見出し画像

ポール・マッカートニーが歌ってくれたこと。

11月1日に痛烈に感じたことをここに残しておこう。

音楽界の伝説、ポール・マッカートニーが日本にやってきて、ぼくの目の前で歌をうたった。2階席だったから、正確には豆ツブくらいにしか彼の姿を確認することはできなかったのだけども。

ああぼくもアフリカの狩り部族ぐらいの視力があれば、はっきり見えたのかしらね。と、ちょっとブーたれはしたものの、何度も何度も聴いたビートルズの音楽を、生で聴くことができた。感激とはこのことである。

やっぱりなのか、周りの人の年齢層は高め。ぼくたちは立ち上がることもなく、むやみやたらと手をあげることもなく、みなさんと一緒にじっくりと音楽に浸った。まるで老舗のオールディーズ・ロックバーにいるかのような、贅沢で落ち着いた空間だった。最高としか言えない夜になった。

ポール・マッカートニーは、伝説だ。衰えを知らない。76歳になった今なお、ビートルズ時代から変わらない愛と情熱をそのままに、夢中で音楽を楽しんでいる。

11月1日のライブでは、サービス全開でほんとうにたくさんの名曲を歌い続けてくれたので基本泣いてたのだけど、特に嬉しかった曲がある。

それはBlackbirdという曲で、アメリカの公民権運動を支持する想いを込めて作られたものだ。アコースティックギター一本で奏でられる静かなメロディーラインがほんとうに美しく、とにかく優しい。それに呼応するように、曲中ではクロウタドリという、鳴き声の美しい鳥の歌声も聴こえる。歌詞も、詩的な表現が味わい深い。ぼくは優しさに満ちたこの曲が大好きだ。

Blackbird singing in the dead of night
真夜中にブラックバードが鳴いている

Take these broken wings and learn to fly
翼は折れて傷ついているけれど、これから飛び方を覚えるんだよ

All your life
生まれてからこの時までずっと

You were only waiting for this moment to arise
君はこの瞬間を待っていたのだから

何かをやりたいとき、ぼくは、人は、よく「いつかやりたいなあ」と言う。セットで、「準備が整ったら」「お金があったら」と。だけど、当たり前のようで、ほんとうは"いつか"なんてものはないのかもしれない。

あるのは今だけ。どんな人生にも、今だけがあるのだ。未来にどんな"今"があってほしいか。そのために日々を大切にすることがとても重要なんじゃないかな、と思う。

ステージにたったひとり。まっすぐに一本だけ伸びたスポットライトの先で、左利き用のアコースティックギターを携えたポール・マッカートニーはこう続けた。

「次に歌うのは、ジョン・レノンのために書いた曲なんだ」

Here Todayというタイトルのその曲は、こう歌われる。

And if I say I really loved you
今こそ君に、心から愛していたと言おう

And was glad you came along
君と出逢えて本当に良かったよと

When you were here today
君が今日、ここにいたなら

もうひとりの伝説、ジョン・レノンは1980年12月8日にニューヨークで凶弾に倒れ、亡くなってしまった。自宅アパート前での悲しすぎる死だった。これは彼への、ポール・マッカートニーからの追悼曲なのだ。

そんなことを考えていると、ぼくはかつて親友とニューヨークへ旅した日を思い出していた。ジョン・レノンの住んでいたアパートはセントラルパークのすぐそばで、とても静かなところだった。その旅の景色は、決して忘れられない。今でも生きる活力の一部になっている。彼との友情もそうだ。忘れられない景色というのは、そういうものなんじゃないかな。

出会えて良かったと思える人というのは、当たり前だけどそう簡単に出会えるものではない。そういう人は、どんな話をするにしても、何をするにしても、意図せずいつでも気持ちの良い受け取り方をしてくれるように思う。

ぼくにも、出会えて良かったと思える人がいる。これ以上に幸運なことが、この世にあるだろうか。

ぼくは間違いなく、ポール・マッカートニーが目の前で歌う瞬間を待っていた。だからこそ「ああ、ぼくたちには今しかないんだな」ということを、こんなにも痛烈に感じているのだろう。

人生は"今"の連続だ。思いがけない最高の瞬間をできるだけ多く引き寄せるために、"今"起きていることの貴重さに目を向けていたい。

そしてポール・マッカートニーのように、愛と情熱をもって、楽しもう。

ものっそい喜びます。より一層身を引きしめて毎日をエンジョイします。