【日記】長編:猩々と照る秋霖に体を唸らせていざスタート
10月下旬
夜明けが少しずつ遅くなり始める秋の早朝、日中は気温が上がるが朝晩が寒いこの時期はベットに張り付いた重たい体を引き剥がすのも一苦労だ。
ぬくぬくしたい気持ちを抑えてスマホに手を伸ばす。まだ陽の光がさして来ていない。目覚ましも鳴っていない。とりあえず寝坊は避けられたようだ。
一緒に寝ている子供の頭がちょうど脇腹に突き刺さっている。
起こさないように慎重に起き上がる。
緊張感はない。少し憂鬱さを感じながら音を立てないようにリビングへ向かうが膝がパキッっと鳴り一瞬にして緊張感が高まった。(そっちの緊張かい!)
無事にリビングに到着し、シンとした静けさを消し去るように電気をつける。今から朝飯を食べてエネルギーを補充する。
スタート3時間前までには朝食を済ませておくこと
前日にネット記事で読んだことをそのまま実行に移す。
すでに経験不足が顔を出している。
お腹が痛くならないように食べ過ぎ、早食いには注意。
いつもよりも少ない量を口に含み、いつもより多く噛んでご飯の甘さを存分に味わい胃に落とす。
いつもしないこの所作を正月だけ神様にお願いする行事みたいに、その時だけやって効果があるものなのか?と疑問に思いながらも律儀に実行するのだからなんとも滑稽だ。
準備は前日に済ませてある。
あとは無事に会場に到着すればいい。
ゆっくり支度をしたが意外と時間が余ってしまい、手持ち無沙汰感が否めないので早めに家を出た。外は結構寒い。冬の匂いがしそうだった。
上空には羊雲が浮かぶカラッと晴れた秋の河川敷が今回の会場だ。
到着すると草の匂いがなんとも懐かしい感じがして地元に帰ってきた感じさえあった。もちろん参加者のほとんどはまだ来ていない。
早く着き過ぎた。。。
「緊張していない」は緊張しないための思い込みだったのかもしれない。
レース前にどう過ごしていいかなんてもちろん存じ上げない。
誰にみられてるわけでもないのに、やることがないからと余裕ぶったそぶりで寝転んでいた。
「開会式が始まりますので、声が聞こえるところにいてくださーい!」
と司会者の声が聞こえた頃には多くの人が本番用の格好で舞台の前に立っていた。
完全に出遅れた。。。
栄養補助ゼリーを飲み込み
急いで荷物を預けた。
コースの紹介、大会ゲストの紹介、ルールなどの説明があり、
あれよあれよという間にスタート時間になっていた。
「ではスタート10秒前からカウントダウンです!」
「10! 9! 8!・・・」
カウントに合わせて参加者の手拍子が高い空に鳴り響く。
カラッとした音は更に緊張感を高めた。
「やべーw始まっちゃう〜」
「3! 2! 1!バンっ!スタートです!」
「うわー始まったー!」
ワクワクと期待と緊張と不安とワクワク
感情のビックマックと共に走り始めた。
参加登録時にあらかじめ設定していたタイム順でのスタート位置についていたので、目標タイム通りに走ってくれるペーサーも一緒にスタートした。
「この人たちについていけばいいのね」
背中についた目標タイムを見ながら走り出したが、思ったよりペースが遅い。。
「これはいけるか・・?」
と自分の目標タイムよりも早い集団に取りついた。
それでもまだ遅い感じがしていたが、これから5時間近く走るのだ。
こんなものかと思いながら歩を進めた。
1周10kmのコースを4周する42.195kmの道のり
自分でもどんな状態でゴールするのか想像すらできない。
そう。ゴールのことしか考えられないほど
自分史上最も想像することが難しいことが始まったのだ。
1km 6分10秒前後のペースで最初の10kmを走破
足は重たくなってきたが、結構動く。
「いい感じかもしれない!」
最初の一周で給水の感じもなんとなくわかった。
次の一周が終わればあと半分。余裕かも!!
