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【完】100日間でプチ世界一周

注意:10000字を超える記事になってしまいました。長いです。わかりづらいです。先に謝っておきます。ごめんなさい。
これまでのnoteを読んでからだと、もしかしたら少しだけ読みやすく感じるかもしれないです。

10/2〜15(14日間)イングランド

  1. ニューカッスル

  2. ダラム

  3. ヨーク

  4. リーズ

  5. マンチェスター

  6. リヴァプール

  7. バーミンガム

  8. バース

  9. カーディフ(ウェールズ🏴󠁧󠁢󠁷󠁬󠁳󠁿)

  10. ロンドン

  11. ベージングストーク

2週間で訪れた都市。エディンバラ(スコットランド🏴󠁧󠁢󠁳󠁣󠁴󠁿)に行こうかどうかかなり悩んだ。ニューカッスルから近かったのだけど、ホステルで出会った人の薦めもあって北上せずに南下して、持てる時間の限りイングランドに浸かる事にした。

リヴァプール、マンチェスター、ロンドン以外は今回初めて訪れる都市だったけど、どこもめちゃくちゃ素敵な場所だった。1人で来たのも初めてで、自由に好きなだけ散歩できて本当に気持ちよかった。

ドラム、ヨーク、バースは中でも特に素敵な場所だった。ドラム、ヨークはニューカッスルで、バースはプロヴディフでイギリス人のおじさんに勧められた場所。おじさん達の言う通りだった。
プロヴディフで会ったおじさんにはグラスミアっていう場所も薦められた。おじさんが行った時の写真を見せてもらった時は行きたい!って思ったけど、そこは山地にある国立公園の中?側?とかで、軽装備過ぎて流石に厳しくて、泣く泣く断念した。

貧乏になりすぎて殆ど外で食事できなかった。スーパーマーケットで調達するのが基本だった。自分で作る格安パスタは味はもちろん見た目も最悪だった。。

10/15〜11/4(21日間)アメリカ

ホストファミリーの家に転がり込んで、旅どころか最早バカンスじゃんって感じの生活を2週間した。ステーキ、ピザ、ハンバーガーなどなど、USA!って感じのご飯は一通り食べさせてもらって、ガリガリに痩せ細った体は、肋骨が隠れるくらいまでには復活した。ヨーロッパではビール以外は節約する質素な生活だったから、とっても幸せだった。

ちょうどコルカタで辛くて泣きそうになってた時だったから
300割り増しくらい嬉しかった。

東海岸にあるロードアイランド州のWarwickで3度目のホームステイ。いつでも帰ってきて良いって言われていたから、しっかりとその言葉に甘えさせてもらった。笑
アメリカのホストファミリーって聞くと大家族を連想させるかな?でも俺のホストファミリーはシングルマザーで息子が一人の2人家族。その息子はフロリダ州のサラソータで仕事をしているから、そっちにも行く予定だったんだけど、残念なことに先月の巨大ハリケーンの影響が酷すぎるということで会いに行くのを断念することになった。

4年前に来た時はディズニーやらユニバやら色んな所に連れて行ってもらった。当時は今以上に馬鹿だったから、「アメリカ人って金持ってんだなぁー」くらいにしか思ってなかった。今回はその理由が少し気になって聞いてみた。英語難しくて曖昧だけど、ホストマザーの仕事は聞いた感じ、日本で言う税理士のような仕事だと思われる。顧客は1700人以上いるんだって。
納得。そりゃこれだけの生活できるわって思った。
信じられない量の仕事をこなしながら、一人で子育てしてきた力強さ。顧客数からもわかる信頼の厚さ、交友関係の幅広さ。のこのこ手ぶらでやってくる英語喋れない日本人をいつも暖かく迎え入れてくれる優しさ。それを考えてみたら、うまく言葉にできないけどとにかくめちゃくちゃ凄いわこの人ってなって、心から尊敬してる。学べることがたくさんあるし、まだまだ知らないことだらけだと思う。これから先ちゃんと英語話せるようになって、たくさんのことを教わりたい。
そんな素敵なホストマザーと地下室に出たネズミの駆除作業を一緒に頑張ったのが今回の1番の思い出かな。笑
ちなみにmouseの複数形はmiceだって初めて知った。

