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【小説】「未来撃剣浪漫譚Anthology2」

こちらは八幡謙介が2023年に発表した小説の試し読みページです。
世界観をより楽しみたい方は「未来撃剣浪漫譚ADAUCHI」を先にお読みください。

それゆけ熊ちゃん

「では、僕はこれで。茜ちゃん、凜ちゃん、また今度」
 熊谷修はまだ稽古でほてった頬をぎこちなく緩めると、足早に芹沢事務所を後にした。
 茜と凜はドアが閉まった瞬間無言で目を合わせ、二人同時に頷いた。
 ――ことの発端は数日前。
「ねえ凜ちゃん……」
 茜は熊谷のために用意した大量のタイチャーハンを無理してかきこみながら、
「熊ちゃん……なんかおかしくない?」
 と恐る恐る訊いた。
 すると凜はここぞとばかりに、
「私も思ってた! でも、なんか言っていいのかなって……」
「だよね! だよね! 絶対おかしいよね!」
 茜はチャーハンでリスのように口を膨らませながら嬉しそうに身を乗り出した。
 茜と凜、そして熊谷は芹沢無二がラスパラ入りしてからも定期的に稽古を行っていた。稽古の後は凜か茜が作った夕飯を三人で食べるのが慣例となっており、もはやいちいち食べていくかどうかすら訊かないほど習慣化していたのだが、ある日を境に熊谷は連続3回もキャンセルした。
 さすがに茜が怒って問い詰めると、熊谷は何度も謝り、次回から食事が必要なときは事前に連絡する、それがない場合は食べないと思ってほしいと告げた。
「私の料理マズいのかなぁ……」
 凜はうつむきながらそう呟いた。
 熊谷は凜と出会う前から長年茜の料理を食べてきており、凜が芹沢事務所所属になってからは交代で食事を作るようになったので、そのせいかと憂鬱になった。最近はようやく茜と同じように「熊ちゃん」と呼べるようになってきたのに……
「絶対違うよ凜ちゃん! だって凜ちゃんの料理おいしいし、あたしのときよりおかわりしてたもん! それにあのデブ、腹いっぱいになったら何でもいいんだから! 絶対他に理由があるんだよ!」
 茜はそう言ってまたチャーハンをかきこんだ。
「もしかして……彼女…とか?」
 凜がそう言うと茜はまたリスのように頬を膨らませながら、
「ないない! 熊ちゃんに限って……彼女、とか…」
 と否定しながらも、突如レンゲを皿に置くと、
「できたのかな?」
 と伺うように凜を見つめた。
 凜はそれを想像すると嬉しくなってきた。
「そうだよ、きっと彼女できたんだよ! 熊ちゃん律儀だからいくら私たちでも一緒にご飯食べたら彼女さんに悪いから遠慮してるんだよきっと。それと……」
「……それと?」
 茜はチャーハンを山盛りにすくったレンゲを止めて凜を見つめる。
「熊ちゃん、最近ハッパ吸ってるよね?」
 すると茜も気づいていたらしく、
「それ! あたしも気になってたの! なんか持ち物からハッパの匂いするなーって。きっと彼女が吸うから合わせてるんだよ! 武道家のくせに……お兄ちゃん帰ってきたらゼッタイ言いつけてやるんだから!」
 茜は目を爛々と輝かせ、またチャーハンを口いっぱい頬張った。
「え~、女の子に合わせるタイプなんだー。でも熊ちゃんらしいかも。どんな子なんだろう?」
 凜のその一言をきっかけに、二人は熊谷の彼女(まだ確定ではないはずだが)の顔や髪型、職業、家族構成、果てはSNSのアイコンやゴーグルの壁紙まで想像を巡らせると、デザートを食べながら次回の稽古終わりに食事に来ない場合は尾行するということで話がまとまった。
 そして今日である。
 凜と茜は事前にファッションアプリを使って、手持ちの服からもっともらしくないコーディネイトを選ばせ、今日のため準備しておいた。
「やだぁ、ダサいこれ……」
 着替えた茜が鏡を見て顔をしかめた。
「え、可愛いよ。でもぜんぜん茜ちゃんっぽくないね」
 凜は条件反射で褒めたが、確かに茜が絶対にしない組み合わせで、好きじゃないのは明白だった。
