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「コト消費」から「モノ消費」への回帰、そしてその限界について

糸井はかつて自らが牽引したこの国の消費社会が終わりを告げようとしていることを、極めて正しく、そして本質的に理解していたに違いない。
その結果、気がつけば「ほぼ日」はECサイトになっていた。
(『遅いインターネット』より引用)


評論家・宇野さんによる著書「遅いインターネット」を読みました。


きょうはそのまとめ、第5回です。

第1回 「民主主義」の限界
第2回 民主主義を「守る」ため、民主主義を「半分諦める」
第3回 いまの「メディア」に求められていること
第4回 ぼくたちを取り巻く、3つの「幻想」


※以下、この囲いの文字は、本中からの引用です


きょうは、宇野さんがwebメディア「遅いインターネット」を立ち上げるにあたって、最もベンチマークしたメディア、「ほぼ日」に関する、宇野さんの考察をまとめます。

きのうのnoteでは、ほぼ日を立ち上げた糸井重里さんがリスペクトしてやまない思想家・吉本隆明さんに対する、宇野さんの評論をまとめました。


吉本さんも糸井さんも宇野さんも、いかにぼくたちが「自分の物語を生きられるのか」ということを念頭において活動しているのですが、戦後の思想家・吉本さんは、高度経済成長の「大量生産大量消費」を、「自分の物語」を生きる行為として甘受しました。

ただ、とは言え甘受は甘受なわけで、吉本さんはもちろん、糸井さんも宇野さんも、戦後の中流階級の消費行動を、完全なる「自分の物語」を生きる行為としては認識していません。

商品の消費とは誰かの作り上げたものを所有し、身につけることだ。
それは一見「自分の物語」であるようでいて、まだまだ「他人の物語」の領域に留まる行為だったのだ。


では、そこで吉本さんの意志も受け継いだ糸井さんがその後に実行したのは、「モノ」ではなく「コト」を用いたアプローチでした。

具体的には、「ほぼ日」ですね。

ほぼ日を通じて発信されているwebコンテンツ(=コト)を用いて、糸井さんはぼくたちが「自分の物語」を生き、そして共同幻想からの「自立」を促そうとしました。

(「共同幻想」についての詳細は、きのうのnoteをぜひ読んでください!)


ただ、ほぼ日が創刊された1988年当時は、「モノ」ではなく「コト」によるアプローチに斬新さがありましたが、ぼくがこのnoteを書いている2020年現在、逆に「コト消費」が言われすぎたことによる「コト疲れ」が起きています。

「ストーリー」とか「思想」とかって言葉、大事なのは大前提として、もうこの5年くらいいろんなところでその重要性が語られすぎて、「もういいよ!」と感じている人も、少なくないと思います。

僕たちは「ソーシャル疲れ」という言葉が普及する程度には、インターネット上に過剰にシェアされる「コト」の飽和に直面するようになった。


そうするとどうなったかというと、「揺り戻し」が起きて、みんなが「モノ」に希少性を見出すようになったのです。

そして糸井さんも、その時代の波を捉えて、「モノ」とのバランスもとり始めました。

その結果として「モノ」に接する時間は希少な「誰とも(直接は)つながらない時間」として相対的に浮上することになった。
情報社会からほどよく距離を取るためには、あえて「モノ」に回帰すればよい。
それが糸井の時代に対する「回答」なのだ。


例えば、ほぼ日が上場するときに少し話題になったんですけど、上場当時、たしかほぼ日は売り上げの大半を「手帳」が占めていました。


「コト」によるアプローチとして始まったwebメディア「ほぼ日」は、次第に時代の変化もあり、そのほぼ日が持つ世界観を具現化させた「モノ」を売るECサイトになったのです。

糸井はかつて自らが牽引したこの国の消費社会が終わりを告げようとしていることを、極めて正しく、そして本質的に理解していたに違いない。
その結果、気がつけば「ほぼ日」はECサイトになっていた。


しかし、揺り戻しによって再びやってきた「コト」によるアプローチでは、「自立」のサポートをできる人が限定されてしまうと、宇野さんは指摘します。

残念ながら現在の「ほぼ日」は以前とは異なり、どこからでも、誰でも楽しめるものではなくなっている。
「やさしいタオル(ハンドサイズ)880円(税込み)」という値付けを見て、ため息をついた読者も多いだろう。(中略)
現在のこの日本社会でハンドタオルに880円払ってもよい、と考えられる心の余裕は、とても大切なことは間違いない。
しかし、それでもこの現在の「ほぼ日」が採用する「モノ」への回帰、消費社会への戦略的撤退という処方箋の、決定的な射程の短さを僕は指摘せざるを得ない。


例として挙げられた880円のハンドタオルを高いと感じるかどうかは、この文章を読んでくれている方のなかでも、いろいろと意見が分かれるところではあると思います。

ただまあ、でも逆に高いからこそ意味があるというか、仮にテクノロジーの恩恵を最大限に授かって、めちゃめちゃコスパのいい100円のハンドタオルを買ったところで、それは「自分の物語」、平たく言うと、自分がこだわって買った、とっておきの買い物と言えるのかどうかは、議論の余地が大いにありますよね。

そういう意味で、そもそも構造的に現代において「モノ」を通じて「自分の物語」を表現したり、自立したりするのは、一部の人だけなのかもしれません。

逆に戦後の「モノ」による自立は、一億総中流社会、もう少しぼくの解釈を交えると「みんなと同じものを持っていることがステータス」な時代だったからこそ、成立したと言えるのでしょう。

消費による自己幻想の強化を用いた「自立」は戦後の高度経済成長による中流化が進行中であるからこそ、有効な手段だったのだ。


ただ、逆にだからといって、「コト」オンリーに留まり続けるわけにもいかず、「モノ」へのアプローチは、ある程度不可避的にしなければなりません。

全員を支えることはできない(と分かっている)けど、とりあえず救える人から救おうという発想の元での、手帳であり、カレー粉であり、タオルなのです。

もちろん、僕は「モノ」の情報社会下における機能の変化にポジティブな再評価を与えることそのものを批判しようとは思わない。
しかし、現時点ではクレバーな撤退戦に過ぎないことにも留意は必要だろう
(そしてこの状況下においてクレバーな撤退戦を完璧に展開する糸井には脱帽させられるしかない、が)。


では、宇野さんはこの吉本さんと糸井さんの思想と取り組み、そしてその限界をどのようにアップデートして、「遅いインターネット」を運営していくのか、について明日以降のnoteで書いていきます!

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