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アメリカで見た、闘う背中

今回は過去の思い出を書きます。10年程前にカリフォルニアに住む友人を訪ねた際の話です。(※文体を変えて書きます)




1. アメリカで事業を始めた友人

中学の3年間を同じクラスで過ごした友人は、高校入学早々アメリカへ旅立っていった。海外へ行く生徒など他に居ない。その頃の私は家から最も近い高校に進学する事しか考えていなかった。

そのため、友人の決断に対して「凄い」という感情すら抱いていなかったように思う。恥ずかしながら将来のことなど何も考えていなかった。

それから約10年が経ち、友人が飲食店を経営している事を知る。寿司だ。カリフォルニアロールがメインに並ぶ。日本の寿司屋とは少し異なる。量も多い印象。米国ならではの独特な創作料理が魅力である。


2. デザイナー初期の修行時代

友人が飲食店経営を始めた頃。私は東京のデザイナーとして過酷な日々を過ごしていた。毎日夜中3時や明け方まで続く仕事にしがみ付いていた。生きてるのか、生かされているのか分からない。

実力は無いが自信はあった。いくつも現れる高い壁を越えていける体力もあった。「倒れたらその時考えれば良い」という、修行のような生活。

そんな最中「新規事業のロゴデザインを依頼したい」と、アメリカから連絡をもらった。私は現地調査をしたいと思った。夏期休暇と連休を合わせ10日間の休みを取得し、現地へ向かう。



3. 広大な西海岸の地

空が青い。カリフォルニア州オレンジカウンティ。友人は結婚し小さい子どもが2人いた。昼寝から起きると私が居たため子どもは号泣。(ただ直ぐに一緒に遊んでくれた)当時、結婚など考えた事すら無かった私。

この旅では終始友人に世話になった。到着したその足で車を走らせモニュメントバレーへ。どこまでも長く続く直線道路をひたすら走る。途中一泊したアリゾナの小さな村。カフェで飲んだ朝のコーヒーは美味しかった。

目的地に着いた私の気分は高揚。一歩踏み外せば転落し確実に死ぬであろう崖に登る。友人にも登るよう薦めたが断られた。守るべきものがある人は皆そうするだろう。今の私であれば彼の気持ちが分かる。


4. 闘う背中から感じたもの

別の日。少し立ち寄りたい場所があると言われた。停車した側には小さな建物。「ちょっと待ってて」そう言って車から降り、建物に入って行く。後ろ姿を見送る。車の中で待っていると5分程で戻ってきた。

持っていたのは、寿司屋のカウンターに使うガラス窓。詳しくは分からない。店の内観を維持するために資材が必要なのだろう。ただ、その建物に入って行った後ろ姿が、今でも目に焼き付いている。

多様な人種が集まる大国アメリカ。西海岸の青空。異国の地で1人の日本人の姿。英語での会話。飲食店を経営するため資材のやりとり。その風景が、とても誇らしく力強く見えたのだった。


5. ロゴデザイン

新規事業は日本人のための語学学校設立。その学校ロゴの依頼だった。後日、寿司屋の2号店をつくるとのことで、そのブランディングも担った。

報酬に関しては不要だと伝えたが、気持ちだけでもと小切手を郵送してくれた。しかしながら私の手元には届かなかった。金銭の郵送だったからなのか。なぜ届かなかったのかは今も謎のままだ。


まとめ

友人とは今でも連絡を取り合っている。アメリカで様々な事業に挑戦する姿はとても刺激になる。新規事業の話は複数聞かせてもらっている。次々にアイディアを考え、挑戦していく姿を見習いたい。

新規事業は上手くいかないものもあるようだが、それも含めて素晴らしいと感じる。全てのプロセスから経験と気付きを得ているのだろう。

私も挑戦し続け成長していきたい。




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