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尾瀬だけではない、檜枝岐つれづれ紀行

「夏が来れば思い出す はるかな尾瀬 とおい空」―という歌にはもうあまりピンと来ない世代(1996年生まれ)なのだけれど、最近、尾瀬国立公園の福島県側の玄関口、檜枝岐村(ひのえまたむら)に通っている。

人口は約500人。私が住んでいる葛尾村の居住人口もそのくらい。なんでまた福島県内でもトップクラスの小さい村ふたつを、行ったり来たりしているのだろうね……と自分でも首をかしげながら、奥会津に車を走らせる。新幹線で東京に行くほうが近い……。

はじめて檜枝岐村に行ったのは2023年の7月。夏だったのでやっぱり尾瀬に。

国道352号線、村の集落に入るときのウエルカムゲート。尾瀬国立公園内、沼山峠を進んだ先に開ける大江湿原。どちらも、足を踏み入れたときの「異世界感」が半端じゃないのだ。うまく言えないけれど、こんな地域には来たことがない。

鬱蒼と茂る森を両脇に見ながら南会津町を抜けると、突如現れるウェルカムゲート。
一村一集落が、そのまま「尾瀬檜枝岐温泉」の温泉街になっている
尾瀬国立公園内、大江湿原。森を抜けた先に、解放的に視界がひらける!
民宿「駒口」にて。クマだ……

そして話を聞くに、檜枝岐村は、
・人口が東北一少ない
・人口密度が日本一低い
・東北以北の最高峰(燧ケ岳)がある
・最近まで苗字がほぼ3つしかなかった(!)
・民宿だけではなく一般家庭も含めて全戸に温泉が引いてある(!)
・村外の法人がほぼ村内に入ってきていない(!)
・江戸時代から続く、村民が演じる歌舞伎がある(!)
……などなど、掘りたくなる特徴がたくさんあるようで。

もちろん尾瀬国立公園の自然環境がいちばんの観光資源なのだけれど、民俗的にも、地域社会のありかたとしても、ここには何かがある気がする。そんな直感をもとに、2024年5月、改めて檜枝岐村に行ってみました。今回は尾瀬の山開き前。じっくり、檜枝岐村の中心部をめぐります。

まず訪れたのは、まさに見ごろだという「橅(ぶな)坂の清水」。説明不要の美しさ。山開き前でも季節ごとの楽しみ方があるんだな…

朝の散歩を終え、村の中心部へ戻ってくると、この日(5月12日)に開催される檜枝岐歌舞伎の旗があちこちに立っている。歌舞伎は5月の「愛宕神祭礼奉納歌舞伎」、8月の「鎮守神祭礼奉納歌舞伎」、9月「歌舞伎の夕べ」の年三回。毎年、この日は特別な日なんですね。

5月の歌舞伎は、ここ愛宕神社に奉納される。
コメがとれないこの地で、ソバなどをつくりはじめる時期。豊穣を祈る
「檜枝岐の舞台」(通称:「舞殿(めえでん)」)へ続く道

「檜枝岐の舞台」は国の重要有形民俗文化財。明治期に大火に遭って再建されたとのことで、ずっとここで歌舞伎が演じられ続けている。

舞殿。歌舞伎当日の朝に行くと、御神酒と御赤飯をいただける
石段の客席。鎮守様と舞殿が向かい合う配置になっている

歴史や信仰、脈々と続いてきた営みの蓄積を感じる一方で、村の子どもたちがはしゃぎまわってもいる。鎮守の森が持つ荘厳さと、地域社会に果たす場としての機能を、ひととき訪れるだけで感じることができました。夜はどんな感じになるのだろう……

鎮守神社を後にして村内散策。生活圏の中にお墓が溶け込んでいる。あまり不気味さはなくて、どこを切り取っても画になる風景。よく見るとやはり、この地の姓「星」「平野」「橘」のお墓ばかり。ご先祖様とか、続いてきた<イエ>の存在を、小さいころから近くに感じられる環境なんだなと改めて思う。

「檜枝岐の石碑・石仏群」は「会津三十三観音」の構成要素の一つとして、日本遺産に登録されている

村の名所のひとつ「六地蔵」の碑文には、こんな文章が記されていた。

此の地は昔から冷害になやまされ
特に凶作の年は餓死年と言い多くの餓死者を出したことがあった
働ける者のみが生きるため「まびき」という悲惨な行為があったとか…
その霊を慰めるために建てられた六体の稚子像である

