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【小説】私立サブリミナル学園

こちらは八幡謙介が2014年に発表した小説です。


プロローグ


「へっへっへ……もう逃げられねぇなあ、オネーサン」
 金髪の男が口元を歪めながら言い放った。
「大人しくしてくれたら優しくすっからよー」
 もう一人のまだ春なのにタンクトップの男――身体はタトゥーで真っ黒だ――は、興奮が抑えきれないのか、舌なめずりをし、股間を手でゆっくりと揉んでいる。その後ろには、二人とは毛色の違う細身の男が静かに立っている。
 壁を背にした上品なスカートスーツの女は、軽く息を整えると、三人に向かって不敵に口角を上げた。金髪はそれを勘違いしたらしい。
「お、あんたも楽しむ気になれたかい? その心がけだぜ」
 しかし、女は決然とした口調で、
「勘違いしないで!」
 男たちの表情が曇る。
「まだ分からないようね。私はこの路地が突き当たりだって最初から知ってたわ。そう、あんたたちをわざと誘導したのよ」
 女はそう言いながら腰に手を当てると、もう一方の手でさらさらの黒髪を勢いよく払った。すると、淡いピンク色の粒子が空間に広がってゆく。
 女を威嚇していた二人の男は、急に足をふらつかせると、頬をほんのりと朱く染めた。
「こ……これは、香水でもない、シャンプーでもない、いい女だけが放つとされる〈不思議な芳香ワンダー・スメル〉……。ま、まさか、お前――」
 女は蠱惑的な微笑を浮かべた。
「そう、教えてあげる。私は能力者よ。そして、私の持つ能力は、〈女子力〉!」
 そう言い放つと、女は再び髪を払い、ピンク色の粒子を撒き散らした。
「ふふっ、こんな初歩的な技にめろめろになるなんて、あんたたち能力者としてはまだまだ経験浅いわね」
 金髪とタンクトップは女の挑発に怒るどころか、瞳をとろんとさせ、完全にその魅惑チヤームに飲み込まれている。すると、彼等の後ろに控えていた三人目の男が、颯爽と前に出てきた。
「その程度じゃ僕には効かないよ、美人のお姉さん」
 女はその顔を見ると、すぐに眼をそらせてしまった。
(こ、こいつ……美男イケメン!)
 さすがに美男イケメンには、〈不思議な芳香ワンダー・スメル〉程度の初級技は効かないらしく、涼しげな微笑を湛えている。
「ここは能力者を集めた学園都市。能力を持っているのは自分だけじゃないことぐらい、あなたにも分かるでしょう? お姉さん」
「なるほど、じゃあこれで五分ね」
 女がそう言うと、
「五分? ふっ、ハハッ、ハッハッハッハーーッ」
 美男イケメンは高らかに笑い出した。
「五分だって? 強がっちゃいけないよ。確かにあなたは美人だ、しかし歳はいくつかな?」
 女の顔が急に歪んだ。
「ほら、今顔に焦りが出たよね? 僕の見立てでは二十八歳といったところ。友達や同僚が次々に結婚、出産する年齢だ。未婚のあなたに与えられたチャンスはあと数回、二、三人と手っ取り早く付き合って結婚相手を決めなければ行き遅れてしまう。そんな切羽詰まった状況で美男イケメンと出会い、五分で渡り合えるとでも思ってるのかい?」
 女の美しい眉が崩れた。奥歯を噛みしめ、表情は怒りに震えている。
 確かに、美男イケメンは見れば見るほどタイプだった。清潔そうな短髪、さらりとしたイヤミのない着こなし、そして切れ長でどこかエキゾチックな瞳は女が密かに憧れた韓流アイドルに似ている。
(ダメ、あの瞳で見つめられたら……)
 そう思った瞬間、
「これを喰らって立ち上がってきたものはいない。いくぞ! 〈美男子の眼差しイケメン・アイ〉!」
 女を真っ直ぐに見据えた美男(イケメン)の瞳から、真っ赤な焔が放たれた。焔は女に向かって一直線に突き進む。
 しかし!
