見出し画像

浅薄っ!

「浅薄」=知識や考えが、浅く薄っぺらなこと。浅はかなこと。

まずは、いつも訪問してくださる方々に感謝申し上げます。なかなかお礼のコメントなど書きに行けず、このような形での謝意になってしまいましたが、訪れてくださる方がいるからこそ、投稿する意味があると私は思います。

今回は(も?)「書きたいことがあり過ぎてまとまらないから、とりあえずノープランで書いてみよう」な回です。

ーーーーーーーーーー

私は「他人と比べる」ことって、それ自体は悪いことではないと思っています。

例えば、「○○さんの投稿って、いつも面白くて思慮深くて憧れるなぁ」と思ったとします。

だから自分も今より素敵になろう!」と思うのは悪いことではないと思うのですがどうでしょう?

他人がいるからこそ自分が磨かれていくし、そんな自分を見て、また違う誰かが磨かれていくという循環は素晴らしいですよね。

一方、「○○さんに比べて私なんて…」これが宜しくない状態だというのは、多くの方に共感いただけると思います。

ーーーーーーーーーー

一事が万事、当てはまることではありませんが、他人の「結果」だけみると自分を卑下してしまう傾向が強いと思うんですよね。「過程」が見えれば、自分も頑張ろうという気持ちが芽生える可能性が高まると思います。

ですが、この「過程」において、わざわざ格好の悪い状態を他人に見せる人は少数派でしょう。

成功者」が成功した後に「失敗談」を語っても、「結果」が見えている「過程」なので、カッコ悪い感じになりません。

…何を言おうとしたんでしたっけ(>_<)?頭を整理します。

ーーーーーーーーーー

言い方が悪いかもしれませんが、「カッコ悪くても過程をさらけ出せる」というのがnoteの魅力の一つではないでしょうか?

noteは、皆さんの「」を切り取って出来ています。「結果」は書き続けている限りやってこないと思います。「区切り」はあるでしょうが。

これだけの人が「過程」をさらけ出しているからこそ、投稿者も読者も「また書きに来よう、見に来よう」となっているんだと思います。

結構な頻度で目にするフレーズに「他のSNSと違って、noteは優しい」という文言があります。皆さんも目にしたことがあるのではないでしょうか?

それって、誰もが失敗や悩みを抱えて尚、生きているからだと私は思います。

だからこそ、私は皆さんに憧れるのです。

ーーーーーーーーーー

正直、悔しいとか思う時があります。「もっと伝えたいことを伝えられる書き方をしたいのにできない」と。

自分の知識量の少なさにゲンナリすることもあります。

だけど…

まだ「結果」ではなく「過程」なので、のちのち自分の投稿を見返したとき成長を感じることが出来たらいいなぁ、と思いますし、誰かに何かを届けられたらなぁ、とも思います。

皆さんはどうですか?

ということで、今回の投稿は以上です。

この記事が参加している募集

noteでよかったこと

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?