12km過ぎだった。
「バチっ!」
左ハムストリングスに強烈な痛みを感じた次の瞬間
左ふくらはぎもこむら返りのような痛みを感じすぐ止まった。
「めっっっっっっちゃ痛っった!!!」
ああ。。もう、きっと、、ハムストリングスはミートグッバイ。
このレースもグッバイ。。
感情のビックマックは光速で
揚げたてのポテトの端っこのカリッカリの部分の様になった。
硬い方が折れやすい。硬い方が消化しにくい。
「あー今やめれば菊花賞に間に合うなー」
なんて足を引きずりながら歩いていた。
今年の菊花賞は主役級が不在で2002年の時みたいなんだよなー
と勝手に当時の菊花賞を想像していた。
リアルタイムで見ていた菊花賞を思い出した。
「荒れるんだろうな〜」いきなり怪我したし、いい感じで払い戻し受ければトントンかなーと当時のレース映像を頭の中で再生した。
馬場アナ好きだったなー
とちょっと気候も相まってセンチメンタルな気分になる。
「いざ!18頭スタート!・・あぁー!っと! ノーリーズン落馬ー!」
スタート直後の一番人気の落馬。
110億の馬券が紙切れと化した伝説のスタートを思い出した。
「ん?別に一番人気じゃないけど、いま同じ感じじゃん」
人気の馬券を握りしめていたのは確かだ。
自分に一番期待していた馬券だ。
スタート前は晴れやかな姿でゴールしている想像ばかりしていた。
目標タイムよりも早くゴールし、意外とできるじゃん!自分!
なんて思いながらバキバキの体を引きずって家に帰る最中SNSへ今日の頑張りを投稿し、いいね!という賞賛を受ける姿ばかり想像していた。
今、目の前に広がる現実はどうだろう。
明らかに自分より走れなさそうなおじさんに抜かれ
どうして参加したの?っていうぐらいラフな女の子に追い越され
半分以上残っている距離を諦め、馬券を買おうとしている。
ノーリーズンはその後一度も勝っていない。
もちろん勝ちたくても勝てないのが競馬だ。
競馬歴20年の経験がそんなこと当たり前だと言っている。
自分はどうだろう。何をしにきたんだろう。
別に何かを変えたくて来たわけじゃないけど、何かが変わるきっかけが今日になってもいいんじゃないか?勝ち負けじゃないけど諦めなくてもいいんじゃない?歩いて完走してもいいんじゃない?
残り30km
なげーよ!
何時間かかるんだよ
制限時間内にゴールできんのかよ・・・
「逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ」
暴走モード突入!
激アツリーチの如く初号機が暴走してしまった。
完走した自分と後悔と悔しさと後悔と完走した自分
の17時以降のビックマックになっていた。
残り半分
20km
右足ハムストリングスがつり
右足ふくらはぎもつった。
両足グッバイ状態。
テンションも天高くグッバイ状態。
自転車に乗って釣竿を持ったおじいちゃん
私もどうか釣り上げて欲しい。
足は既につれてます。
最後の折り返し
すれ違う人たちは数名
学生の時のマラソン大会を思い出す。
たった10kmだったが、お米が好きそうな見た目通り、
一番ビリで先生と一緒にゴールを目指していた。みんなに笑われながらゴールテープを切ったその時の恥ずかしい印象が強烈に残っており、以降マラソンは苦手競技になった。
「あーやっぱマラソンはダメなんだなー」
と萎れた心で足を引きずる。
「もう足も限界よ。。
ゴールしたら泣いたりするとか嘘でしょ。
感動要素一切ないわ。」
と悪態をつくのもあと1km
運営テントが見えてきたその時だった。
「お待ちしておりました〜!!」
スピーカーから声がした。
カウントダウンをしたあの声だ。
学生のマラソン大会の記憶がまるで
ウォーキングデッドのゾンビの様に蘇る。
ゾンビ状態なのに。
笑われた。
でもおかえりの笑顔だった。
あの時の見下された笑いではない。
会場に参加者はほとんど残っていない。
待っていてくれたのだ。
もちろん制限時間には程遠い。
みんな仕事だから最後まで運営をしなくてはいけない
でも
待っていてくれたのだ。
「すみません!ありがとうございます!お待たせいたしました!」
自然と出た言葉だった。
あの時の恥ずかしくてすぐに逃げてしまいたい気持ちはそこにはない。
大人になったなーと自分でも思った。
マラソンへのトラウマもこれでなくなるだろう。
何かが変わったわけではない。でも何かが変わるきっかけになるかもしれない日だった。
2002年の菊花賞でノーリーズンが落馬したことで人生が変わったであろう、ヒシミラクルおじさんの様に。
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