IN & OUT
皆さんの「noteに投稿する意味」は何ですか?
人それぞれ違うでしょうし、同じ人でも、日によって違うこともあるでしょう。
基本的には「自分のため」か「誰かのため」に大別されるんだと思います。
私の場合は「自分のため」だと思いながらも「読んでくれる誰かのため」とも思っています。だからこそ公開しているわけですから。
私には「noteに誘ってくれた方」と「リアルでも交流のある方」が数名、フォローしてくれていますが、他の方は、この「note」でのみ関わっている方々です。
「関わっている」という言葉は、なかなか難しいニュアンスでして、私にとってはnoteを拝見させていただいている方々は、とても親近感を抱いているのですが、人によっては、もっとドライに捉えている方もいるでしょう。
毎日は確認したりしないのですが、数名の方がフォロー解除されていました。これ自体は、自然なことですし、相手の方次第なので特になにか思う、といったモノではありません。
私は、生まれた時からSNSがあった世代ではないので、「フォロー」というモノの捉え方は、今の若い方とは少し違うと思います。
ふっ、と感じるこの寂しいような感情に気づいて、自分で意識していた以上に「誰かのため」と思って書きたかった欲求が強かったのだと思いました。
…もっとも、この感情は「驕り」だと思いますが(笑)。
私はまだ、「何かを成した何者」でもないわけですから。そこの線引きを引いていたはずで引けてなかったことに気づけて良かったと思います。
最近は「日記」で、以前は「読書感想文」、たまに「公的機関の刊行物紹介」というように、バラバラな記事が散乱している現状、「読書感想文」を評価していただいた方からすれば、「日記」は求めているものではないわけです。
つまり、フォローを外された方というのは、きっちり自分の求めているものを明確に自身の中に判断材料として持っていて、それに従っただけなんだと思います。
私は、こういう生き方ができる人に好感を抱きます。
フォロワー収集(言葉が悪いかもしれません、ゴメンナサイ)が目的ではない可能性が高いわけですから、本当に私の文章に一定の評価をして下さっていたのだと(勝手に)思っています。
ありがたいことです。
これからもジャンルバラバラな私ではありますが、誰かに評価していただけるような投稿ができるようになりたいと思います。
気づきは自己研鑽の種ですから。
ということで、今回の投稿は以上です。
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