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聖地巡礼記 我がまま娘をインドに連れてったら⑤

2017年インドに小学校の娘を連れて
家族でバックパッカー旅をした話

僕らは上海に住む3人家族です。

僕;日本人
妻;上海人(劉さん)
娘;小学4年生(当時)→インドに興味なし

2017年1月28日(旧正月でいう元旦)
午後に聖地ヴァラナシについた

インド移動1

コルカタからヴァラナシに寝台列車で移動してきた

バラナシ1

1つ手前で降りサールナートへ寄り
ヴァラナシに入った

僕らが宿泊するホテルは一番南に位置する
Assiガ―トにある

岡村・東野が出演するテレビ番組の「旅猿」でも紹介された綺麗なホテルだった。昼食を屋上のテラスでカレーを食べてから少し休憩し、3時頃に観光しにガンジス川沿いに北へ歩く

ガ―トと呼ばれる沐浴をする場所がいくつもあり

川沿いに建つ建物はどこかオリエンタルな感じで装飾されたレンガで築いた味のある建築がズラリと並んでいる。歴史を感じる色と風化と汚さとが混じり一気に異国感があり壁にはヒンドゥー教の神が描かれている。聖地に来たというゾクゾクした気持ちになった。

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娘はやたらと牛に遭遇する事に驚いてる。しかも誰かに飼われているのではなく、人と同じように自由に通行しているから、何とも不思議な感覚になる。メインのガ―トまで歩いて行こうとなり僕らは順番にガ―トを見ながら川沿いを進んでいく。

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川沿いにガ―ト(沐浴する階段)が何個も存在する

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一番南から北のガ―トまでの中に火葬場が2か所ある

1つは北にあるマニカル二カー・ガ―トで、
ここは有名な場所。
たしか南に1つ火葬場があったはずだ。

聖なる川では沐浴し体を洗い服も洗い死体も流す
これらが隣接しあい共存している

近代社会の中で ここほど死者と共存してる
都市はないかもしれない

田舎とか地方ならなまだしも、
ここは有名な観光地でもある

ヴァラナシに来るなら避けては通れない光景だ
そんな思いもあり北へと川の流れと同じく歩く


20分程あるいた所で、
人が集まるガ―トに出くわし

キャンプファイヤーの様に薪を組み上げ
燃えて黒い煙がモクモクしているのが見えた

近づくにつれ火葬場と僕は気が付いた。

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妻の劉さんに あれ火葬場だよね と言うと

ウソ―っと 言って
モクモク黒い煙を出し燃えてる方を見る

火葬してるの?と聞いくる?

僕と劉さんと娘の3人で火葬してるのかな?
半信半疑のまま
近づき燃えてる薪の方を見ていた。

黒い塊が燃えているので何かは解らない
すると、炎の中からバタッ!と何かが落ちた

何かなと僕らは見た

それは人の腕だった。

真っ黒の腕が肩から焼け落ちた
僕は思わず 腕だ!って叫んだ
腕と認識するのに時間はかからなかった

ハッキリと5本指の手が固く黒く骨だと思うけど
まるで彫刻で作ったような造形
手だと直ぐに識別できた。


パチパチ 音を出して燃えている
僕らは 目が点になり 本当に人を燃やしている
現実のリアルさに言葉が出ない


一番感じたのは匂いだった。

そして人が燃える音。

写真や言葉では伝わらない感覚。

人体油の匂いと大きくパチパチ、
たまに大きなキシム音が鳴る

黒い煙はモクモクと空に舞い上がる
紛れもなく人を焼いている。

数日前まで生きていた人だ。
親族が見守る事もなく 
少し前まで動いていた肉体は

もう人ではなくモノ。

雑に焼かれている

横に落ちた腕は、
火葬を仕事にしている少年が拾い
燃えてる中に放り込む

生々しい

その光景を観光客が座り遠くから眺めている

僕らも少し 腰をかけ見ていた。

さすがに娘も目が点だ

正直、娘は何が起きているのか判ってるのかな?

でも人が焼かれてる事は認識できる

僕は肉体の最後に対して考えてしまう。


その衝撃を受けたまま

僕らは再び歩き出しメインのガ―トへ向けて進む
1時間以上歩いていた。

人が目の前で燃えているのが日常のヴァラナシ

その横で沐浴もする。体も洗う、
川は生活の一部である

そして、その光景も ここでは日常なのだ。

僕らは観光しながら旧市街の方へ進む

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狭い路地の両脇に店舗が並び丘を登るかのように
狭い坂を進む

多くの参道者と出会う。

この先にカーシー・ヴィシュヴァナート寺院がある

シヴァ神を祭る有名な寺

お供え物を売る店が増えてくる。
花や装飾物などパスポートと財布以外は
持ち込みできず、預ける事になる

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中に入れるのは異教徒はムリらしく
ヒンドゥー教徒と仏教徒のみだと言われた。
流石にクリスチャンは ここにはいない

