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【働くひとの Life Story -嬉しかったり悔しかったり- #1 】目指すのは相手の心に火を灯すデザイナー(渡辺かいさん/岩手・デザイナー)

昨年、SEARCHLIGHT PROJETを立ち上げ、岩手をはじめ、秋田や青森、宮崎、富山を訪れるようになりました。その行く先々で、魅力的な方々との出会いが数多くありました。その度に「身の回りに、楽しくチャレンジされている方々がたくさんいらっしゃるので、そうした方々と中高大生の皆さんが出会う機会を創りたいなぁ」という気持ちが強くなっていったんです。オンラインやリアルのイベントも継続的に開催していきたいと思いますが、一度に集まれる人数はどうしても限られてしまいます。そこで、こちらのnoteで、僕が出会った素敵な方々が、どのような青春時代を送りながら、何を考え、どんな行動を起こして、今のお仕事や活動に辿り着かれたのか、その方々のLife Storyをインタビュー形式でお届けしたいと思います。

将来やりたいことって、見つけたいと思ってもなかなか見つけることが難しいことだと思っています。いろんなタイミングや要素が重なって、ある日、ふと出会うのかも知れません。このLife Storyが、将来を考える中高生の皆さんにとって、その「ある日」に向けた、目に見えない一片になれたら嬉しく思います。

さて、初めてのゲストは、岩手県滝沢市でデザイナーをされていらっしゃる渡辺炎如(かい)さん(以下、「かいさん」と呼ばせてください)です。かいさん、先月実施しました「スマホで作る 岩手の魅力CM」ワークショップに続いてのご協力、本当にありがとうございます。

\渡辺炎如(かい)さん プロフィール/
有限会社哲学堂 専務取締役 
岩手県滝沢市を拠点に映像デザイナー・グラフィックデザイナーとして活動中。「デザインを通じて地域にワクワクを」をモットーに、気持ちが動くデザイン、行動に繋がるデザインを大切にしながらお仕事されていらっしゃいます。
# デザイン歴17年
# 滝沢市主催人材育成プロジェクト「AMATAR STUDY」企画運営
# 岩手県の地ビール「ベアレン」のテレビCM制作
# 2人の娘の成長が毎日の楽しみ
(受賞歴)
・ふるさとCM in IWATE 2022年大賞
・東北映像フェスティバル2021 CM PRキャンペーン部門 大賞
・岩手ADC2018 ADC賞
・ふるさとCM in IWATE 2017年大賞
・全国シティセールスデザインコンテスト2017大賞

2020年、かいさんが制作された「ベアレンビール」のTVCMです。

誰かの未来の選択肢が広がることに貢献できることが、とても嬉しいんです。

「スマホで作る 岩手の魅力CM」ワークショップで参加してくれてお2人と談笑するかいさん

ー かいさん、先月、盛岡で実施しましたワークショップ「スマホで作る 岩手の魅力CM」にご協力いただきありがとうございました。SEARCHLIGHT PROJECTとしては、初のリアル開催となったワークショップ、とても楽しかったです。

かいさん:こちらこそ、やらせてもらって楽しかったです。参加してくれた2人の感想やコメントを拝見すると、実施してよかったなぁと思いました。そして、
僕自身がやりたいことって、こういうことなんだよなぁと再確認できた感じもしています。

ー そうおっしゃっていただけると、こちらも嬉しいです。

ー 今回、かいさんの幼少時代から今までのLife Storyをお聞かせいただきたいと考えています。今まで、こうしたインタビューを受けられたことはありますか。

かいさん:ないですね。お役に立てるかわかりませんが、思い出しながらお伝えできればと思います。何でも聞いてくださいね!

