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民主主義を「守る」ため、民主主義を「半分諦める」

必要なのは市民を動員してデモに連れ出すことでも、大衆を動員して選挙に連れ出すことでもない。
人間を(意識の高すぎる)市民化すること、あるいは(意識の低すぎる)大衆化することなもなく、人間本来の姿のまま政治参加を促す回路だ。
(『遅いインターネット』より)


評論家・宇野さんによる著書『遅いインターネット』を読みました。


きょうはその内容をまとめるnote、第2回です。

第1回はコチラ↓


きのうのnoteの内容を一言で言うと「いまの民主主義のシステムはもう限界が来ているから、何かしらの対応が必要だ」です。

その対応策についてきょうは書いていくのですが、まず、本中ではそこまで詳述されない「理想の姿」は、「境界のない世界」が「境界のある世界」を飲みこむこと。

「境界のない世界」というのは、いわゆる「グローバリゼーション」の体現された世界のことで、具体的には「人」や「お金」「モノ」「情報」など、ありとあらゆるものが「世界」という単位で飛び交う世界を指します。

ただ、その正攻法の成就にはとてつもない労力と時間がかかるのです。

そこで、並行して実施する、言葉は悪いですが「対症療法」的な施策として、宇野さんは3つの案を提示します。

もちろん前提として、究極的な結論としてはあたらしい「境界のない世界」を拡大し、旧い「境界のある世界」を飲み込むしかない。(中略)
だが、そうなるには(特にこの日本では)途方もない時間がかかるだろう。
その途方もない時間を1年でも、1ヶ月でも縮める努力は最大限に行うことを前提とした上で僕たちは民主主義を(半分諦めることで)守り、そしてそのことで民主主義「から」自由と平等を守る他ないのだ。
(本中より引用)


最初にバラしちゃうと、3つの案のうち、最後3つ目の案が、このたび宇野さんが立ち上げた、本書のタイトルにもなっている「遅いインターネット」というメディアの立ち上げです。

たぶん明日以降のnoteでは、その「遅いインターネット」の必要性や、宇野さんがそういう結論に至るまでのプロセスについて書くと思うのですが、きょうはそれ以外の2つの案を中心に紹介するnoteになります。

ということで、1つ目の提案は、「民主主義と立憲主義のパワーバランスを是正すること」。

具体的には、「民主主義を半分諦める」という引用中の言葉にもあったように、「民主主義」よりも「立憲主義」の方に、パワーを傾けます。

たとえば、韓国って、わりと国民の一時的な感情とか世論とかで、大統領がクビになったり、裁判の結果が大きく変わったりする(らしい)のですが、これはたぶん、「民主主義」にパワーバランスが触れてしまっているときの弊害の、ひとつの例です。

韓国が「民主主義」と「立憲主義」のどちらに重きが置かれているのかは分からないんですけど、日本でも今後そういった「民主主義の暴走」が頻発することを防ぐために、「立憲主義」の力を強めておくことが大事ということなのでしょう。


次に、2つ目の提案は「政治を日常に取り戻すこと」。

具体的には「情報技術を用いてあたらしい政治参加の回路を構築すること」です。

「情報技術を用いた政治参加」というと、「SNSの活用」を思い浮かべる方もいるかもしれませんが、それはあんまりうまくいかないということが、ここ数十年の結果として出ています。

アラブの春も、何かしらのデモも、結局は何も変わらなかったか、むしろ改悪された何かを生んでしまいました。

IS(イスラム過激派組織)は、その典型ですね。

フェイクニュースの温床となっていることも含めて、昨今はむしろSNSは民主主義の敵みたいな雰囲気さえあります。

ではどうすればいいいのかと言うと、そこでの宇野さんの解答は「民主主義のあたらしい回路を作ること」です。

めっちゃ平たく言うと、「ちゃんと冷静に判断できる且つ専門的な知見を持っている人が、政治参加しやすい環境を整える」ということだと、ぼくは解釈しました。

きのうのnoteにも書いたんですけど、そういう人(=ちゃんと冷静に判断できる且つ専門的な知見を持っている人)って、別に政治に参加しなくても、すでに「境界のない世界」で、活躍してるので、そこまで政治に参加する動機がないんですよね。

とはいえ、そうなると政治に参加するのが「境界のない世界であんまり活躍できていない人」ばっかりになってしまうので、どうやって「ちゃんと冷静に判断できる且つ専門的な知見を持っている人」に、政治に参加してもらいやすい環境を構築するかが大事です。

それを宇野さんは「民主主義のあたらしい回路をつくる」と表現しているのだと思います。

デモは意識の高すぎる「市民」を、選挙は低すぎる「大衆」を非日常に「動員」するシステムなのだ。
民主主義をデモ/選挙といった非日常への動員から解放する。
そのことによって、ポピュリズムの影響力を相対的に下げる。
いまや自由と平等の敵となりつつある民主主義の暴走リスクを下げることが、必要なのだ。
(本中より引用)


例のひとつとして、本中では「クラウドロー」と言う手段が提示されていました。

これはたぶんクラウド(=インターネット上で)でロー(法律)に関することを決めようという意味だと思うのですが、例えば台湾では「vTaiwan」というプラットフォームが注目を浴びているそうです。

vTaiwanを通じて、人々は行政に対して、政策の意見をすることができ、そこで良いと判断されたのは、実際に政策に反映されます。

実際に台湾では、vTaiwanを用いて、「ライドシェアサービスの参入」と「既存のタクシー業者」との調整が行なわれたり、リベンジポルノに対する罰則が規定されたりしました。

そういった感じで、民主主義のあたらしい回路を、テクノロジーを活用してつくることによって、日常に政治を溶け込ませることができるのです。


ただ、ここ2つまでは、実際にいろんなところで議論されている話でもあります。

最後3つ目の提案が、宇野さん独自のもので且つ実行に移しているものなのですが、それが最初にもネタバラシした「遅いインターネット」空間の創設です。

この3つ目の提案の背景については、明日以降のnoteで書いてきます。

ということできょうは1つ目と2つ目の提案、「民主主義と立憲主義のバランスの是正」と「政治を日常に取り戻すこと」についての話でした!


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