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「空気を読む」の空気ができるまで

『日本は保守的な国だ』と、よく言われます。

今日もどこかでタクシー運転手のホスピタリティの低さが嘆かれているのに、いまだに規制をガチガチにして、Uberなどのライドシェアサービスが本格的には普及していません。

『現金信仰』もなかなか根強くて、中国では約60%、韓国にいたっては約90%もキャッシュレス化が進んでいるのに、日本ではいまだに20%くらいしかありません。

ああ、確かに保守的な国なのかなぁなんていうふうにぼくも思ってたんですが、あるときちょっと違った観点のツイートが流れてきて、それがすごく印象に残っています。

誰が言ったとか細かい文言とかまでは忘れてしまったんですが、ニュアンスとしては『日本人は保守的なんじゃなくて、1つこう!っていう世論や風潮ができあがったら、それに向かって全員で突き進んでるだけなんだよ』というものでした。

ここでポジティブな例がパッと思いつかないのが悲しいんですが、例えばいま、ZOZOTOWNや前澤さんが連日ワイドショーやネットでかなり叩かれてますよね。

でもこんな姿、半年前や1年前はほとんど誰も想像できなかったはずです。

当時は、剛力さんと付き合っていることや、宇宙に行くことなど、どんなニュースでもものすごくポジティブ(少なくともキラキラした感じ)で取り上げられていました。

もちろん批判などもありましたが、その圧倒的な勢いや業績で、そういった声はかき消されていました。

ところが『ZOZO ARIGATO』という新しいサービスが不評だったり、プライベートブランドの不振などによる業績の大幅な下方修正があったりして、いまはなにをやってもマイナスな取り上げられ方をされてしまっています。

こういった例がいくつか自分のなかで思い浮かんだとき、ああ確かに保守的というよりは、ある風潮ができあがったときの推進力が強烈という見方のほうが近いなあと思うようになりました。

それで、その推進力の源はなんなんだろうとうっすら考えていたときに出会ったのが、「空気」の研究です。

著者は山本七平という評論家で、ぼくが読んだ新装版は去年に発売されたものですが、内容自体は1983年に書かれたものです。

ただ、その内容は30年以上のときを経てもまったく色あせておらず、読み進めながら何回もその普遍性に舌を巻きました。

きっかけは下の最所さんのツイートで、ここまで絶賛されて且つ『大学生のうちに』なんて付けられてしまった日には、読まない以外の選択肢はありません。

ただ、予想どおりそんなスラスラと読める類の書ではなかったので、一文一文を噛み砕きながらチビチビと読み、昨日やっと最後のページまで行き着くことができました。

それで今日から何回かに分けて感想を書いていこうと思うんですが、最初に断っておくと、ぼくも完全には咀嚼しきれてません。

いまのぼくでは1回読んだくらいですべての情報を飲み込むことはできなかったので、これから定期的に読み直して、少しずつ自分の肥やしにしていきます。

ということで今日の感想1回目は、この本の核となる考え方やそもそも用語の定義なんかを中心に、書いていきたいと思います!

・・・

まず、本著のタイトルでもある『空気の研究』の『空気』は、『世論』や『風潮』とほぼ同じ意味です。

なので、本著のテーマはぼくがうっすら考えていた『推進力の源はなんなんだろう』そのものとも言えるんですが、そんな本著における最大のキーワードは『臨在感的把握』です。

本文中で何回出てくるかなーと思って、いまKindleで『臨在感的把握』って検索したら、50箇所以上ヒットした...!

臨在感的把握とは、ひとことで言うと『”それ”はそこに実在するわけではないのに、あたかもそこにいるかのように感じること』です。

その”それ”こそが、世論であり風潮であり、そして『空気』なわけですが、山本七平はつまり『我々がそれぞれ臨在感的把握をしていることにより、空気が醸成されている』ということを言っています。

ではなぜ、ぼくたちは『臨在感的把握』をしてしまうのか。

それについて本中では『臨在感的把握の原則は、対象への一方的な感情移入による自己と対象との一体化であり、対象への分析を拒否する心的態度である。』と考察されています。

...............初見だと意味が分かりづらいですが、とりあえず『対象への一方的な感情移入』がどうして起こるのかを考えます。

それを踏まえたうえで、後の『自己と対象との一体化』や『対象への分析を拒否する心的態度』にもつながっていくので。。。

『対象への一方的な感情移入』が起こる要因を、本書では日本に根付く『アニミズム』という考え方に見出しています。

アニミズムとは『物神論』と訳されたりもしていて、これは生物・無生物を問わず、あらゆるものに霊が宿っているという考え方です。

(ちょっとスピリチュアルな香りが漂い始めたけど、至極真面目な考察なので、この先も読んでください...!)

要は日本人の精神にはアニミズムが根付いているので、あらゆるものを絶対化できる(=対象への一方的な感情移入)ができるということです。

分かりやすい例でいうと、ぼくたちがロボットやぬいぐるみに名前なんかをつけてかわいがる行為のことです。

あの光景を不思議がる外国人も、少なくありません。

それは、ぼくたちはぬいぐるみにも霊が宿っていると考えて感情移入するけれども、キリスト教やイスラム教といった『一神教』信仰の人たちにとって、絶対化できる存在は一神だけだからてす。

その神以外のすべて存在は平等に相対化されるので、その神以外のものに対して、一方的な感情移入をするということがありません。

一方で、アニミズムの考え方でいくと、絶対化する神は無数にあって、その都度都度、自分がこれだ!と思ったものを絶対化していきます。

本中ではこの絶対化を『感情移入を感情移入だと考えない状態』と呼んでたりするんですが、これはもうまさに『自己と対象との一体化』であり、『対象への分析を拒否する心的態度』以外のなにものでもありません。

言うなれば『もう他の人が何を言っても無駄!』な状態ですね。

そして、ここが日本人が『保守的なのではなく、とある空気が醸成されたときの推進力が強烈(=1つの考えに凝り固まっているわけではなく、思い込み力がすごい)』の話にもつながってくるんですが、そんなことができるのは、ぼくたちが信じる対象の『候補』が無数にあるからです。

一神教だったら、こんなことはできません。

アニミズム信仰であらゆるものに霊が宿っていると考えているからこそ、その都度その都度『これだ!』と思ったものに飛びついているということなのです。

・・・

この考え方が、これから数回に分けて書こうと思っている『空気の研究』の基盤になる考え方です。

いきなりアニミズムとか一神教とか言われてしまうと、すごく胡散臭い感じになってしまうんですが、、、読み進めていくと本著の内容が『日本の文化的背景』に基づいく、れっきとした『空気の研究』として感じるようになってきます。

実際、この1冊を読んだうえで、世の中で起こっているニュースを眺めていると、最所さんの言ったようにそのニュースに対する見え方が変わっている感覚がけっこうあるので、読んで良かったなって思います。

どういうふうに変わったのか?っていうのをこの先何回かに分けて書いていこうと思ってるので、明日以降もぜひ読んでください!!


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