アメリカに来てから毎日のように、たくさんのお客さんや友達を紹介してもらって、みんなから世界一周を凄いって言われた。ほんの少しだけなのに英語でコミュニケーションを取れることを褒めてくれる人や、本を書くべきだって言ってくれる人もいる。
これまではホステルでバックパッカー上級者達に囲まれて彼らに助けてもらいながら何とかここまで来たって感じだった。だから冗談混じりとはわかっていても、「あれっ、俺ってもしかして凄いのか??」って錯覚が起きてるし、この感覚が何だか心地良い。笑

🎃

多くの家のハロウィンの装飾が豪華過ぎてびっくりしてる。インスタのハイライトに残しておいたから是非見てみてね。

これからロサンゼルスに向かって、1週間乗り切って帰国。モノの値段が信じられない程高いから、涙のパスタ生活再開。嫌だ。辛い。もっとここにいたい。笑

総括

まだ帰国まで1週間あるけれど、世界一周に関するnoteはこれで終わり。前回のnoteでイギリス編とアメリカ編は分けて書くとか意気込んだけど、アメリカに来てからもう2週間が経ってしまったし、帰国してからすぐにやりたいこともある。だからもう全部まとめちゃう。

  1. (韓国)🇰🇷

  2. フィリピン🇵🇭

  3. タイ🇹🇭

  4. ラオス🇱🇦

  5. ベトナム🇻🇳

  6. カンボジア🇰🇭

  7. タイ🇹🇭

  8. (マレーシア)🇲🇾

  9. インドネシア🇮🇩

  10. マレーシア🇲🇾

  11. インド🇮🇳

  12. トルコ🇹🇷

  13. ブルガリア🇧🇬

  14. セルビア🇷🇸

  15. クロアチア🇭🇷

  16. イタリア🇮🇹・サンマリノ🇸🇲

  17. オーストリア🇦🇹

  18. ドイツ🇩🇪

  19. イギリス🇬🇧🏴󠁧󠁢󠁥󠁮󠁧󠁿🏴󠁧󠁢󠁷󠁬󠁳󠁿

  20. (アイスランド)🇮🇸

  21. アメリカ🇺🇸

旅のルート。(カッコ)は乗り換えで立ち寄っただけで、入国してない国。

これだけの国に行くことができたこと。素敵な人たちとの出会いに恵まれたこと。色々あったけどちゃんと生きてること。ちゃっかりだけど世界一周できた(できそうな)こと。紛れもない事実なんだけど、現実離れしてるというか、これは本当に俺の人生なのだろうかって感じで夢の中にいるような感覚。

世界一周ができることが決まったのが7月8日。アパートの片付け、弟の高校野球等、世界一周とは直接関係の無い用事を色々済ませて、7月24日に仁川経由セブ行きの航空券を購入できた。そして4日後に7月28日に出発した。本当に無計画だった。セブに決めたのは、就職してからすぐに始めたオンライン英会話の講師にフィリピン人が多くてみんな優しかったから。マニラは危険、セブはリゾート地って印象を持ってたから、セブにした。実際はフィリピン編のnoteに書いた通りだけど。笑

準備不足で苦労した時もあった。大きい事だとインドのビザの件とか、小さい事だと虫除けスプレー持って無かったこととか。
でも、無計画で良かったと思ってる。毎日が無計画だから、100日間という短い期間だったけど、時間に追われてる感覚は殆ど無かった。ふらふら気楽に散歩できた。それに、明日どうするの?って聞かれた時に、まだ何も決めてないって答えると、一緒に遊ぼうぜってなったり、あそこ行ってみってお薦めされたり。フランクフルトの友人からの連絡で急遽ドイツに行ったこともそうだけど、無計画が故に周りからの誘いに上手く乗れたと思う。そうやってできた友達は少なくない。

目的

  1. 今しかできないを大事にすること

  2. 面白さを知ってもらうという意義を持って発信すること

  3. 新しいプロフィール写真を撮ること

旅に出る前、この3つを目的として挙げた。達成できてるかな?