「凜ちゃんの方が可愛いじゃん。ずるいよ」
 茜はじっとりと凜のコーデを見て呟く。
「えー、すっごい変な感じだよ。さすが変装アプリって言われるだけあるね。これなら遠目に見ても私達って絶対バレないよ」
 凜はそう言いながらゴーグルを装着し、密かに熊谷のバッグに仕込んだ8時間で溶けてなくなる盗聴器付きGPS〈メルティン・ラブVer3.0〉で位置を探った。
「これ、熊ちゃんKモール行くんじゃないかな?」
 熊谷らしき赤い点がどんどん動いている。スピードからして恐らくトラムに乗ったのだろう。
 茜は抑えきれない含み笑いをしながら凜を見ると、
「やっぱり、デートだ! もおぅ、熊ちゃんったら色気付いちゃってぇ! ママ心配になっちゃう」
 凜は明らかに楽しんでいる茜にあえて乗らないようにした。茜ならデート中の二人の前に姿を現して空気をぶち壊してしまう可能性も十分ある。その時は全力で止めようと凜は心に誓った。
 それにしても、あの武道オタクの熊ちゃんに彼女とは……
 無二さんが突如ラスパラに行って茜ちゃんはもちろん、熊ちゃんもショックを受けただろうけど、その反動だとしたらいいことなんじゃないか? 茜ちゃんはともかく、私は遠くから見守りながらもし必要なら熊ちゃんの恋の手助けをしてあげよう、あの夏、私の仇討ちに協力してくれたお返しに……
 凜は姉の仇討ちのために芹沢事務所の門を叩いた日を昨日のことのように脳裏に浮かべた。

 熊谷は毒々しい黄色の椅子に座り、不慣れな手つきでジョイント(マリファナ煙草)を巻くメロアをまるで父親のような表情で見守っていた。
 前よりも上手になっている、もう少し……頑張れ!
 心の声は口に出さなくても、熊谷の思っていることはまるで漫画の吹き出しのように見てとることができた。
「え、と……どうだっけ? あ、そうだ、ここからこうしてっと……。ごめんね熊ちゃん、もうちょっと待っててね」
 メロアが一瞬顔を上げて笑顔を向けると、熊谷も釣られて満面の笑みを浮かべた。
「大丈夫だよメロアちゃん。前よりも上手になってるから」
 熊谷は今度は声に出して応援しながら、座高の差から見えるメロアの胸元を一瞬だけ見て、すぐに目を逸らせた。
「こうしてこうして……できたー!」
 メロアが両手でいびつな形のジョイントを差し出す。
 熊谷は店に響き渡るような大きな拍手をしてからそれをうやうやしく受け取った。
「愛込めするよね?」
 メロアがわざとらしく小首を傾げながら訊くと、熊谷は首を何度も縦に振る。
 メロアは立ち上がって軽くスカートをはらい、両手でハートの形を作り、甲高い声で、
「美味しくキマれ、萌え萌え沈没(ストーン)!」
 と、グループのキャッチフレーズともなっているお決まりの台詞を言って、ハートを熊谷の手の中にあるジョイントに乗せるようなしぐさをした。そして熊谷のごつごつした手を握ると、
「じゃあ熊ちゃん、いつものセット作ってくるから、ゆっくりしてってね」
 と厨房に去っていった。
 熊谷はメロアが巻いたジョイントを大事にケースにしまい、さりげなく店内を見回した。
 ここは政府公認のマリファナ販売店、通称〈コーヒーショップ〉である。2024年の大麻解禁で〈コーヒーショップ〉が乱立し、その後各店舗は生き残りをかけて他店との差別化を図った。その中で日本マニアの中国人実業家・劉(りゆう)浩宇(はおゆう)が手がける〈LOVELYSTONE〉系列は、伝統的な萌え文化と、当時まだダークなイメージが残っていたマリファナの融合を図った〈萌え草系〉を確立し、2040年代には〈コーヒーショップ〉チェーン日本一に輝いた。