 女は女子力の高い上品なバッグの中から何かを取りだし、己の眼前にかざした。
「ふん! 何かはしらないがこの僕の〈美男子の眼差しイケメン・アイ〉は遮蔽物など簡単に貫通してしまう! さあ、美男イケメンの焔に身も心も焼かれるがいい!」
 勝ち誇ったように叫ぶ美男イケメンに対し、女は余裕たっぷりに応えた。
「うふふ……あなたこそ、これが何かよく見た方がいいんじゃなくって?」
 次の瞬間、真っ赤な焔は、破裂音と共にかき消えてしまった。
「何だと? この僕の〈美男子の眼差しイケメン・アイ〉が……。貴様一体何を! まさか、そ、それは……」
 美男イケメンの顔が徐々に青ざめ、手足が硬直していく。
「そ、それは……僕たちが最も忌み、嫌い、蔑むものの象徴……〈ザクシイ〉! 貴様ぁ、出会い頭にいきなり、いきなりそんなものを見せやがってぇ……」
 女の眼前には、アラサー女子のバイブルともいえる結婚雑誌〈ザクシイ〉が掲げられていた。
「うふふふ、アラサーを誘惑するんだから、当然ついて回る話よねえ? こちらにとっては当たり前のことよ。それとも、美男イケメンさんには少々重かったかしら?」
 じりじりと後退していた美男(イケメン)の足が、今や石になったかのように固まってしまっている。
「お、重い、初対面での〈ザクシイ〉は重すぎる、くそっ……手足が言うことをきかない……」
「あら、アラサーの女性に気軽に声をかけるわりには覚悟がないのねぇ、美男(イケメン)さん」
 女は口を上品に手で隠し、クスクスと嗤った。
「た、頼む、助けてくれ、なんでもするから、な」
 懇願する美男イケメンを見つめる女の瞳が、氷のように冷たくなっていく。そしてわなわなと肩を震わせると、
「あんなに……て、言ったのに……」
「え? な、何て」
「同じ時期に…結婚して、今度はママ友になろうって、幼稚園の送り迎え一緒にしようって、そのあとみんなでランチしようって…約束したのに……慶子もトモチンもユリちゃんも、あげくは職場の後輩まで私より先に寿退社して……せ、ない……絶対に、許せない!」
「わ、分かったから、な、謝るよ。だから……」
 手足が完全に固まってしまった美男イケメンは、必死に口を動かして許しを得ようとした。
 しかし、それは虚しい努力に過ぎなかった。
 今度は女の肩から蒼白い焔が立ち上った。それは見る見る勢いを増し、すぐに女の全身を包んだ。
 美男イケメンは、女子力使いの中でも最強とされるアラサーに手を出したことを今さらながらに激しく後悔した。しかし、もう遅かった。
 女は全身を包む蒼白い焔を右手に集めると、美男イケメンを真っ直ぐに見据え、
「アラサー女子の怒りと悲しみを思い知れ」
 そう叫ぶと、蒼白い焔が宿った右手を美男(イケメン)に向けた。
watash mo kekkonshteinワタツシユ・モ・ケツコンシユテイン!」
 雷のような轟音を立て、焔は女の掌から美男(イケメン)目がけて一気に噴射された。
 美男イケメンはエネルギーの固まりをもろに浴び、高く宙を舞った後、地面に叩きつけられた。
 女はそれを確認すると、手鏡で前髪と化粧をチェックし、パンプスを鳴らしながら優雅に去っていく。
「ま、待ってくれ……あなたは…あなたの女子力は……」
 美男イケメンが悲痛な声で訊ねた。
 パンプスの硬質な音が一瞬止まり、女はさらさらの髪を揺らしながら颯爽と振り向いた。
「私は由比ヶ浜禊ゆいがはま みそぎ、私の女子力は、五十三万です」
 禊は笑顔でそう言うと、膝を真っ直ぐに伸ばして、女子力高らかにその場を去っていった。

 私立サブリミナル学園は、ある一点を除けばどこにでもあるタイプの高等学校だ。その一点とは、生徒及び教師の全てが能力者、または能力を開発している者であるということ。
「先生ー、みそぎ先生」
 由比ヶ浜禊は先に口角を上げてからすらりと振り返った。そうすると相手への印象が全然違ってくる。こういったテクニックを自然とこなしているところからも、禊の女子力の高さが伺える。
