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志向性という着眼点

考えるということは常に何かについて考えることであり、喜ぶということは常に何かについて喜ぶということである。このように心的状態が示す、何らかの対象<について>ないし何らかの対象へ<向かっている>という特徴を<志向性>という。

『岩波 哲学・思想事典』


 志向性の概念は、フッサールが創唱した現象学と密接に関わっている。ドイツで過ごしたフッサールという哲学者は1900年前後に活躍した現代思想の担い手の一人である。これは現象学の対概念ノエシス/ノエマ(作用/対象)と関連づけられる。志向性は心を考える上で大きなヒントになる。

 例えば、私がコップを持つ。これも志向性の性質が関わっている。コップという対象に<向かって>手を伸ばし、コップをつかむ。これが志向性。また、ノエシス/ノエマという対概念も関わる。ノエマというコップの対象に、ノエシスという手を伸ばしてコップをつかむ作用がこれに当たる。そのコップを持つという行為には、意思が働く。意思という心がないとコップを持つことはできない。「コップを持ちたい」という意欲が心的状態を示す志向性である。なぜなら、コップという対象に意思が<向かっている>から。だから、志向性は「心が身体を動かす」ことでもある。ある対象に向かって、身体を通して心が動かすのである。先ほどの例で言えば、「コップを持ちたい」という心が、手を使って、コップを持つ。コップという対象<について>「心が身体を動かす」。

 志向性は、心と身体の問題でもある。この問題は哲学で古くから考えられてきた。特に、近代のデカルトの「心身二元論」の考えは有名である。心と身体を別々に考える。二つに分けて考える。このアイデアが現代の医療に引き継がれる。というのも、手術は身体を物と考えるからできる。デカルトの心身二元論の考えが現代でも生きている。それでも、まだ心身問題は解決されていない。心にはまだ謎が多いから。その心を考えるヒントに志向性が関わる余地がある。心という大海原に志向性という船が出航する。

 志向性には、対象が欠かせない。そこに作用する働きかけがある。考えて働きかけることもあれば、喜怒哀楽で対象に働きかけることもある。その作用には対象という到達点がいる。感情だけでなく、思考も心と捉えれば、心という様々な作用があり、また、様々な対象がある。だから、志向性は面白い。人々の探究心をかき立てる。志向性の旅はこれからも続く。

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