 劉は2000年代前半のアイドル文化を徹底的に研究した結果、日本人の嗜好を「蹒跚(パンシヤン)」(中国語でたどたどしいの意)であると見抜き、当時定石とされていた日本大麻協会認定巻き師を一切採用せず、完全素人の女の子にジョイントを巻かせるというシステムを打ち立てた。彼女たちの巻いたいびつなジョイントの写真や動画がバズり、業界は騒然、日本大麻協会からは「大麻文化の発展を著しく阻害する蛮行」と苦言を呈され、ジョイント・ローリング世界選手権3連覇の田中〝スピードスター〟光輝がUPした批判動画が炎上し、ジョイントの巻き方についてあちこちで議論が繰り広げられるなど、社会現象を巻き起こした。
 そんな〈LOVELYSTONE〉もさんざん競合他社にシステムを真似され、繁華街に〈萌え草店〉が軒を連ねるようになると、過当競争であの手この手のサービスを展開しつつ、業績はジリ貧となっていった。
 熊谷はゴーグルを付けると、昨日アーカイブした掲示板を再チェックした。
『コヒショは基本メシやドリンク、あとグッズで利益を上げてる。矛盾してるけどハッパは原価が高いからあんま利益にならない。萌え系行くなら必ずメシ食ってやればとりあえず良客確定な。あとラブストはトップに上がるとVC作る権利が得られる。そうなると無限課金ループだ。そこまで自分を上げてくれた古参は必ず感謝されるから、新人推すなら必ずリア推ししろ』
 ここ〈LOVELYSTONE〉系列ではトップメイドになるとVC、つまりヴァーチャルキャラクターの作成が認められる。そのVCにAIを搭載し、24時間チャットや配信、オンラインイベントなどを行っていけば無限に課金されていくので、収入はうなぎ登りとなる。新人はそこを目指して皆頑張るのだ。
 熊谷が推すメロアは入店1年半、エースとはいえないが、中の上は常にキープしており、あと少しのところで伸び悩んでいた。そこがどこか自分と似ていて、熊谷はあの日を境にどうしても応援したくなったのだった。
 ――お帰りなさいませ、ご主人様! 
 ――あ……あの、ここはコーヒーショ…
 ――はい、『ご主人様のハートを沈没(ストーン)させちゃうぞ』でおなじみ、〈LOVELYSTONE〉です。
 ――ご、ごめんなさい、僕食事できるところを探してて……
 ――あ、それならこちらでお食事も可能ですよ。
 ――いや、僕ちょっと大麻は吸わないから…
 ――そうですか、すいませんお引き留めしちゃって。こういうお店、あんまり好きじゃないですよね。
 ――いや、その、好きじゃないわけじゃないけど、ちょっと苦手っていうか、あんまりわかんなくて……
 ――じゃあ一度サービスを受けてみられてはどうでしょう? 受けてみないと見えない世界があると思いますよ!
『受けてみないと見えない世界がある』
 初対面の時無二に言われたことと全く同じ言葉をメイド姿の小さな女の子に告げられ、熊谷の足は自然と店内に向かった。
 …………
「はい、いつもの熊ちゃんセットだよ。今日は野菜多めに入れといたから全部食べてね!」
 あの日と変わらないメロアが食事を持ってきた。
 熊谷はロボット接客世代だが、本来高級店でしか受けられない生身の接客にもやっと慣れてきた。
『〈萌え草店〉は、男性への隷属の象徴であるメイド服を女性に着せ、女性は薄給で男性に奉仕するものという男性的妄想を満足させるための一種の風俗店である』と言うフェミニストもいたが、熊谷にはどうしてもそうは思えなかった。
 確かに彼女たちが全員本来貰うべき給料を貰っているとは思えない。しかし、夢に向かって一生懸命働く姿はお金に換えがたい尊さがあった。それは、一円の得にもならない武道を汗水垂らし、痛い思いをしながら修行する熊谷や他の武道仲間の姿にどこか似ていた。
「はい、じゃあ熊ちゃん、あーん!」
 メロアがレンゲいっぱいにラオス風チャーハンをすくって差し出すと、熊谷は躊躇なく大きな口を開けて受け入れた。

「ダメだ、あたしもう聞いてらんないよ……」
 茜がげっそりした顔でゴーグルを外すと、凜も苦笑いしながら〈メルティン・ラブVer3.0〉とのコネクトを切った。
「まさかまさかだったね、茜ちゃん……」
 変装しているとはいえ、念のためKモールから少し離れた無人ジュースバーで盗聴していた凜と茜は、言い知れない疲労感に包まれながら、しばらく無言でジュースをすすっていた。
