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なぜ先生が学校を休んでいたか、話すね。

今回は、「わたしが先生を休職するまでの話を、もし生徒にするとしたら」をテーマに、オープン学級通信として書いてみました。

この記事は、「休職」「復職」「自己肯定感」に興味がある方におすすめです。

♪〜キーンコーン カーンコーン〜♪(始業チャイム)

こんにちは。
 
みなさんとは、約半年ぶりの再会ですね。
まずは、急に授業に穴を開けてしまったこと、そしてこのクラスの担任を降りたことを謝りたいと思います。
いろんな心配や不安な思いをさせて、本当に申し訳ありませんでした。
 
ご存知の通り、わたしは「体調不良」により学校にくることが難しくなっていました。だから、学校にいる他の先生にお願いして、わたしの代わりにみなさんを支えてもらう選択をすることになったわけです。
 
もしかしたらその時、みなさんの中にはこう思った人がいるかもしれません。
 

「体調不良」って何?いったい何があったの?もううちらの前には現れないの?

このまま、何も言わずに学年が上がった頃そっと戻ってくることもできました。
「体調不良」は「体調不良」です、でも戻ってこられてよかったね!で完了してもいいんです。
 
でもね。
わたし自身がそれだと中途半端でいやなんです。
なんかあったけど、戻ってこられたからよかった、けど、戻って来られなかったら何があったかも知ることなく人生の記憶から薄れていく。人の出会いと思い出なんてそんなものなのではないかと。
 
わたしの身に起こったことは、多かれ少なかれ、みんなが生きていく中で体験する可能性を秘めたものなんじゃないか、と思っています。だから、なあなあによかったねに終わらせず、みなさんに「知る」ということをしてほしいんです。
 
全く知らない「0」の状況と、ちょっと知った「1」という状態では、
あなたの「視野」に与える影響が大きく違うんです。

もし将来あなたが困った時、もしくは大切な誰かが困った時に、あなたの持っている「視野」によってちょっとでも自由に、幸せになるのであれば、わたしはそれが願いだと考えました。


 前置きが長くなりましたね。
こういう理由で、わたしはみなさんに、「体調不良」がなんだったのかをお話ししたいと思います。
どうか最後まで、お付き合いください。

先生が学校をお休みすることになった理由 

まず、わかりやすい症状として睡眠にあらわれました。
夜寝る前に謎の不安に心臓がドキドキして、寝つきが悪くなりました。
また、朝起きたあと、脱力感や不安感で、なかなか身体が動かせず、家を出るまでに時間がかかるようになったのです。

そういう症状が出てきた少し前から、学校生活の中でもある変化が起こるようになります。それは、事あるごとに「自分を責める気持ち」がわきおこるようになったという変化でした。
 
例えば、自分が担任としてホームルームで話している時、その会を終えて職員室に戻っているとき、授業中にみんなの反応を見ている時、授業が終わって職員室に戻っている時、放課後にクラスでみんなの様子を見ていたりおしゃべりしている時。

その全ての時間で、次のような気持ちが起こります。

「わたしは、また、みんなが自律できるような取り組みができなかった」
「うまく話が準備できなかった」
「あの子もこの子も話を聞いて欲しそうだったのに、疲れてそれができない。
向き合えていない」
 
こんな自分を、誰か叱ってくれ
こんな自分なんて、いなくなれば…

このような自分を責める声を、自分自身に毎日かけるようになってしまいます。
だから、だと思うのですが、自宅に帰ってから学校のことを考えると「行きたくない」「また自分を責めてしまう」と拒否反応を起こすようになり、おそらくそれが身体にも現れたのかもしれません。
 
はたから聞くと、「それなら、自分のことを責めなければいいじゃん」と思うかもしれません。

しかし、それを意識すればするほど自分のできないことばかりが見えてしまい「むしろ自己否定すること自体を責める」という、もはやよく分からない状態にまでなっていたのです。
 
ここで勘違いしないでほしいのは、生徒のみなさんがわたしの言うことを聞いてなかったからだ、授業ちゃんと聞いてなかったからだ、とか責任を感じないでほしいと言うことなんです。


例えみなさんがどんなに勉強していても、言うことを聞いていたとしても、全員東大入れるくらい既に成績優秀だったとしても(笑)、まあとにかく先生が喜びそうと一般的に思われている状態だったとしても、当時のわたしは自分を責めていたのだと思いますから。
 
つまり、みんなの状況のせいでわたしが自分を責めたわけではなく、
わたし自身が「できないこと」ばかりに目を向けたり、「緊張」や「不安」や「辛い」などの負の感情を押し込めて、無理矢理やるべきことだけを追いかけていたからこそ、身体と心が限界を迎えてしまったのだと言うことなんです。
 
もっと言い換えると、

「自己肯定感」を感じられてない状態が症状としても現れた。

だから、わたしは、おやすみをもらうことにしました。
 
おやすみをもらって、「ただ生活をする日々」の中で、
「自分で自分を認めるためにできること」を考え抜きました
ある意味、わたしにとっては「おやすみ期間」と言うよりは、「自分を知ると言うお仕事」をしていた時間だったと、今は思っています。
 
 
…さて、まもなくチャイムがなりますね。
まず今日は先生が学校を休んだ理由についてお話ししました。
次のホームルームでは、もう少し「自分を知るお仕事」で得たものを話しますね。
それでは、また次回。
 
今日も、楽しい一日になりますように。
ありがとうございました。
 
♪〜キーンコーン カーンコーン〜♪

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