六地蔵 碑文

穏やかな表情。手を合わせたのち、写真を撮らせていただいた。かつてから雪深い秘境の集落での、厳しい生活環境を思う。

お昼は「かどや」の裁ちそばをいただいた。おいしすぎてご法度とされたという、そばとえごまの香りが贅沢な「はっとう」や、二種の山菜が付いている定食。どれも香り高く元気になるお味で、おいしかったです。この地の食文化は「山人(やもーど)料理」と言われているそう。

山人漬(シソやらっきょうなどを塩漬けにしたもの)が薬味の定番。さわやかでくせになる

さて、尾瀬の山開きはまだでも、村には「ミニ尾瀬公園」なるエリアがあり、尾瀬の自然環境が一部再現されています。結構広くて、ゆっくりならここだけでも半日くらい過ごせそう。

水芭蕉。葉っぱの形がかわいい
いろんな緑のコントラストが楽しい
広い!

園内のミニ尾瀬Cafeでいただいたのは「サンショウウオジェラート」。地元産のサンショウウオの燻製がトッピングされています。かなりのインパクト……

え~……
頭から刺さってる……
救出
燻製の香りがジェラートの甘さとマッチして意外とイケる。
ジェラートにもサンショウウオの燻製が練り込んである

古くは漢方の原料として需要があったことから、サンショウウオ漁が続いていた。ここで獲れるのはハコネサンショウウオ。かねてから家ごとに漁のエリアも分かれていて、昔から資源管理もばっちりなんだそう。

詳しくはデイリーポータルZに記事があって、最後の「どうかしてるスイーツ」というのが、今回紹介したサンショウウオジェラートでした。食べてみてね!


園内には他にも写真や書道のミュージアム、尾瀬を見出した武田久吉のメモリアルホールがあります。自然だけではなく、文化的にも様々な蓄積があっておもしろい。

武田久吉メモリアルホール

吾々はその前に、己れの郷土の山川に心から親しみ、 その間を漫然と歴遊するのでなく、科学の眼、または 芸術の眼を以って、風光を凝視しなければならない

武田久吉『尾瀬と日光』「序に代へて」

あっという間に夕方に。歌舞伎がはじまるまえにひとっ風呂浴びて、いざ会場へ……!

日が落ちてきた
多くの村民と観光客が集まる。
5月の愛宕神祭礼奉納歌舞伎は8月、9月に比べると空いているとのこと
開演!この日の演目は「奥州安達ケ原 文治館の段」でした

何代も引き継がれている、村民の歌舞伎。くすっと笑ってしまう新喜劇的な小ボケもはさみつつ、悲劇の中にある愛と忠誠の物語が進む。泣きの演技、義太夫語りのグルーヴ感、子役が舞台にもたらす清涼感。このハイレベルな舞台が村民だけで、しかも口伝と稽古を中心に、脈々と続いているとは……。貴重な時間に立ち合えて感無量でした。

終演!

というわけで、尾瀬に行かない滞在でも一日中楽しめる檜枝岐村・尾瀬檜枝岐温泉でした。

今回は村にできた新しいワーケーション施設「つれづれラボ-25」にモニター滞在させていただきました。もちろん、旅館や民宿での宿泊もオススメ。山人料理に温泉、それだけで優勝だと思う。

「つれづれラボ-25」の個室。眺めもよく、快適なステイができます。
デイユースも可能なので、ここで昼間仕事をして民宿に泊まるのも◎
つれづれラボ1階はキッズゾーンを中心としたフリースペース。郷土資料も充実しています
つれづれラボは日帰り温泉「燧の湯」の2号館を改装した施設です。
つまり「燧の湯」が目と鼻の先!かけ流しの硫黄泉、景観もよく最高です…

尾瀬の自然環境と、伝説、書や写真、歌舞伎といった文化的な土壌。
苗字3つでイエの意識が強いという、ある意味での閉鎖性と、尾瀬の玄関口としてお客を受け入れホスピタリティを発揮するという、ある意味での開放性。
地理的に隔絶されているからこその自営や自治の精神と、奥只見ダムの影響を受け実現している潤沢な財政。
厳しい生活環境と、それでも「桃源郷」と形容される暮らしぶり。

単線的にはわからない、地域としての奥深さ。まだまだ気になることがたくさんあります。

次はいつ行こうかな…!


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