「なあに、さっきの授業で分からないところでもあった?」
 女子生徒たちは、三人で手をつないで禊をじっと見つめている。そのうちの一人、ぱっつんを少し短くしすぎた女の子がおずおずと口を開いた。
「禊先生も……能力者なんですよね?」
「う~ん、ま、ここで仕事してるってことは……ね」
 そう言って大きく笑顔を作った。女生徒たちも釣られて微笑んだ。
「禊ちゃんの能力、ぜってーケツだぜ」
「だな! いいケツしてるもんなぁ」
 男子生徒がすれ違い様に茶化した。
「最っ低! だから男子ってヤなのよ」
 おかっぱの真面目そうな子が去って行く男子の背中に吐き捨てた。
 禊はまだまだ自分が若い男の子の性の対象になっていることに心中安心した。《BBA《ババア》とでも言われたらうっかり能力を使ってしまいそうだ。
 改めて女生徒たちに向き合うと、
「みんな、能力はね、いざというときのために秘めておくものなのよ。だって、一度出したらバレちゃって、傾向と対策を立てられちゃうでしょ? だからみんなにも教えられないの。でもね、先生、誰かがピンチに陥っていたら、そのときは能力全開で助けてあげるからね」
 そう言ってウインクをし、禊は甘い柑橘系の香りを漂わせながら去って行った。
「素敵ぃ~」
 女子生徒たちはもう禊の女子力にめろめろだ。
 そんな禊とは逆に、こちらに向かって来る男子生徒がいた。
「あ、理亜君! おはよー」
「ねえねえ、今日も遅刻? やっぱリア充は違うね」
「うっせえ、リア充言うな」
 理亜十兵衛はリア充と呼ばれるのが嫌いなのだ。
「どうして~、勉強も運動もできるし、可愛い彼女もいて最高の人生じゃん」
「ねぇ、理亜君の能力、そろそろ教えてよ! だって推薦枠でしょ? いったいどんな能力なのぉ」
「あ、私も知りたーい」
 十兵衛は一瞬たじろいだ。それを隠すかのように早口で、
「ま…またその話かよ! の、能力者は能力を隠すものなの! い、いざってときのために……じゃあな」
 そう言って早足で教室に去って行った。
 ――じょ、冗談じゃねーぞ、このクソ学園。そもそもなんで、なんで能力のない俺がこんなへんてこな都市のへんてこな学校に入れられなきゃならんのだ? 都内の中学でブリンブリンのリア充だった俺はそのまま近くの適当な高校に入ってリア充ライフをさらに充実させるはずだった! それなのに何でまたこんな……。
 ああクソっ! 
 そもそもリア充のオヤジとお袋だって能力なんか持ってねーくせに! リア充の大人が本気出してリア充活動リアカツし、勝手に俺をこの学校に入れやがった、それも推薦枠でだ! そしたらどうだ、センコーから先輩、同級生まで俺を好奇の目で見やがる。こいつはどんな能力者なんだって。幸い、ビビって喧嘩売ってくるヤツはいないけど、俺に何の能力もないってバレた日には、どんなことになるのやら、考えただけでも胃がキリキリと……。
 十兵衛は覇気のない顔でクラスに戻ると、自分の席についた。
「あ、十兵衛ちゃん」
 すぐに幼なじみの音無味子おとなし みこが声をかけてきた。
「さっきー家門(いえもん)さんがーお弁当ー届けに来たよー。でーわたしがーあずかっておこうかって言ったらー、細工されたらイヤだから直接渡すってーウフ」
「ウフじゃねーよ、地味子。お前思いっきり警戒されてっから……」
「ウフフ、フフフフ、フフフン」
 地味子はどこで売ってるのか不思議なくらい地味な眼鏡を光らせて、全く印象に残らない地味な笑顔で幼なじみの十兵衛を見つめている。それが傍からみるとまるで奥さんのような振る舞いだと、他の女子からは反感を買っていた。
 特に十兵衛の彼女である家門綾高いえもん あやたかからは蛇蝎(だかつ)のように嫌われている。
「しっかし不思議な縁だなあ、幼稚園から高校までずっと一緒のクラスとは。そらまあ勘違いされても仕方ねえか、お前もちょっとは警戒心持てよ、地味子」