前の人についていく形で狭い寺の中を
歩き進んでいく

神聖な場所というのは空気感で伝わる。

音や線香やお経を唱える人達。
口々に何かを呟いて歩いてる。

その一人一人の呪文のようなつぶやきが

重なり寺全体に音楽のように鳴り響く

異次元の世界にいるようだ

ここがシヴァ神の体の中なのか・・・

シヴァ神の心の中なのか・・・

そんな神聖な印象を感じつつ
意識がフワフワした状態で

寺を出る事になった。


本当に次元が歪んでいた気がする

寺を出て、
ここが地球の上のインドでヴァラナシだと
新ためて位置を認識したくなった。


僕はシヴァ神の中にいたんじゃないと・・・
特に信仰心のなかった僕も

不思議な感情を抱く

人は何を信じ 何を頼りに生きてゆくのか

神は人を救うのか?

悟るとは一体どういう事なのか?

インドに来て初めて そんな事を考えた



この旧市街エリアは狭い道が網の目のようにある
そして、必ず迷う。

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何となくガンジス川の方向を意識しながら
路地を進む。

少し時間があるのでラッシーの有名な店で
ブルーラッシーという店がある

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狭い店だけど本に乗ってるだけあり
多くの観光客がいた。

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タピオカミルクティーないけど
インドにはラッシーがあるよ!と

少し娘の顔も笑顔になる

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腹壊さないか!と心配しかないが・・・
娘は大喜び

娘とラッシーを食べてると

大きな声とともに何人もの大人が
何かを運んできた。

鮮やかなオレンジ色の袈裟に包まれた
死人を木でつくられたタンカーに担ぎ
オレンジの花を死者に投げながら
最後の花道を進む

死者はガンジス川を目指している

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この先にマニカル二カー・ガ―トの火葬場がある

多くの人が後をつけ その死者についていく

僕らの前を通り坂を下り狭い路地を抜けていった

こういう肉体の最後もあるんだな・・・

きっとあの綺麗な袈裟の中の
死者は幸せなんだろう。

最後にガンジス川に肉体を流される事は・・・
幸せなこと

その願いが叶わない巡礼者も多い


僕らは日が沈むとメインガ―トに向かい
プジャーという礼拝の儀式を見に行った。

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毎日行われるようで名物になっている
多くの巡礼者が祈りを捧げている

観光客も多い

蝋燭の炎が揺れ鐘の音が響き 
不思議な音楽が奏でられ

幻想的だ

かなり長い時間しているようで
僕らは途中で抜け

船乗りに声をかけAssiガ―トまで
船で帰る事にした

木のボロイ船にはエンジンがついていて
数名乗り込み

ボッボッボッボッボッと
エンジン音を鳴らしながら

流れに逆らい水上に走る 

一番端にあるAssiガ―トなので距離がある

船の上からプジャーの光景が遠くになっていく

暗闇とまばゆい光とが交差しながら 
いくつものガ―トを越えて行く。

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幻想的な川の上の闇に鐘の音だけは響く
対岸の揺れる明かりを見つめながら進んだ

そして僕らはホテルに戻って来た

今日1日は色んな体験をした

娘にどうだった?
人が火葬されてるの見た?と聞いてみた

本当に人なの?牛じゃないの?
匂いがきつかったね~と娘なりの感想を聞けた

ヒンドゥー教徒とか儀式とか 
そんな難しい事は娘にはどうでもいい。
僕達が暮らしている生活にはない文化を
体験し感じてくれたらそれでいい

どんな感想を持っても自由だ
興味を持つにはもっと
大人になってからだろうけど

この町で見た光景、匂い、聞いた音は
来ないと何一つ伝わらない体験だった

本やnetで僕も散々みてきたし聞いてきた
けど 
そのどれとも違う感情を抱いた

人が生きていく為の源になる力とか
そんな目に見えない力の渦とか、
この世界の現象的な何かを

感じる町

それが聖地ヴァラナシなのかもしれない


この体験を誰かに話しても
本当に伝えたい事は伝えられない
でも知りたいと思うきっかけになるなら
書き残すことは価値はあるかもしれないと
僕は思った

そしてインド人は写真好きだ!
カメラを持ってると何故か写真を撮って!
と何人もの人に言われた。
特に写真をプレゼントするわけでもないのに

僕を撮って!とか私たちを撮影して!とか

お金を取られるわけでもなく
単に写真に写りたいのかなと

そして皆 素敵な笑顔になる

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不思議な町だ。
僕なりに世界を旅してきた中で
この町は今まで訪れてきた町の
中でも特に不思議な町だ。

そして僕と妻の真ん中で寝る
娘の可愛い顔を見ながら、
どんな夢を見てるのか想像する。
きっと
牛を避けて歩く夢でも見ているのだろうね

僕と我がまま娘と上海妻との
聖地巡礼はまだ続く

聖地巡礼記 インド過去記事はこちら
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