ー ありがとうございます。とても楽しみにしていました。ちなみに、かいさんは「デザイン × 教育」にご関心をお持ちでいらっしゃると伺っていますが、「教育」に目が向いたきっかけがあるんですか。

かいさん:はい。滝沢市が主催するAMATAR STUDYという「人材育成プロジェクト」があり、その企画運営をやらせていただいていまして。ここでの経験が「教育」に目が向いたきっかけでした。ITなど様々な分野で活躍されていらっしゃる方からお話をお聞きしたり、ワークショップ形式で参加者が自分でチャレンジしてみたいことを探って「事業づくり」をしてみるんです。

ー おお、素敵な取組みですね。一度、かいさんからご紹介してもらったことがありましたが、確か、参加者の年齢層も幅広いんですよね。

かいさん:そうなんです。開催してきた年によっても異なりますが、ある年は、小学生から70歳代の方までと、かなり幅広かったですね。

ー それはすごい!そこまで幅広い年代の方が、一つの場所に集まって意見交換したり、やりたいことを探っていくのは、お互い刺激がありそうです。

かいさん:まさにそうです。そこが醍醐味でもあります。ちょうど2年前ですかね、開催の回を追うごとに、参加者がとってもいい表情になっていく様子を見ていたら、ゾクゾクってなったんですよ。その時、自分もこういった場を作りたいと思ったんです。

ー ゾクゾクする感覚って、そう何度も訪れないですもんね。僕も同じようなところが好きで、SEARCHLIGHT PROJECTを始めたので、その感覚がとっても分かる気がします。

かいさん:この時の経験から、「デザイン」をテーマに学びの場をつくることで、
誰かの未来の選択肢が広がったりする、そういうきっかけづくりに貢献することに、僕自身が喜びを感じるんだなぁと気づいたんです。

ー 今回のワークショップをご一緒させていただいた時も、かいさんのお気持ちが伝わってきました。最初からめっちゃ素敵なエピソードをお聞かせいただき、ありがとうございます。

気づいたら、小さな頃から絵を描くのが好きだったんです。

ー かいさん、現在、デザイナーとして活躍されていらっしゃいますが、小さな頃からデザインに関心があったんですか。

かいさん:父親が広告デザインの仕事をしていたので、少なからず影響は受けていると思います。小学校に入る前から、絵を描くのが好きだったことは覚えていますね。

ー そんなに小さな頃から!

かいさん:そうなんです。振り返ると、きっと、今の仕事につながる原体験ですね。家族や友達から、自分が描いた絵を褒められるのがとにかく嬉しかったことを覚えています。

ー 絵心が皆無なので、羨ましいです笑 ちなみに、一番最初に褒められた場面を覚えていますか。

かいさん:はい!小学生1年生の頃、ビックリマンが流行っていたんですね。確か「ヤマト神帝」だったと思うんですが、その絵を友達に見せたら、めっちゃ褒めてくれたんです。

ー 今、即答でしたね!当時のかいさん、ドヤ顔していたんでしょうねー笑

模型を塗る作業で、自分の居場所ができました(中学)

ー 小さな頃から絵が好きだったかいさん。中学では、美術部に入られたんですか。

かいさん:それが違ってですね。当時、ジャンプのSLUM DUNKが全盛期で、友達が「バスケ部入ろうかな」と言っていたので、自分もそれに乗っかって入部したんです。

ー SLUMDUNK、当時の人気振りはほんとにすごかったです。

かいさん:そしたら、練習がきついのと、先輩も怖くて、半年程度で部活をやめたんです。

ー そうでしたか。

かいさん:2年生になるとクラス替えもあり、1年生の時に仲のよかった友達もバラバラになってしまって。1年次に仲のよかった友達の教室に入り浸っていたら、自分のクラスでの友達作りがうまくいかなくなってしまったんです。そこから中学生活は楽しくなかったですね。今思うと、こうしたうまくいかないことを、誰かのせいにしたり、被害妄想をしていましたね。

ー 学校で一度できた友達のグループは、メンバーが入れ替わることって、なかなかないですもんね。僕も、中学はなかなかクラスに馴染めなかったんですよね。部活に行くために、学校に行ってたと思います。

かいさん:学校は楽しくなかったんですが、中学時代も家では絵を描き溜めていたんです。小学生の頃から、漠然と漫画家になりたいと思っていたんですよね。自分で描いてみたりもして。当時は、漫画のキャラクターを真似て描くのが好きだったんですよ。

ー 絵とは接点を持ち続けていたんですね。ちなみに、どんな漫画のキャラクターを真似ていたんですか。

かいさん:パッと思い出すのは「名探偵コナン」です。あ、でも、その他はもっぱら、ジャンプのやつですね。SLUM DUNKやジョジョも描いていましたね。漫画の模写だけ綺麗に描き続けるノートがあったんです。