 男性のメイド好きや仇討ちアイドル通称〝討ちドル〟への傾倒は、伝統的な理解不能趣味の代表として頻繁に女性たちの攻撃対象となったが、凜と茜はまさか熊谷がそうなるとは予測もしていなかった。
「もうあたし次から熊ちゃんと稽古できないよ……。このあとメイドといちゃいちゃするのかと思うと……」
 茜は両手で顔を隠し、テーブルに肘を突いた状態で嘆いた。
「で、でもさ……熊ちゃんにも武道以外の趣味ができたのはいいことじゃない? それに……メロンちゃんだっけ? あのメイドさんと付き合っちゃうこともあるかも?」
 凜が必死に熊谷をフォローすると、茜はゆっくりと上体を起こし、
「ねえ凜ちゃん。仮に凜ちゃんがメイドだったとしてだよ、客と付き合う可能性ってある?」
「…………」
 今度は凜が下を向いて黙る番だった。仕事としてのメイド姿や接客をいくら好きになってもらえても、それはそれ、プライベートにまで持ち込まれたらたまらない……。それに、女の子が裏で上客のことをどんな風に噂しているかを想像すると……
 茜は凜の想像を読んでいるかのように続けた。
「今どきメイドってキャバよりよっぽどエグいから。そもそもがジョイントを巻くのが本業だから電キャバみたいにオンラインってわけにもいかないし、確か人気が上がるとV(ヴァーチヤル)C(キヤラクター)での活動が認められるって聞いたけど、そこに上がるまでは過当競争でとにかく客に課金させまくるの。そのために過激な衣装とかちょっとぐらいのお触りなんて当たり前なんだから! 武道脳の熊ちゃんなんてメイドからしたら都(みやこ)の九条ネギ背負ったデブガモだよ!」
 凜は数年前に起こったストーカーメイド刺殺事件を思い出した。純粋な熊谷が百戦錬磨のメイドに転がされ、騙されて全財産を奪われ、最後は逆上し……
「茜ちゃん! なんとかしないと! 熊ちゃんが捕まっちゃうよ!」
 凜の懇願に茜は目を細めて、
「いや、さすがに飛躍しすぎでしょ……」
 とたしなめた。
「とはいってもなー、まだどんな子か知らないし、熊ちゃんだってどこまで本気なのか分からないしなー……」
 茜はマンゴーコーラを飲み干すと、
「また薫のバカに探らせるか。最悪上司が女だったら落とさせて熊ちゃんが推してる女地方に飛ばすとか」
「そ、そうだね……」
 凜は同意したが、心の中に芽生えた感情はそれとは別の未来を描いていた。

(試し読み終了)


討ちドルラプソディ

 九条さと子は蒸し暑さで目を覚ますと、枕元に置いてある鏡を手にし、最低限の汗と皮脂をティッシュで取り、寝る前にしたハイパーナチュラルメイクが崩れていないかを確認した。
 ――大丈夫。
 これなら女の子にもバレないだろう。
 三脚に立てたままベッドに向けられたカメラの前に座って録画スイッチを押した。
「皆さぁん……ふぁぁ……おはようございまぁす。今日は、えっとぉ……あれ、何日だっけ? あ、そうそう、父が亡くなって285日目の朝ですね。おはようございます。今日も1日、父への感謝と、生かされていることの意義を考えて、大切に生きていきたいと思います。じゃあ今日もいろいろ更新していくから、楽しみにしててね、バイバ~イ」
 日課にしている〈寝起きすっぴん挨拶〉を撮り終えると、そのまま〈アップロード・マネージャー〉にドロップした。放っておけば登録した複数の仇討ちサイトにAIが適当にUPしてくれる。
 この〈寝起きすっぴん挨拶〉は〝討ちドル〟界のレジェンド・クレアちゃんの発明だったが、今では男性ですら行うスタンダードになっていた。なぜかすっぴん無加工でないといけないという不文律ができており、定期的に解析班の検証によって加工や化粧を暴かれた〝討ち〟が炎上し、その都度お定まりの議論がネットを賑わせた。
 ――なんでいちいち解析しようとしてくんのかワケわかんねーし! あいつら顔で推し選んでるクセに! こっちはお前らの幻想を壊さねーためにやってんだっつーの!