「ふわーい十兵衛ちゃん、ウフフフフウフ、フフフン」
 地味子は両手をペンギンさんにし、おさげを揺らしながらふわふわとした足取りで席に戻っていった。
 十兵衛も着席すると、日課のように前の席の男子を見つめた。
(俺もこいつみたいになれたら……)
 椅子の背には、〈母地縦ぼち じゅう〉と名前が書いてある。彼は生粋のボッチであり、それを能力まで高めた強者だ。
 しかも珍しいことに、毎日その能力を全開にして学園生活を送っている。
 十兵衛は母地の体を被う薄い金色の膜を見つめている。
 ――BTフィールド。
 生徒たちからはそう呼ばれていた。
 母地がBTフィールドを張っているとき――といっても常にそうなのだが――、外部の情報は一切遮断されている。それを破るには強力なエネルギーが必要だ。しかし、母地のBTセンサーが自分へのエネルギー放射を察知すると、BTフィールドは自動的に強化される。それを破るにはさらに強いエネルギーが必要で……。
(母地は防御系能力者か……)
 十兵衛は改めて能力に想いをめぐらせた。
 能力には、様々なタイプがある。攻撃系オフェンスは相手にダメージを与えるもの、それを防いだり減退させるのが防御系ディフェンス、また、相手の感覚を狂わせる魅惑系チヤーム、相手の体力を奪う減退系ルージング、その逆の快復系リカバーなど。それらは、能力者の性格に由来するらしい。
(地味子は確実快復系リカバーだな)
 そう思ってふと地味子の席に目をやると、まだこちらを見てふわふわと地味に笑っている。
 十兵衛はすぐに目をそらした。
 しかし、地味子がここにいるってことは、既に能力を持っているのか? それとも、その見込みがある……。
 また自分のことを考えて自己嫌悪に陥りそうになったとき、前のドアが開いて日本史の加納先生が姿を現した。
「はああい、じゃあこのときに起こった乱、分かる人ぉ――」
 加納は黒板から振り向くと、教室中に視線を巡らせた。その視線は、ある生徒のところでぴったりと止まった。加納はたるんだ顎を震わせながら、憎々しげにその生徒の名を呼んだ。
「母地ぃ」
 教室がざわついた。というのも、母地は完全にBTフィールドをオンにしているからだ。加納の声は当然届かない。
 普通の教師ならこの時点で諦めて放っておくのだが、加納は違っていた。日本史一筋二十年のプライドが許さなかった。
 母地の回りの生徒たちは、加納の殺気を感じ、既に机をずらして避難している。
 後ろにいる十兵衛だけは余裕の表情である。なぜなら、彼も母地のBTフィールドに守られているからである。
「出るぞ」
「気をつけろ」
「とばっちり喰らうぞ」
 生徒たちはヒソヒソと警戒を呼びかける。
 加納が怒りにぷるぷると震えながら、チョークを握りしめた。
「母ぉ地ぃぃぃぃ」
 薄く黄ばんだ、まるで和紙のような渋い色のオーラが加納を包んだ。
 しかし、BTフィールドはそれさえも遮断しているのか、母地はノートに何かを書き付けている。
「貴っ様ぁぁぁ、俺の授業で内職は許さんと何度言ったら分かるんだぁ! もう我慢の限界だ。喰らえ、とある教師のチョーク砲レールガン!」
 加納はチョークを持った手を大きく振りかぶると、母地目がけて全力で投げつけた。
 チョークは加納の手を離れた瞬間、真っ白な光を放ち、まるで誘導されているかの如く自ら起動を修正しながら母地の額に飛んでいく。
 すると母地の方にも変化が起こった。
 金色に輝いていたBTフィールドが一瞬で燃えるような赤に変わり、チョークの軌道を予測したのか、到達点あたりに集まり分厚い壁を作った。
 次の瞬間――
 金属バットでホームランを打ったときのような硬い高音が響き渡り、チョークは一瞬で粉々に砕け散った。
「ヤベぇ」
「BTフィールドどんだけ強ぇんだよ」
「あいつのボッチ力パねぇ」
「母地君、可哀想に見えてきた……」