ー おお。次回お会いしたときに、ぜひ見たいです。

かいさん:恥ずかしいですね笑 当時も、家族や自宅に遊びにきた友達から、描きためた絵を褒められた時が快感でした。あと、今でもそうなんですが、絵をうまく描けた時、自分でその絵をずっと見ている時間が好きなんです。まさに「愛でる」ような感覚なんですが、この時間が大好きでした。

ー 「愛でる」って、とってもいい表現ですね。

かいさん:ありがとうございます。そうだ!絵を描くことを続けていたことで、学校で自分の得意なことが活かされたことがありました。学校の文化祭で、クラスごとの出し物ってあるじゃないですか。中3の時、クラスで何かの模型を準備していて、それに色を塗る作業があったんですね。何人かが色を塗ったんですけど、普段話さないクラスメートから「すごいじゃん」って言われたことを思い出しました。

ー 普段話さない人から褒められるって、とっても嬉しいですもんね。

かいさん:そうなんです。その時は自分の感覚を言語化できなかったんですけど、自分の得意なことが発揮できて「何だか居場所ができた」という気持ちでした。

ー 自分が得意なことを認められた体験から、そう思われたんでしょうね。

かいさん:改めて言語化してみると「居場所」っていうワードが出てきました。ついでに、おまけエピソードを話してもいいですか。

ー 待っていましたー。ぜひ、お願いします。

かいさん:冒頭お話ししたAMATAR STYDYの滝沢市役所の担当者が中学校の同級生で、模型づくりの時に「すごいじゃん!」って声を掛けてくれた人なんです。その方とは、当時は仲がよかった訳ではないんです。時を経て、自分のデザインを頼ってくれて、今では仕事を通して仲良くなれているのは、自分の中では結構嬉しいことなんです。

ー 何だかこちらも嬉しくなってきます。貴重なエピソードをシェアいただき、ありがとうございます。

バンド活動でギターとデザイン担当やってました(高校)

ー その後、高校はどのように決めたんですか。

かいさん:岩手県立盛岡工業高校に「デザイン科」というのがあって、「デザイン」という名前に惹かれて入学しました。今は「建築・デザイン科」になっているのかな。

ー 今につながるストーリーですね。

かいさん:そうですね。その後、寄り道するんですけどね笑 中学時代があまりいい思い出がないので、高校は前とは違う3年間になったらいいなぁと思って入学式を迎えたのを、よく覚えています。

ー 環境が変わって、何か新しいことにチャレンジしてみたりしたんですか。

かいさん:そうなんです、バンド活動を始めたんですよ。

ー バンド!

かいさん:高1のある日、小中が一緒だった知り合いが、僕がギターを弾いてることを誰かから聞いたらしく、僕に連絡してきたんです。ギターを弾けるって言っても、中3の終わり頃、父親のギターを借りて、B'zの「あいかわらずなボクら」を練習したくらいなんですけどね。

ー バンドを一緒にやらないかって誘われたのは、きっと嬉しかったですよね。

かいさん:いやー、嬉しかったですね。メンバーのうち、同じ高校に通っていたのは1人で、残り4人は別々の学校でした。放課後や週末、メンバーの自宅や盛岡市内の貸しスタジオで練習してましたね。ライブ活動も2ヶ月に1度の頻度で行っていたので、大変でしたど楽しかった記憶が残っています。

ー ギター演奏以外で、バンドでの役割って何かあったんですか。

かいさん:作詞や作曲も時々やっていたのと、ライブのチケットやチラシ、カセットのジャケットデザイン制作は僕がやっていましたね。ありがたいことに、自宅でPhotoshopを使えたので、僕がPC担当という感じでした。

ー なるほどー。ライブを開催するんだったら、チラシなども必要になってきますもんね。

かいさん:そうなんです。もちろん、ギター演奏や楽曲制作も楽しかったんですけど、デザイン・ものづくりで自分の居場所ができていたんだなぁと思いますね。

ー「自分の居場所」、今回のキーフレーズですね。ところで、高校のデザイン科はどうでしたか。

かいさん:本当に楽しかったです。特に、3年時は「何かを制作する」授業がほとんどで、僕にとってはボーナスタイムのように感じていました笑  授業って楽しくていいんだって思えたのは、とても新鮮でしたね。

ー 確かに、学校の授業って「楽しい」という捉え方をするケースってあまりない気がします。

かいさん:高校も、おまけエピソードを思い出しました!

