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中村文則「銃」レビュー

中村文則を読むのは実は初めて。
随分前に「教団X」を電子書籍のサンプルでちらっと読んだような記憶があるんですが、ちゃんと全部読んだのはこの「銃」がはじめてです。
本作がデビュー作で、中村氏は人間の悪を主題に創作している作家さんであり、サスペンスやミステリーの手法と純文学を掛け合わせたスタイルを持ち、ドストエフスキーの影響を受けているというをなぜか知っていました。
有名な作家さんなのでどこかで目にしていたんでしょう。

確かに、サスペンスやミステリー、あるいはもっと俗っぽい小説のようなはじまり方で、これから何か事件が起こる雰囲気がむんむんしています。
しかしそこは純文学で、いつまで経っても誰も殺さず、事件も起こらず、銃を手にした男の心理描写が一人称で延々続く。
ダメな人は前半でダメでしょうね。
個人的には100%純文学として読み始めたのでとても面白く、読みやすかったです。
デビュー作に多い、著者が机の前でうんうん唸っている様子が行間からにじみ出ていて、読んでいて応援したくなるような気分にもなりました。
この感じは又吉氏の「火花」でもあったなあ。

中盤、突然主人公の境遇が明かされるところがあるのですが、これは思いつきで入れたんだろうなと思いました。
なんかそこだけ浮いてるし、本筋とはほとんど絡んでこないし、まあ主人公が悪に向かう動機付けにはなりますが、なんか唐突でコントロールできていない感じがありました。
それもデビュー作の熱感に溶かされてなんとかなっていた印象。
熱量が足りなければ作品の瑕瑾となっていたかも。

中盤、突然刑事が登場し、主人公を追い詰めていきます。
ここで『あ、ポルフィーリーだ!』とニヤリとしました。
そう、ドストエフスキー「罪と罰」で主人公ラスコーリニコフを追い詰める予備判事です。
「罪と罰」を読んだ人ならすぐに分かるでしょう。
なんか口調も似てる気がします。
そこから、そういえば主人公が独自の論理を内面に持ちながら街をうろうろする様子がラスコーリニコフじみているなとやっと気づきました。
中村氏はどこかの講演で、本作では自分のルーツをしっかりと見つめ直して書いたみたいなことを言っておられたので、あえてドストエフスキー色を前面に出したのでしょう。
本作は新潮新人賞受賞作ですが、審査員の先生方もそこは分かっていて推したんでしょうね(反対した人もいたのかも)。
正直ここまで「自分、ドストエフスキー好きっす!」を出していいものかとちょっとだけ首を傾げますが、でも面白いし独自性もあるからいいんでしょうね。





*以下、ネタバレします*






中村氏はミステリの手法を使って創作しているそうですが、本作にみられるそれは「ミスリード」です。
本作では冒頭、主人公が銃を手にするところから始まります。
そして、彼が銃の魅力に取り憑かれていき、やがて一線を越えるに至るまで、何度も何度も銃=悪である独自の理論を展開させます。
これが主人公を借りて作者が行うミスリードです。
確かに銃は悪意を持って使われることが多く、社会的にも悪いイメージが定着しています。
が、そもそも銃という道具自体は悪でも善でもありません。
銃とは弾丸を発射する装置です。
そしてそこに悪だの善だのとイメージや哲学を付与するのは人間です。
つまり、主人公は銃を手にしたから悪に染まっていったのではなく、そもそも悪人である(その素質を持った)主人公が偶然銃という悪意を実行できる道具を手にしたというのが本作の要なのです。

では主人公をヤクザや半グレなど、いかにも悪い人に設定したらどうか?
悪そうな人が悪を為すので当たり前にしか思えませんし、それだと小説としてつまんないですよね。
そうではなく、一見普通の大学生である主人公が、銃という悪の道具を手にしたが故に悪に染まっていくという体裁をとり、銃=悪が人間をどう変えてしまうのかを描いた小説……という風を装って、実はそれは全部逆で、主人公の内面に元々悪の萌芽があり、それを銃という道具が後押ししただけなんだよ、というのが本作の趣旨でしょう
なぜそう言えるのかというと、主人公は隣人女性を撃とうとして撃てなかったからです。

主人公は隣人女性に対して、子供へのDVや騒音などにイラついてはいたものの、悪意というほどのものは持っていなかった。
つまり、銃は、それを持つ人間の悪意なしにはその力を発揮されなかったということです。
その後主人公はある程度平静を取り戻し、銃を山に捨てにいきます。
その途中の電車で、隣に座った男にイラつき、携帯を奪って投げ捨てるという悪意を発露します。
注意するだけならまだ善意や正義の心といってもいいでしょうが、携帯を奪って投げ捨てるという行為には間違いなく悪意があります。
そして、主人公はその悪意に引きずられるように相手を射殺します。
銃の魅力が主人公を殺人者に仕立てたのではなく、主人公の悪意が銃という武器を使わせ、殺人を行わせたのです。
つまり作者の言いたいこととは、悪を象徴する道具が人に悪を為させるのではなく、悪意のある人間が悪を為すための道具を使う、ということです。
もっと簡単に言うと、銃が犯罪を誘発するのではなく、人が銃を使って犯罪を犯すということです。

ラストでそこに持っていくために、その真逆の「銃=悪が人を狂わせていくんだよ」からあえてスタートして、そちらにさんざんミスリードしておいて最後の最後にくるんと反転させて読者を驚かせる。
ここもミステリっぽいですね。

久々に現代作家の作品で、ページをめくる手が止まらない、時間を忘れる、といった読書ができました。
面白かったです。
「掏摸」もポチってあるので楽しみ。
ただ、個人的にミステリやサスペンスは好きじゃないので、このテイストが続くとちょっとしんどいですね。

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