自分の価値を世に問う作業
noteの文章投稿は、二つの枠で捉えること事が出来ると思います。
それは「すでにある情報を発信すること」と「自分の想いを発信すること」です。
「すでにある情報」は、その情報を欲している方に届けることになるので、どんなにニッチな領域でもニーズはあるでしょう。
noteでは、読んだ本の紹介や、生活の知恵、ビジネス思考や各種の専門的な知見等、さまざまあります。
有益な情報を共有することもできるでしょうし、好きな情報を交換することも出来ます。
つまり、誰かに届く情報であるとも言えるでしょう。
一方で「自分の想い」は、著名人でもない限り、誰のニーズでもない情報です。
それでも発信する理由は、自分の価値を世に問う作業なのだと思います。
今回は、そんな「世に問う作業」について、書いてみようと思います。
最後までお付き合いいただけると幸いです。
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それは祈りにも似た心の叫び
想いを発信するということは、自分と世界とのズレを感じるところから始まるのではないでしょうか?
この感情は、あってはならないモノなのか?
この問いに、正解は在るのか?
心の孤独と闘いながら、SNSという仮想世界に向けて発信をする姿は、まるで電脳の神に捧げる祈りのようです。
誰かに届けたい、でも、誰かは分からない…。
誰もがリアルな自分を仮面に隠して踊る舞踏会の中、たった一人のダンスパートナーと巡り合うかの如き儚い希望を胸に、彷徨う行為なのかもしれません。
この想いは、誰にも届かないのかもしれない…。
それで叫ばずにはいられない…。
これは、インターネットやSNSという仮想世界の誕生がもたらした、人間の新たな本能なのかもしれません。
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偽りの自分と真実の自分
仮想世界は、私たちにさまざまな変化を与えました。
世界中の人との距離が縮まった半面、より孤独感に苛まれる様にもなりました。
このことにより、人間は新たな選択をするようになります。
仮想世界を偽りの自分で生きるか、真実の自分で生きるか…。
現実世界で抱えていたジレンマが、仮想世界でも蔓延してしまったことで、多くの方が心の病に侵されるようにもなってしまいました。
自分は、どんな存在なのか…?
情報の海にただ一人、生を確かめることが、自己発信という世に問う行動になっているのかもしれません。
これだけの情報、これだけの人間に囲まれて、なぜ人は孤独に陥ってしまうのでしょう。
「HELLO WORLD」
人は集団生活をすることで生き延びてきた種族です。
獰猛な生物に対しても、この集団の力で生をもぎ取ってきました。
結果、地球上でもっとも広い範囲で繁栄することに成功したのですが、そこには新たな課題が待ち構えていたのです。
それが差別と格差だと私は思います。
差別と格差は、人に生まれながらのヒエラルキーを与え、自由を奪い、強者の理論を打ち立てました。
私たちの発信する小さな声は、いつか電脳の世界で讃美歌となるのでしょうか?
見えない未来に向けて、今日も自分の価値を世に問う多くの声が、私には聴こえます。
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ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。
今回の投稿は以上です。
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