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主観的な意見を否定しないこと

批判はしてもいいと思うのですが、否定はしないこと。

そして、批判をするときは、相手との信頼関係をしっかりと構築し、「なぜそのように思うのか?」を相手に考えてもらえる状態であること。

これらを間違えると、人間関係のトラブルを引き起こします。

否定
1 そうではないと打ち消すこと。また、非として認めないこと。
2 論理学で、ある命題の主語と述語の関係が成立しないこと。また、その関係を承認しないこと。
(デジタル大辞泉より抜粋)
批判
1 物事に検討を加えて、判定・評価すること。
2 人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること。
(デジタル大辞泉より抜粋)

今回の「否定」と「批判」の比較に限らず、日本語は非常に多くの類義語があり、それぞれに明確な違いがあります。

例えば、「直ちに」「速やかに」「遅滞なく」という三つの言葉。

相手を急かしたり、こちら側が急いでいることを伝える用語ですが、最も緊急を要するのは「直ちに」で、次に「速やかに」となり、「遅滞なく」という順番とされています。

わずかな違いを気にすることは、ときに神経を尖らせ、ストレスの原因ともなりますが、自分が誰かに何かを伝えたいとき、このわずかな違いで正しく伝わらないこともよくあるはずです。

そうなると、今度はわずかな違いに気づかないことにストレスを感じるようになります。

ということで、今回は「否定」と「批判」という言葉から、他者との接し方について考えてみようと思います。

最後までお付き合いいただけると幸いです。

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「あのドラマ、次で最終回みたいなんだけど、私は○○だと思うの。」

「えー、違うでしょ。○○だよ‼」

…たまに耳にするこのような会話ですが、個人的に、すごく違和感を覚える会話です。

まだ事実が確定していない状態で、あくまで主観として話した言葉を否定する、というのが違和感の正体です。

「違うでしょ」と否定した人も、まだ結末が分からないはずなのに、なぜ他人の意見を簡単に打ち消すことが出来るのか?

他にも「普通」という根拠のない統計をもとに否定する人は、意外と多いものです。

「私、○○みたいなのがタイプなの。」

「えー、普通ありえないでしょ!」

…この場合の「普通」とは社会一般的というよりも、聴き手の主観に過ぎません。

相手の主観を自分の主観で否定する。

これでは、いつ何がきっかけでトラブルになるか分かりません。

相手の主観的な意見は、否定するのではなく、まずは受け容れるところから始めなければ、関係性も育たないと思います。

「受け容れる」ことを「受容(じゅよう)」と呼びますが、これを行えない人は自分の意見も通らないことが多いと私は感じています。

他者の意見を否定しておいて、自分の意見は肯定されたい…というのは少し理不尽だと思いませんか?

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主観というのは、その人がどのように感じて、どのように考えているのかという、その人のアイデンティティでもあります。

それを否定することは、人格否定にもつながりかねません。

人間はメンタル不調に陥ると、自分のアイデンティティを否定するようになります。

他者からも自分からも否定されたアイデンティティ(=自我)は、耗弱していきます。

初期症状として、他者から自分の主観を否定されることに対して過敏になる兆候が出るのであれば、「周りの人間が自分を嫌っている」といった被害妄想に感じるような主張も、あながち間違ってはいないと思います。

そして、このような主張も主観の一つであり、否定される危険にさらされていることも忘れてはなりません。

「周りの人間が自分を嫌っているように感じるの。」

「そんなわけないじゃん!」

…なんとなく発した言葉で、相手は簡単に絶望を感じるのです。

否定ではなく、なぜそう感じるのかを評価する必要があります。

それが批判という言葉となります。

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否定が相手の主観を打ち消す効果があるのだとすれば、批判は検討し評価する意味となり、聴き手に求められるのは自分の主観を主張することではなく、ゼロベースで相手の言葉から真意を読み取る客観的思考となります。

先ほどの会話を否定ではなく批判的に論じてみましょう。

「周りの人間が自分を嫌っているように感じるの。」

「どうして、そう感じるの?」

上記の言葉だけでは、検討も評価も出来るだけの情報が揃っていません。

ですから、相手の意見を鵜呑みにするのではなく、賛成も反対もしない姿勢で臨む必要があります。

人間は、自分の苦しい心情を吐露する際、さまざまな心理が働きます。

心の内をさらけ出す行為は自己開示ですから、「私はこの人を信頼しているから話しているのだ」と思い込む心理状態となるでしょう。

そして、自分でも嫌悪するような話であれば、聴いてくれた相手に対して返報性の心理も働きますから、聴き手からの言葉に耳を貸しやすくなります。

…ですから「そんなわけないじゃん!」と言われても、その場は「そうなのかなぁ…」と言い返すことなく納得しようとしますが、自分が感じている心理状態とは違う意見なので認知的不協和が働き、より強く自分の考えは間違っていない‼、と頑なになってしまいます。

抑え込もうとした結果、以前より強く「自分は嫌われている」などと考えるようになることもまた、心理学的にリアクタンスと呼ぶそうです。

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他者からの誤った対応が続くと、やがて心の弾力性が失われ、「自分は嫌われている」という言葉の呪縛から逃れられなくなり、メンタル不調から精神疾患へと悪化し、回復までに時間を要することになってしまいます。

それくらい、他者の主観を否定することはリスクがあることを、私たちは常に意識していなければならないと思います。

相手がどのように感じたり考えたりしようとも、それは相手の自由なのです。

しかし、公序良俗に反する行為や誤学習につながる思考や思想が強化されるおそれもあるので、すべてを肯定するのもリスクがあります。

ですから、受容的態度と批判的思考という両輪で、上手に他者との会話を回す必要があるという話でした。

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ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。

今回の投稿は以上です。

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