 教室のザワザワはあっという間に広がっていく。それを察知してか、隣のクラスで授業をしていた由比ヶ浜禊が様子を見にやってきた。しかし、止めに入るつもりはないらしい。
 加納は怒りで顔を真っ赤にして母地を睨みつけている。
「今日という今日は徹底的にやってやるぞ、母地ぃ」
 そう言ってチョーク入れを開けると、様々な色のチョークを指の間に挟みはじめた。
「加納先生、本気だ」
「ヤバイ、避難した方がいいぜ」
 まだ教室にいた生徒たちは、急いで廊下に避難した。
 十兵衛もさすがに危険を察知し、他の生徒に押されながら廊下に出る。
 するといつのまにか地味子が十兵衛の腕にしがみついていた。
(こいつ、また胸でかくなったなあ)
 十兵衛は地味子が隠れ巨乳だということを知っていた。しかしそんなことはどうでもいいのである。
 教室を見ると、母地はさすがにもう内職の手を止めていたが、相変わらず目線は虚ろで、怒りに狂う加納は目に入っていないようである。
 しかしBTフィールドは真っ赤に染まったままだった。
「あんな色初めてみた……母地のやつ……」
 生徒の一人がそう呟いた。
 一方、加納は色とりどりのチョークを指の間に挟み、手をクロスさせている。額には脂汗を滲ませ、息は上がっている。
 突然、加納がニヤリと嗤った。
「母地ぃ、この技を俺に出させたのは、お前が二人目だ。一人目がどうなったか、とくと体で味わうがいい。喰らえ、とある教師のチョーク砲レールガン、レインボーアタック!」
 加納の両手から放たれたチョーク砲レールガンは、まるで虹のように鮮やかな色彩を空間に浮かべながら、音速で母地へと向かっていく。
 しかもそのひとつひとつが意志を持っているかのように、ある色は正面から、別の色はサイドや背後に回り込んで!
「母地君っ」
 地味子はやや間の抜けた声を出して、隠れ巨乳をこれでもかと十兵衛に押しつけた。
 十兵衛は一瞬口元がにやけたが、次の瞬間、驚くべき光景を目の当たりにした。
「BTフィールド、全開」
 母地がぼそりと呟き、目線を下げた。
 するとBTフィールドは粘土のように細かくちぎれ、それぞれが矢となってチョーク砲レールガンを撃退しに向かった!
「なっ……何ぃ! BTフィールドが反撃した!」
 教室のざわざわはさらに広がり、他のクラスからも見物人が押し寄せて、廊下は人でごったがえした。
 しかし止めに入る者はいない。
 ここ私立サブリミナル学園には、バトル上等の不文律があるのだ。
 空中でまたしても迎撃されたチョーク砲レールガンは、まるで花火のように儚く散って消えた。
「けど、なんで防御系ディフェンスの能力であるBTフィールドが攻撃したんだ?」
 十兵衛の後ろにいる生徒が不思議そうに言った。すると別の女子生徒が待ってましたとばかり解説し始めた。
「あんたバカぁ? BTフィールドはそもそも防御というよりは迎撃の要素が強いの。けど、能力者が無意識でいる間は外部を遮断するバリアーになっている。ただ、さっきみたいに、能力者がはっきりと的を認識し、そこから自分を守ろうと自覚した際は迎撃システムに変更されるみたい。あーあ、男子ってホント何も分かってないのね。ヤんなっちゃう」
「まあ、とにかく終わったみてーだし、戻るべ」
 別の男子生徒がめんどくさそうに呟いた。しかし、
「まずい……まずいわ、こんなこと……」
 由比ヶ浜禊はしきりにそわそわし、うわごとのように何かを呟いている。そして、無防備に教室に戻ろうとする生徒を荒々しく廊下に連れ戻した。
「みんな! まだ戻っちゃダメ! それから隣のクラスにいる子たちを全員避難させて! 早く!」
 その珍しく女子力の低い声に皆は驚き、何か事の重大さを予感した。
「ほら、下がって、下がりなさい!」
 血相を変えて生徒を避難させる禊を、十兵衛は不思議な眼差しで見つめていた。バトルはもう決着がついたはずなのに、いったい何を恐れているのだろう?
