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毎日noteを書く意味

ついにこのnoteへの毎日投稿も200日以上の継続となった。

文章を書くことを習慣にするのはとても気持ちが良いものだ。

人から言われて書いているわけではないから、自分が書きたいことを書きたいままに書いている。

頭の中にあるもやもやとした観念を文章に乗せている。

この作業を毎日続けていると、すっきりした解放感が出てくるものだ。

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ふと、なんで毎日文章を書いているんだろう、と思うようになりました。

最初は目的が明確でした。フィリピンへの就職というユニークな経験を記録として残したかったからです。

毎日ちょっとずつ書いていって、50日経ってやっと書き切りました。そこで本当は終わるはずでした。でも終わりませんでした。

毎日文章を書くという習慣が僕にとって心地よく、また楽しいものになっていたから、自由なテーマで継続することにしました。

そもそも僕は真面目で控えめな性格だけれど、話し始めたら止められないおしゃべりでもあります。一度何か話題が見つかると、それにまつわるいろんなことをペラペラと話してしまいます。

読書好きの雑学コレクターでありながら、感情の言語化が好きでもあるので、知識の側面と感情論の側面の両方から挟み打ちした話をしています。

だから、話が止まりません。

僕にとってnoteの投稿とは人に話しかけるようなものです。独り言を言う代わりに、文章に乗せている、といった感覚があります。

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そんな結論が出たものの、僕にとって「ではなぜ毎日投稿を続けるのか」、という疑問に良い答えをできていないと思ってしまいます。

人から「毎日続いててすごいね」と言われることがあります。もちろん褒めてもらうのは嬉しいし、気づいて伝えてくれる人には感謝の気持ちがあります。

でも、褒められるためにやっているかというとそれは違います。

加えて、ライターという仕事は、人に有益な文章を提供することで成立します。

海外旅行に行った時のおすすめレストラン、日々の暮らしを少し快適にするガジェット、操作が難しいスマホアプリの使い方などなど。

何かで困っている人にピンポイントで適切な情報を提供することによって、収益を得ていく仕事がライターです。

僕は一度ライティングの仕事を試してみたけれど、自分の書きたい文章を書くのと、ライターの仕事として文章を書くのとには大きな隔たりがあると思いました。僕は前者が得意で、後者は苦手だと感じました。

もちろん、僕の文章を見て仕事を依頼してくれる人がいたら嬉しいし、条件次第で誘いには乗りたいけれど、今のところあまりライターとして成長していきたい意志は持っていません。

だから、ライターとして成長していきたいから、という答えも違います。

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書く以上は読んでもらいたいものです。読んでもらった上で人から評価されたいものです。

でも、それはあくまで二次的な欲求です。

僕にとって毎日の投稿は、心情観察や状況観察のスキルアップとその時々の心境や脳内イメージの記録を意味するものだと思っています。

あくまで自分のためにやっています。

実はこの1ヶ月で、PV数は大きく落ち込みました。最大で月間4000ビューを稼いでいたけれど、最近は2800ビューまで落ちました。

でも自分のためにやっているなら、そこに感情を左右される必要はないと思いました。

ビュー数を稼ぐために、敢えて背伸びをしてライターの真似事をするのは、自分にとって無理をすることになってしまいます。

先月、僕のnoteを読んでくれている読者の方とオンラインで話す機会がありました。僕の文章を良いと思って直接伝えてくれたことはとても嬉しかったし、ヤル気も出るため、感謝の気持ちでいっぱいです。

こういう方を僕は大切にしていきたいと思います。

でも期待に応えようと思ってもいけないのでしょう。人のために書いているわけではないからです。

自分は自分らしく、自分のペースで自分の書きたいことを書く。それで自分が満足することが毎日noteを書く意味だから。


僕のことは以下の記事に紹介しています。

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それでは、また明日お会いしましょう!

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