 オフ飲み――電子器機の使えない特殊な部屋での飲み会、リーク防止目的で行う――になると必ず誰かがそう言い出すのだが、結局皆ファンが離れていくのが怖いから大胆な加工や化粧はせず、時折それを破って暴かれる同業者には陰でほくそ笑むのだった。
 九条はあえて編集しない撮って出しをUPすることで、朝から動画編集なんてする時間がないほど仇討ちに奔走していることをアピールしてき、それはまずまずの手応えとなって返ってきた。ファンの数は平均よりも多かったし、マネタイズも目標には届かないものの十分できていた。このまま順調にいけば〝討ちコン〟――仇討ちコンサルタントを入れずに自力で活動していけそうだ。
 キッチンに行き、いつものように白湯でビタミン剤を流し込みながらゴーグルをつけた。
 各仇討ち系サイトからメッセージが数十件。九条はため息を吐きながらそれらを開いていった。
『おはよう! 今日がさと子ちゃんにとっていい日となりますように』
 ――毎日暇だね、このおっさんも。
『はじめまして、〈仇討ちパラダイス〉から来ました。お父様のことはお悔やみ申し上げます。九条さんの仇討ちになにか自分も協力できないかと思い、登録させていただきました。今後とも応援させていただきます』
 ――じゃー課金よろ。
『さと子ちゃんいつも寝起きなのにとっても可愛くて憧れます。あたしも試してみたけどどうやってもさと子ちゃんみたいになれなくてしょぼんです……。あ、今度のイベント行くよ! 楽しみにしてるね☆』
 ――よしよし、バレてねー……
『フェイク乙です。いつまで持つか楽しみにしてっから』
 ――ビンゴ! でもお前が厭きるまでは続けてやんよ。
『さと子ちゃん、もう5回もメッセしてるのに返信なくて寂しいよ……』
 ――あーめんどくせ、後で送ってやるから……
『さと子ちゃん―』
『さと子さん――』
『俺のさと子―――』
 …………
 いちいち悪態を吐きながらメッセージを全て読むと、九条は今日の予定を確認した。
 昼の暑いときに横須賀でビラ配り、夕方からは仇討ち系ウェブマガジンの取材、夜は配信となっていた。炎天下の中汗だくになってのビラ配りを想像するとうんざりしたが、そういった地道な活動が好感度に影響してくるのはこの稼業の常識だった。もちろん事前告知はしない。どうせ隠しても熱心なファンが見つけて差し入れをしに来るだろうし、遠くからちゃっかり盗撮してその日のうちにネットにUPするはずだ。いかにそれを見越していない振る舞いをするかがポイントだった。
(服装、どうしよう?)
