「ステータス」は上げるだけじゃなくて下げることもリアル社会においては求められている⁉
ゲームなどをされたことのある方には馴染みのある言葉だと思うのですが、今回は「ステータス」について書いてみようと思います。
まずは、辞典から「ステータス」の本来の意味を掲載しておきます。
【ステータス(status)】
1 社会的地位。また、それを表すもの。
2 コンピューターやコンピューターネットワークなどで、動作中のハードウエアやソフトウエアの状態や状況。
3 コンピューターゲーム、とくにオンラインゲームやロールプレーイングゲームに登場するキャラクターの状態。能力、経験値、所持する武器などを指す。
(デジタル大辞泉より)
…冒頭に私が記したのは「3」の意味合いでしたね。
現在では、「1」の社会的地位に「3」の要素を取り入れて、自身の社会的な能力を数値化するといった言語表現も一般化してきていますね。
「ステータス」は当然に高めていくモノですが、どうやら私たちが生きるリアルな社会では低くすることも大切なのかもしれません。
一体どういうことなのか?
最後までお付き合いいただけると幸いです。
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最初に、今の社会で「ステータス」がどのように用いられているのか考えてみましょう。
先ほど述べたように、私たちは社会的地位を数値化して表現するようになってきたのではないでしょうか?
「私、コミュ力ゼロだわ…」
「今度の上司、考え方がレベチだわ」
「アカン!ステ振り間違えたかも…‼」
…などなど。
「コミュ力ゼロ」とは社交性がないこと、「レベチ」とは「レベルが違う=想像以上の能力」といった表現方法で、「ステ振り」とは「ステータスの振り分け」を指し、自身の知識や技術、経験といったものが通用しないときに嘆く言葉として用いられることでしょう。
他にも、あなたの日常で用いられている表現があると思うので、改めて考えてみるのも良いかもしれませんね。
次に「社会的地位」といった部分をフォーカスしてみることにします。
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私自身が社会的地位の低い立場にあるので、ここでは想像してみるしかないのですが、「ステータスシンボル」というキーワードを中心に書き進めてみることにします。
…と、いろいろ検索してみたら「Wikipedia」の文章が非常に理解しやすい表現だったので、一部引用文として掲載したいと思います。
高級住宅、別荘、高級車、高級衣服、美術工芸品、高級腕時計などがこれに当て嵌まっていることが多い。過去の日本では価格が高いということだけをステータスシンボルと判断するような風潮も存在していたため、高価格であるということだけを理由として商品を選択する消費者もいた。その頃の輸入品は国内の同製品と比較してみれば高価格になっていたことから、輸入品というだけで「ステータスシンボル」になるという時代も存在していた。
だが、時代は変わり、高級品には価格相応の価値(品質、性能)が要求され、また高品質の低価格商品が求められるようになっている。そして輸入品も一部の人のみが購入できるステータスシンボルではなくなっている。 更に、昔は「ステータスシンボル」であった物も本質的な価値、つまり実用性の伴わない高級品は滑稽で悪趣味なものとして忌避される考え方も一般的になりつつある。
つまり、現在も好む方がいますが、価格の高い商品を持っていることで、自分自身の価値も高まっているように感じる象徴的なものを「ステータスシンボル」と言うのでしょう。
今現在、代表的な「ステータスシンボル」として私が感じるのは「マスク」です。
マスクをしていない人、あるいはマスクをしているが鼻を出していたり、大衆がいる状況でマスクを下げて話をしたりする人を見て、あなたはどのように感じるでしょうか?
また、一般的な不織布のマスクではなく、デザイン性のあるマスクを着けることで、自身のステータスを示すといったことも、日常でよく見かけるのではないでしょうか?
このように、「ステータス=社会的地位」として捉えた場合、私たちは当然のように、一定以上のステータスを保っていたいという無意識的な行動を取っていることが多いのです。
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それでは、タイトルにあるような「ステータスを下げる」状況とは、どのようなモノなのでしょう?
…実は、私たちは気にしていないだけで、普段からステータスを下げる行動を取っていることがあるのですが、お分かりになりますか?
ここまで書いてきた内容では、「ステータス=社会的地位」という意味合いが強く、低くすることにあまり意味を成さないものでした。
例えば、節約のために安価なモノを選んだとしても、それは「高級品」というステータスが「エコロジー」に変化しただけであって、モノの価値の視点を変えただけに過ぎません。
そのような志向の方にとっては、「価格」は意味を成さず「環境への配慮」がステータスなので、「ステータスが低い」とは異なります。
「ステータスを下げる行動」の際たるものとは「会話」です。
私たちが誰かと話をするとき、「相手を立てる」や「自分の卑下する」といった行動を取ることがあります。
これは本意であれ社交辞令であれ、ステータスを示す言語表現ということです。
一つの例示から、改めて会話に隠れている「ステータス」を考えてみましょう。
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A:この前買ったコンビニスイーツ、久々に当たりだったわ!
B:へー、いいね!私のオススメは○○かなー
A:アレもいいよね‼…あー、でもやっぱり、当たりだったスイーツが食べたいわ。
最初のAの発言では、コンビニスイーツがステータスを示すキーワードになっています。
「久々に」という表現から、Aの頭の中で複数の候補がノミネートされ、その中でも特別であったことを窺い知ることが出来ます。
つまり、Aは自らのステータスを上げる発言を行ったということになります。
一方、Bは「へー、いいね!」という表現によって、Aのステータスを上げる発言を容認したカタチとなります。
しかし、このままではBのステータスはAよりも下になってしまうため、自らのステータスをAに並べるために「私のオススメは○○かなー」と自身のステータスを上げる発言をしています。
最後のAの発言は、改めて自身のステータスを上げる表現を使っていることから、一見すると、仲の良い二人の会話なのですが、そこにはステータスを示し合うという側面もあると考えることが出来るのです。
…すべての会話をこのように考えていくと、心苦しくなると思いますので、あくまでも思考拡張の一つとして捉えてくださいね(汗)。
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それではまとめです。
私たちは社会的動物の一種です。
他の社会的動物は遺伝的に立派なトサカがあることや、鳴き声が美しいことがステータスであることが多いのですが、人間は後天的にステータスを変化させることが出来ます。
それゆえにステータスを示すことに執着してしまう悪循環に陥ることもありますが、それも人間の社会性の一側面だと私は思います。
ステータスを上げることは、言葉のままに社会的地位を高いものにする行為です。
しかし、高いステータスは平等で公平を望む社会の中で攻撃の的となることがあります。(低いステータスも同様)
そこで、私たちは社会性を保つために様々なステータスを上下させることで、他者とのバランスを保っているのではないでしょうか?
大企業の経営者に礼儀正しく腰の低い方がいるのは、肩書と人間性のバランスを保っているからであり、貧困層でありながら横柄な態度を取る方がいるのもまた、肩書と人間性のバランスを保っているからなのだと、私は考えています。
…以上、ステータスについて書いてきましたが、今回の記事を書くにあたって参考とした書籍があります。
まだ読了していませんが、自分の価値観を破壊し、再構築させてくれる良書だと思いますので、興味のある方は、ぜひ読んでみてはいかがでしょうか?
改めて、気づきをもたらしてくれる内容があれば、また投稿したいと思います。
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ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。
今回の投稿は以上です。
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