ー ぜひぜひ教えてください。

かいさん:体育祭でクラスの出番がある時に、音楽を流そうとしていたんですね。その音楽をちょっと編集してもらえないかって、先生から依頼されたことがあったんです。「ちょっと時間がかかるかも知れないので、早退して自宅でやってもいいですか」って先生に言ってみたら「いいよいいよ」って言ってくれて。

ー なんと!なんか型にはまっていない、こうした対応をお聞きするとほっこりしします。

かいさん:今思うと、ありがたいですよね。帰り道、ウキウキしながら自転車を漕いでいたなぁ

ー 笑

かいさん:それから、恋愛面で初めてお付き合いしたのも高校時代でしたね。奪い合いみたなことになってお別れすることもあったり、新しい出会いがあったりと。色々ありました。

ー この辺は、また岩手でじっくりお伺いしたいです笑

かいさん:ぜひ笑

バンドデビューすると決めて上京(高校卒業後)

高校卒業後、バンドデビューしたいと思って上京

ー 高校卒業後の進路については、どのように考えていましたか。

かいさん:高校2年の半ばくらいですかね、バンドメンバーの1人が「高校卒業したら、上京してプロを目指そうぜ」と言い出したことがきっかけで、自分もそうしようと思っていたんです。

ー ドラマみたいな展開ですね。僕の中学時代の先輩で、中卒でプロサッカー選手を目指してブラジルに留学された方がいらしゃったんですけど、その方を思い出しました。

かいさん:そう言われるとかっこいいんですが、正直、進路や就職から逃げているかもなぁという葛藤もありましたし、他メンバーの発言に乗っかっているだけ、という感覚もありましたよ。

ー どうしても将来を考えると不安は付きまといますもんね。ちなみに、親御さんや担任の先生にお伝えされた時の反応はどうでしたか。

かいさん:両親は、僕がやりたいことを応援してくれて、引越しも手伝ってくれたんです。引越し代が高いからと言って、車に荷物を詰め込んで、引越し先の相模原市まで乗せてきてくれたのは、とってもありがたかったですね。担任の先生も、僕がバンドやっていたのを知っていたので「そっか、そっか」という感じでしたね。

ー ドラマだど、ここで親御さんや先生が猛反対して、主人公がそれを打破していく場面だと思うんですが、ここはドラマっぽくないんですね。

かいさん:確かにそうですね笑 でも、ほとんど勢いだけで上京したので、バンド活動はなかなかうまく進みませんでした。

ー 何かあったんですか。

かいさん:当たり前なんですけど、バンド活動するためには、その前に生活していくためのお金が必要ですよね。上京直後は、お互いのアパートで楽曲制作したり、スタジオを借りて何度か練習したんです。でも、半年経過したくらいから、全員バイト漬けの日々になったんですよ。そうなると、バンド活動が自然とフェイドアウトしていきました。結局、1度も人前で演奏することができなかったんです。

ー いろいろ思い出したくないことをお聞きしてしまい、すいません。

「君の行動1つで、このお店を潰しちゃうこともできるからね」の言葉が、今の仕事観になってます。


かいさん:いえいえ、もう20年以上も前のことなので、大丈夫ですよ。バンド活動は確かに残念だったんですが、バイト先では今でも自分の「仕事観」となっている大切なことを学ぶ機会があったんです。

ー おお、そうでしたか。どんなバイトをされたんですか。

かいさん:酒屋さんと居酒屋の2つです。どちらも当時住んでいたアパートから近い場所にお店があり、偶然、求人情報を見つけて始めたバイトでした。

ー 飲食関係のバイトは多いですもんね。

かいさん:そうですね。居酒屋の方なんですが、オーナーの方が33歳くらいで、ご自身で初めて出店されたお店でした。ここのアルバイトとして、僕が雇われたんですが、アルバイトの初日に「君の行動1つで、このお店を潰しちゃうこともできるからね」とオーナーから言われたんです。高校時代も、盛岡でコンビニ店員のバイト経験があったんですが、この時初めて「働くことの責任、大変さ」というものを肌で実感しました。

