだろうか。 友人と話していて、なぜここで笑うのか、どうしてそういう態度を取るのか。誰しもそんな疑問を感じることがあるだろう。それが哲学になる。哲学は日常生活の床下に潜んでいる。それは広くて、深い。難しい専門用語を並び立てる哲学も確かにある。だが、哲学はそれに限ったことではない。それは日常に寄り添っている。むしろ、専門
2023年9月20日 07:34
志向性の概念は、フッサールが創唱した現象学と密接に関わっている。ドイツで過ごしたフッサールという哲学者は1900年前後に活躍した現代思想の担い手の一人である。これは現象学の対概念ノエシス/ノエマ(作用/対象)と関連づけられる。志向性は心を考える上で大きなヒントになる。 例えば、私がコップを持つ。これも志向性の性質が関わっている。コップという対象に<向かって>手を伸ばし、コップをつかむ。これが
2023年7月25日 05:32
「思弁が終る、まさにそのところで信仰が始まる」(キルケゴール)「信仰と懐疑とは、互に相応ずる。それは互に補いあう。懐疑のないところに、真の信仰はない」(ヘッセ) 信じるとは何だろうか。 ある対象に疑いがなくなったとき、信じることができる。果たしてそれは可能だろうか。逆に、当たり前なことを疑うから世界が広がることがある。デカルトは「我思う、故に我あり」と喝破した。自分の思うことは疑うことが
2023年7月17日 06:39
愛とは元氣づけることだと思う。自他共に対して。 例えば、愛する人が風邪を引いたとする。そのとき自分の「愛の力」で抱きしめても風邪は治らない。やはり風邪薬で治す。ただ、治るまでに看病して身の回りの世話をし、元氣づけることはできる。それが愛と呼ばれるものではないか。困難に直面したときにその人の真価が問われる。そのときにその人の愛を確認することができる。 一方で、自愛というものもある。自分をいた