 前回の熱海でのビラ配りは『アクセサリーが派手』『パンプスでビラ配りとかやる気あんの?』などと散々叩かれたので地味な服を新しく買っておいたのだが、それはそれでわざとらしい気がして迷っていた。
 九条はゴーグルで〈イラストコーデ〉アプリを開き、写真フォルダからビラ配り用に買った服の写真を次々中央のマネキンにドロップしていった。すると今日のコーデが一枚のイラストとして完成した。
『これで今日外回り行くんだけど、どうかな?』
 一番仲の良い〝討ち友〟の一宮れいちゃんにそう送ったら、『全然大丈夫! 可愛いよ☆ 暑いから気を付けてね』と即レスが来た。
 九条は今日はじめて笑顔になると、一宮に『ありがと! また飲も!』と返信してコップを流しに置き、リビングに戻った。

「すいません、昼間ビラ配りしてたので……。汗臭いですよね? シャワー浴びてくる時間がなくて」
 会議室に入るなり済まなそうに頭を下げる九条に、インタビュアーがいえいえと手を振った。
「写真はこのまま撮るかたちになりますがよろしかったですか?」
 一応気を遣うカメラマンに大丈夫と会釈をして、さっきトイレで整えた髪を直すふりをした。汗だくのままインタビューを受けたのはもちろん計算だった。その方が頑張ってる感じが出せるし、それだけで推してくれる人が増えるというのは〝討ちドル〟界の常識だった。
「ではインタビューをはじめていきます。ゴーグルは録音モードにしてありますので、録画はしておりません」
 仇討ちメディア大手の〈SWORD AND BEAUTY〉誌編集者が儀礼上そう告げた。
「まずは基本的な情報から。お父様が亡くなられたのはいつ、どのような状況でしょうか?」
「はい、昨年の冬頃、繁華街での喧嘩を止めようとして刺されてしまい、救急搬送されましたが翌日息を引き取りました。警察は叡山に人員を割いていることを理由に、捜査しても犯人を捕まえるのは難しいし、その後の裁判も長くなると暗に仇討ちを薦めてきました。私は父の命を奪った犯人が何の責任も負わずのうのうと生きていることが許せなくて、仇討ちを決意しました」
「仇討ち許可証はすぐに発行されましたか?」
「はい、びっくりするぐらいスムーズでした。それについて警察への批判があることは知っていますが、仇討ちを決意した者にとっては気持ちが揺るがないうちに動き出せるのである意味ありがたいと思っています」
「九条さんは先に72日のボランティアを済まされたとか?」
「そうなんです、私も本年度から仇討ち申請者は3年以内にトータル72日間のボランティア活動が義務付けられたと申請してから知って……月2回を3年間で消化できる計算になるんですが、それなら情報収集の準備段階で先に済ませておいた方がいいかなと思って。最初は怖がられるかとビクビクしていたんですが、やってみると皆さん本当に優しくて、応援してくださって……そのとき一緒に活動したのが一宮れいちゃんで、今では一番の〝討ち友〟です! 他のボランティアスタッフさんも、今でも連絡取ってます」
「一宮さんは先月特集させていただきましたよ!」
「ですよね! 私も見させていただきました。とっても可愛くて、誇らしかったです!」
「ありがとうございます。ではお話を仇討ちに戻します。ずばり、犯人のことは、殺したいと?」
「それは……正直、まだ分かりません。なんとかして手がかりを掴んで、相手の情報を得てから、できれば謝罪の言葉を引き出したいと考えています。甘いかもしれませんが」
「そうですね、世間では仇討ち反対派も多いし、成功者へのバッシングや差別も問題となっています。いわゆる『第三の選択』――警察に任せて事件をうやむやにさせず、かといって仇討ちで相手を殺さず、改心を促し、和解するという方向性もあるとは思いますが……」
「はい、個人的にも『第三の選択』を目指してはいますが、そこまで世の中甘くはないというのも知っています。最後の最後までしっかり考え抜いて結果を出したいと思っています」
「ではやや視点を変えまして、仇討ち申請者の広報活動、平たく言うと〝討ちドル〟活動についてはどう思われますか?」
「批判があるのは分かっています。私も一応〝討ちドル〟の範疇に入るので。正直、これはやってみないと分からない部分が多いと思います。ビラ配りなどの正攻法だけではなかなか情報は集まらないし、その他資金集め、協力者の募集など、待っていても誰も手を挙げてはくれません。やはりある程度目立たないといけないし、ある種のアイドル活動をすることで仇討ち資金を稼ぐこともできます。個人的には大事なのはバランスではないかと思います……」
「中には仇討ち申請もしていない、もっと言うと身内の誰も亡くなっていないのに〝討ちドル〟活動をする、いわゆるフェイクもいますが、そういった方に対してはどう思われますか?」
「正直、迷惑に感じます。私の周りは本当に命をかけて仇討ちに挑んでいる人ばかりです。そういった人が迷惑を被っているのをちゃんと理解して欲しいし、それにアイドル活動なら仇討ち関係なしにできるので、普通に活動すればいいのに……」
 インタビューは30分程度で滞りなく終了した。九条は丁寧にお辞儀をし、静かにドアを閉めると、走るようにトイレに向かった。
 個室で汗を拭き、メイクを直しながら内容を反芻したが問題はなさそうだった。仇討ちメディアはネトウヨ系から低俗な週刊誌まがいのもの、アイドル性のみに焦点を当てたもの、なんとか改心させて仇討ちをやめさせようとする左翼系など様々だったが、〈SWORD AND BEAUTY〉はゴシップと社会性のバランスが絶妙で、自称ナショナリストのおじさんから〝ドル推し〟と呼ばれる仇討ちアイドルオタクまで幅広い層の支持を集めていた。だから九条もこのオファーを受けたのだが、終わってみればもう少し突っ込んできてもよかったのにと不満が湧いてきた。
(こんなんでみんな食いつくのかな?)