ー ずしんと響く言葉だったんですね。

かいさん:ガツンときましたね。小さなお店だったこともあり、お料理を運んだ時など、お客様とお話しする場面も結構あったんです。僕って、小さな頃から、初めての人と話すことがとっても苦手で仕方なかったんですよ。このバイトを経験させてもらって「人と話す」という経験値をたくさんたくさん積ませてもらいました。

ー えええ、そうだったんですか。かいさんが、「人と話すのが苦手」とおっしゃるのは意外でした。

かいさん:両親も「引っ込み思案だったのが、このバイトで変わったよね」と言ってくれたのを覚えています。このオーナーとの出会いは、自分にとって大切な宝物だと思っています。今でも時々連絡を取り合っていて、数年に1度ですが、お店にお伺いするのが楽しみなんです。

ー めっちゃいいエピソードですね。

20歳で岩手に戻ると決めました。

かいさん:ありがとうございます。そんなこんなで、上京してから2年程経過したとき、バンド活動もやっていないのに、ここにいる意味は何だろうって考えるようになって。20歳で岩手に戻ろうと決めました。

父親が経営するデザイン会社に入社した当時のかいさん

ー 2年振りに戻った岩手では、どんなお仕事に就かれたんですか。

かいさん:盛岡にある文房具の販売会社で、派遣社員として働き始めました。倉庫業務で、発注ごとに段ボールに商品を詰めて発送する仕事を、2年半ほど担当させてもらいました。

ー 今まで経験されたお仕事とは、また別の業務をされたんですね。

かいさん:そうですね。派遣社員ということで、高い給料は望めませんでしたし、有期雇用なので将来への不安も、もちろん抱えていました。やっぱり、自分の根っこには、絵を描いたり、デザイン制作することが好きだったので、ある日、デザイン会社を経営する父親に今後のことをふらっと相談してみたんです。

ー お父様も、いろいろ感じでいらっしゃった時期かもしれませんね。

デザイナーとしての船出


かいさん
:そうかもしれません。いろいろ父親と話してみた結果「うちに入社してみるか」と言われたのが、23歳の時でした。

ー お父様も、きっと嬉しかったんじゃないでしょうか。

かいさん:そうだといいですね。デザイナーとして働くことは初めてだったんですが、小さな頃から絵を描いたり、バンドでチラシを作ったりして、周りから褒められたことがあったので「デザイナーとしてやっていけるんじゃないか」という根拠のない自信はあったんですよ。

ー 「根拠のない自信」、とっても大事だと思います。

かいさん:もちろん、やってみると、うまくいかないケースもたくさんありました。働き始めたばかりの頃、お世話になった方から名刺制作を依頼されたんですが、「いつでもいいから」という言葉に甘えてしまって、結果的にお客様が名刺を使いたいタイミングでお渡しできなかったことを謝罪したときに「何がデザイナーだ!」と叱咤されました。この時の声は今でもはっきりと思い出せるくらい頭に残っています。悔やんでも悔やみ切れない失敗です。でも、失敗する度に、勉強したり、デザインやものづくりに真摯に向き合って、なんとか食らいつきながら、今に至っています。

20歳で、相模原から盛岡へ

ー デザインは、お客様のイメージとの擦り合わせがとっても難しい印象があります。まさに、この辺りが腕の見せ所かも知れないのですが、デザイナーとして
力がついたなと思った事案はありますか。

かいさん:はい。ウェディング会社さんから、毎月実施される催事用のポスターデザインの依頼があったっんです。2年程担当させていただきました。本当に大変でしたが、お陰様で自分のデザインの幅も広がったと思っています。

ー 毎月だと、すぐ次のデザインの〆切が迫ってきますもんね。

かいさん:ほんと〆切がすぐの連続でした。デザインの幅を広げていく発散をしながら、実際にデザインに落とし込む収束を同時進行していくような感じで、とにかく大変だったことはよく覚えています。

ー その時の、かいさんの頭の中を覗いてみたいです笑

かいさん:ちょっと「デザイン」から話題がズレるんですが、30歳を過ぎた辺りから「自分で仕事を取りに行く」ことにも取組むようになりました。デザイン制作したものを売上に換えるために、どうやって人脈を広げていくかを頭を悩ませましたね。地元の商工会に入ったり、たくさん名刺を渡したりと。苦手だった「人と話す」時間がまた多くなっていった時期ですね。