「カノーさんのくつじょく?」
 不意に地味子が言った一言を、禊は聞き逃さなかった。
「あなた、知ってるの?」
「ふえ? はいー、歳の離れたお兄ちゃんから聞いたことがありまふー」
「おい地味子! 何だよそれ、今から何が始まるんだ?」
 十兵衛の問いかけには、禊が答えた。
「いいわ、教えてあげる。みんなもよく聞いて。能力者は普段、自分の力に見合った技しか出すことができない。けど、徹底的に痛めつけられたり、精神的なショックを受けると、不意に能力が覚醒することがあるの。そうなったら最後、能力者自身にも手が付けられないほどのエネルギーを持った技が繰り出される。それは相手はもちろん、能力者自身をも破滅へと導いてしまうのよ。加納先生は過去に一度だけ覚醒したことがあるの。そう、こんな風に、授業中、ある生徒とのバトルで……」
 禊は意味深な目つきで地味子をちらりと見た。
「あのときのことは〈加納さんの屈辱〉として学園史に刻まれることとなった。そして、加納先生自身も、自戒の意味で能力を隠さず普段から全面に出すことにしたのよ」
「そ、そんなことが……」
 回りの生徒たちは、神妙な顔で何度も頷いている。
「え!」
 十兵衛が弾かれたように顔を上げた。
「もしかして、その〈加納さんの屈辱〉が、今再現されようと……」
 禊は口をきゅっと結んでひとつうなずいた。
 生徒たちはまた教室を見やった。
 加納先生はがっくりと肩をうなだれながら、何かをぶつぶつと呟いている。
「ヤル、タ、会談…………徳政令…、王政復古の…大号令………、ボストン茶会事件……、インパール作戦……」
「まずい! 世界史と日本史がごっちゃになっている、来るわ!」
 禊は固唾を呑んだ。生徒たちも緊張の糸をはりめぐらしている。
 一方、母地は猫背のまま鞄を肩に掛け、BTフィールドを薄く張ったまま突っ立っている。
 生徒たちからどよめきが起こる。
「あれは……〝やる気ないなら帰れ〟待ち! さすが母地、連続コンボに余念がない」
「教育勅語……十字軍………生類憐れみの令………墾田……墾田…………永年」
 加納の四肢から黄色い光が発せられた。それが徐々に濃く、眩しくなってくる。
「墾…田、永……年……」
 加納がついに白目を剥いた。そして目も眩むような眩い光の中、両手を開き、真っ直ぐ母地に伸ばす。
「来るわ! みんな伏せて!」
「墾田永年――私財砲ォォォォ!」
 加納の両手から電撃のような光が発射された。
 すぐさま母地の前に分厚いBTフィールドが現れる。
 だが、光はBTフィールドをいとも簡単に打ち破り、母地の肉体へと打ち付けられた。
 しかし、角度が微妙に逸れたのか、エネルギーは母地を真横に吹っ飛ばし、そのまま教室の後ろの壁をぶち抜いて、隣の教室の机をなぎ倒し、さらに後ろの壁を黒焦げにしてようやく止まった。
「こ……これが、覚醒した能力!」
 十兵衛は衝撃のどさくさで地味子の隠れ巨乳を肘でプニプニしつつ、その威力に驚嘆した。
 加納は膝から崩れ落ち、放心状態のまま、まだぶつぶつと歴史的事件を呟いている。
 皆が母地を心配して彼の元に集まった。
 ダメージで全身が黒焦げになっているが、一命はとりとめたらしい。改めて皆が母地のボッチ力に驚嘆した。
「皆……さん、」
 母地が弱々しい声で呟く。
「母地君! しゃべっちゃダメ! 今保健室につれていくから。ほら、男子、手貸しなさい!」
 禊の呼びかけに運動部の男子が数名前に出てきた。しかし、母地はそれを手で払った。
「ひと…りで、だいじょう…ぶ……です」
 そう言って弱々しく立ち上がると、足取りをふらつかせながら保健室へと向かった。
 誰一人手助けしようとはしなかった。というのは、人情を知ってしまうと、ボッチ力が減退する、それを皆知っているからだ。
(能力とは、そこまでして守るものなのか……)
 十兵衛はよろよろと廊下を歩いていく母地の背中を切なげに眺めながら、地味子の巨乳を二度、肘でプニプニした。

(試し読み終了)

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