 どうせなら露出多めの服にしたらよかったと後悔したが、その格好でビラ配りをすればそれはそれで叩かれる。
 ため息を吐きながらオフィスビルを出た瞬間、男二人が駆け寄ってき、九条は身を固くして立ち止まった。
「九条さと子さんですよね? 〈週間文秋別冊・討ちドル最前線〉です。ちょっとお話よろしいですか?」
 有無を言わせない様子に九条は身を固くし、歩を早めた。どうせ断ってもついてくるのは分かっていた。
「取材は前もってご連絡いただかないと……」
「九条さと子というお名前は〝討ち名〟ということで間違いないですか? 本名は鬼塚リンネさんと伺っていますが。あえて弱々しい討ち名にしたのは何か理由が?」
 話が全くかみ合わない。無視する九条に記者は続けた。
「先週末のクラブイベントは面白かったですか? 朝4時に高身長の男性と出てこられましたが、クラブでナンパされたんですか?」
「プライベートです」
 九条は反応したらダメだと分かりつつも、記者のいやらしい口調につい答えてしまった。これも作戦なのだろう。
「確かに、いかに〝討ちドル〟といえどもプライベートは普通の女の子ですもんね。ところでその仇討ちですが、お父様が亡くなってもう10ヶ月ほど経ちますが、仇は見つかりましたか?」
「現在情報収集中です。これ以上は正式に取材オファーしてください」
「お父様の亡くなった現場で鬼塚……九条さんを見たという人が一人もいないのはなぜですかね? 本当に仇討ちする気があるんならまずは現場百編では?」
 九条はちょうど停まっていた無人タクシーに乗り込み、自宅の住所を言いそうになったが、つけられるのを見越して最寄り駅を告げ、しばらく顔を伏せていた。
「もう最悪! フォロワーめっちゃ減ったし。あいつら何のためにこんなことすんの? パパが殺された現場なんて怖くてまだ行けないのに不自然とか……それでフェイクってホント信じられない!」
 先日のゲリラ取材後、〈討ちドル最前線〉最新号には九条のスキャンダルや仇討ちに対する懐疑の文章が掲載されていた。その後各SNSは炎上、フォロワーは激減し、毎日のように罵詈雑言のメッセージが送られてきた。
 九条は一宮をすぐに〝オフ飲み〟に誘い、デヴァイス持ち込み禁止の上、各部屋には軍事用ジャミングが仕掛けてあることから企業役員や政府関係者からも信頼が厚いここ〈ストレス・フリー〉にて胸の内を吐き出していた。
 泣きながらテーブルに突っ伏す九条に対し一宮れいは、
「大丈夫だって、私もほら、バズーカにやられたやつあるじゃん? でもその後3ヶ月もしたらフォロワーも戻ってきたし。ね、だから気にしない!」
 と励ました。
 一宮も1年ほど前、界隈では最底辺と呼ばれる仇討ち系メディア〈ADAUCHI BAZOOKA〉に当時の彼氏とラブホに入っていくところを掲載されたのだった。しかし、もはや警察ですらフェイク画像と本物の見分けがつかない昨今、当然良識派はフェイク説を唱え、それを浸透させようとするので、疑惑はいつまでも平行線をたどり、野次馬はすぐに厭きて次のスキャンダルに飛びついていく。その期間がだいたい3ヶ月とされていた。
「お持ち帰りされたのはいいとしてさ……やっぱ〝ハンガチ〟ってことバレてる。悔しいけど書かれてること合ってるし……。私もうやめ時なのかなー」
 真っ赤な目で訴える九条に、一宮は苦笑いした。
「あ、そっちね。私もいつまでできるかなー」
 やや俯いて遠い目をする一宮に九条はムッとした。
「なんで引き留めてくれないの!」