ー 相模原のバイトを経験されていて、ほんとによかったです。

かいさん:ほんと、感謝ですね。

デザイナーともう1つ他の軸を持ちたい

かいさん:それから、自分が歳を重ねていって、例えば60歳を過ぎてもこのままデザイナーとしてやっていけるのか分からないと思い、もう一つ軸を持ちたいと思ったんです。その時に「デザインを教える」ということができないかなと考えたんですね。

ー それは、お父様の会社を継いで行くということも見据えてということですね。

かいさん:おっしゃる通りです。そんな時、2017年頃から「デザインを教えて欲しいんです」と言った依頼がポツポツ舞い込んできたんです。2017年の岩手ふるさとCMで大賞を取れて、その後、自治体の広報担当者向けのセミナー講師の依頼をいただきました。これが「講師」としての初舞台でした。それから、仕事の延長で「アイデアの出し方」セミナーを開催したり、知り合いが主催する「高校生が岩手の特産品を利用して菓子商品を開発するワークショップ」にメンターとして関わらせてもらったりしました。

ー なるほど。この流れで、冒頭の滝沢市AMATAR STUDYにもつながっていくんですね。

かいさん:そうなんです。昨年は、滝沢市役所の職員さんと、岩手の大学生と一緒にふるさとCMを制作するという企画も立てて、実際に実施させていただきました。

ー 結果はどうだったんですか。

かいさん:よくぞ聞いてくれました。なんと2022年の大賞に選出されたんです。これは本当に嬉しかったですね。めっちゃガッツポーズしちゃいましたもん笑

ー おおお、すごいです!メンバーの皆さんも大はしゃぎだったんでしょうね。

岩手の大学生と滝沢市ふるさとCM制作に臨むかいさん

かいさん:岩手ふるさとCM2022大賞作品です。どうぞご覧ください。

10年サイクルで人生が動いてる?

かいさん:今、話をしながら思ったんですが、僕の人生は10年サイクルで大きなライフイベントが起こっているかもです。

ー かいさん、もしや、すごい発見をされましたね。

かいさん:13歳(中学2年)で学校がつまらなくなり、23歳で父親の会社に入り、33歳で商工会でいろんな経営者とお会いして、どんどん仕事につながって行ったんですよ。そこから行政の方とも繋がりができて。

ー ということは、2年後の43歳で何かが起きますね。

かいさん:はい、2年後、楽しみです!

相手の心に火を灯すデザイナーに

ー かいさん、今まで何度も聞かれていると思うんですが、、、

かいさん:おおお、何でしょうか。

ー 炎如(かい)さんという、お名前の由来をお聞かせいただけないでしょうか。

かいさん:気になりますよね。父親が「炎のように強くあって欲しい」と願って付けてくれた名前なんです。名刺を渡す度に「名前負けしちゃってますけど」と付け加えているんですよ。

ー 初めて拝見した時から、素敵なお名前だと思っていました。

かいさん:ありがとございます。今までは、自分が炎のように強い男でなければならない!という感覚でいたんですが、ずっと違和感があって。自分はそんなに強く居られないって。どちらかというと、誰かの気持ちに火をつける方が、自分は喜びを感じる、ということに気がついたんです。デザインの仕事がまさにそれでした。

ー 最高のリフレーミングですね!

かいさん:そう言ってもらえると嬉しいです。生まれ故郷で20年近くデザインの仕事をやらせてもらって、お声掛けいただく方も増えた一方で、僕が応援したい方も増えてきました。父親から会社を受け継ぐことを視野に入れながら「デザイン × 教育」にも力を入れて行きたいと思います。小さな頃から今までの歩みを、様々問い掛けられながら振り返ることはなかったので、自分でも新たな気づきがたくさんありました。今日はありがとうございました。

ー かいさん、今日は長時間に渡り、お話をお聞かせいただき、ありがとうございました。小さな頃の「自分の居場所」が、今のデザイナーとしてのお仕事につながっているお話し、とっても面白かったです。これからの、かいさんのご活躍を祈っています。

(おしまい)

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