「私だっていつまで〝討ちドル〟やっていけるかわかんないし。それに私完全な〝パチ〟じゃん? その点さと子はお父さんの事件も知られてるから絶対私より長くやれるよ」
 一宮の冷静な分析に九条は「そうだけど……」と力なく呟くと、また溢れてきた涙を拭いた。
 この〝討ちドル〟業界には、いつしか分類が為されるようになった。大きく分けるとリアルとフェイク。本当に仇討ちするつもりで情報や資金集めのためにアイドル活動をする者は〝ガチ〟――これが最も崇拝され、仇討ち成功後も推される。中でも代行ではなく自身で仇討ちを遂行する女性は〝リアルガチ〟と呼ばれ、ほとんど神格化される。代行を依頼する者はやや格が落ちるとされているが、批判はほとんどなかった。
 フェイクは仇討ち対象すらも最初からいない〝パチ〟、対象はいるが本当に仇討ちする気はない〝フリ〟、対象がいていずれは仇討ちするつもりだが先延ばしにしている〝ハンガチ〟に分けられる。〝パチ〟が最も非難され、それが判明すると襲撃されることすらあった。〝討ちヲタ〟の間ではこれらに基づいたランキングが制作され、日々真贋が議論された。
 九条さと子は界隈が正式に認定した〝ハンガチ〟であり、一宮れいは〝パチ〟である。一宮は警察とつながりのある裏社会の人間に高額の謝礼を支払い、〈仇討ち許可証〉などの書類を作成し、一般公開はしていないものの、〝討ちドル〟仲間には見せており、噂レベルでの〝ガチ〟または〝ハンガチ〟認定はされていたが、決定的な証拠がない分、常にアンチから嫌疑をかけられていた。〈ADAUCHI BAZOOKA〉に記事が出たときはもう終わりかと思ったが、サイトの低俗な趣旨のおかげで〈仇討ち許可証〉偽造疑惑には一切触れられず、その代わりにホテルでのプレイがまことしやかに書かれていた。その内容が7割ほど合っていたことで一宮は男からのリークだと断定し、その後は男を我慢して過ごしてきた。
 こうした本音は〝討ちドル〟界最大のタブーで、親友の九条と一宮ですら〝オフ飲み〟以外表だって話すことは絶対にしなかった。
 夜中2時まで飲んだ後、二人は最寄り駅で別れた。九条は揺れる景色の中深夜トラムを待ちながら、仇討ちについて考えた。
 最初は本気だった。
 父のことは好きだったし、男手ひとつで育ててくれたことには心から感謝していた。だから警察の勧めに従って仇討ち申請を行った(警察が仕事を減らすために仇討ちを勧めていることは後で知った)。その後遺品の整理をしながらネットで勉強し、〝討ちドル〟活動を開始したのだが、家族を失った寂しさと、平凡に暮らしてきた自分が突然悲劇のヒロインになり、いろんな人に優しくされはじめたことに初めて人生の充実感を感じ、いつしか九条はこの地位を手放したくないと考えるようになった。
 ――それにファンの身勝手さときたら……
 ちょっとでもお洒落すれば『派手』『ふさわしくない』『本当に討つ気あんの?』と疑われ、情報があるからと待ち合わせをすれば全然関係ないことばかり話されたり、プライベートばかり詮索されたり、いきなりホテルに誘われたり……
 そんな生活で九条は自分を見失っていた。
 今回の初スキャンダルはそんな自分へのいい戒めかもしれない……
 深夜トラムが来ると、女性専用車両に乗り、ぼんやりと掲示板の宣伝を眺めていた。すると「仇討ち代行、指南引き受け。女性職員が丁寧に対応します――芹沢事務所」という文字が目に留まった。九条はあわててゴーグルを付け、再度それが出てきたときに録画した。
「芹沢…事務所」
 それだけ呟くと、眠気で途切れそうな意識をなんとか保ち、帰路についた。

(試し読み終了)

シリーズ過去作品