1.今しかできないを大事にすること
できてる。それを大事にし過ぎて、お金はちゃんと無くなったし、noteの投稿は予定してたよりもずっと少なくなってしまった。笑
あれやっとけば良かったなぁって後悔していることは一つもない。

2.面白さを知ってもらうという意義を持って発信すること
できなかった。上記のテーマに重なる部分もあるけど、note面倒くさって思ってたし、YouTubeも全く手が付けられなかった。出発の時のnoteを読み返して、そういえばラジオ配信もしようとしてたんだって思い出したほど、発信することに関しては意識が無かった。
5日間隔で投稿してたTikTokはアメリカに来てから何故だかアクセスできなくなった。75日目だか80日目だかで投稿が途絶えてしまった。まあ誰も観てないから全然良いんだけどさ。
Instagramに挙げた写真は少しだけこだわったつもり。1つの国に対して風景の写真を2枚投稿した。観光地観光地してないところの写真を載せてみた。”#WalkLabo”感は届いていただろうか?インドではカメラ持ち歩くの怖かったし、トルコでは食中毒で全然歩けなかったし、滞在日数の短い国もたくさんあったし、全部が全部そうってわけじゃないからあまり伝わってないかな。。

3.新しいプロフィール写真を撮ること
できた。これについては後ほど触れる。
ワニに跨ったのが2018年9月4日。それから4年越しに「これが立花絢汰です」を更新することができた。

セブ

学生時代にアメリカと台湾には一人で行ったけど、アメリカはホームステイだったし、台湾はたったの4泊の旅だった。だから「一人で海外に来たぞ〜」って感覚はあまりなかった。
知り合いが一人もいない所で1週間以上滞在した初めての場所はフィリピン、セブ。意識はしてなかったけれど、これまでのnoteで度々セブでの話を出してた。友達もたくさんできたし、自分にとって大切な場所。

実はセブでキャニオニングした日の帰りのバスの中でプチ事件が起きた。

バスにはエアコンが無くて窓が全開だった。爆睡してた友達の帽子が風で取れて窓の外に飛んでいった。友達はすぐに目を覚まして帽子が飛んでいった事実を知って、それが余程悲しかったのか泣いてしまった。
バスはボロボロ。道はぼこぼこ。そんな中で爆睡できる友達が何だか面白かったし、帽子が風で綺麗に飛ばされていく光景がさらに面白くて、その時の俺はこみ上げてくる笑いを堪えるのに必死だった。最低です。笑
どれだけ大切な帽子だったのかはあえて聞かなかったけれど、めちゃくちゃ落ち込むから、どっか別の国で帽子買って日本から(その友達が住む)マニラに送ってやるよっていう何とも男前な約束をしたんだ。笑
送るよりも手渡しできた方が国際交流感あって良いなって思って、他の日本風のお土産も用意してGWに渡しに行くよって連絡したら、マニラを案内してくれるって。やった!

開拓

アメリカではホストファミリーが”Family”として迎え入れてくれる。何というか、帰る家があってあたたかいって感じ。ただそれは両親が用意してくれたもので、何一つ俺自身の頑張りは含まれていない。

ただ今回初めて一人で海外に来て、自分の力で世界を広げられたなって前向きな気持ちになれてる。辛い時も乗り越えて、海外で1から友達を作って、開拓できたぞって達成感がある。
もちろん自分一人の力だけでは無いし、限られた地域の極一部だけということは理解してる。ただ、この”開拓”はここ数年間で味わえなかった幸福感で、これから先、もっともっと楽しみたい。

次に海外に行ける機会はきっと来年のGW。今回訪れた全ての場所に色んな思い出が詰まってる。また行きたい。行ったことのない国も興味がある。どこに行こうかめちゃくちゃ悩んだ末に、既に書いた内容からもう一度フィリピンに行くことに決めた。

お金次第だが。笑

目標

”イングランドでプレミアリーグと仕事をすること”

いきなりだけど、今後の人生、この目標に向かって生きていくことに決めた。文字に起こすとちょっと恥ずかしい。けどこれが、所謂、俺の”オプション”。
フランクフルトに行くまでには固まってた。今回の旅でイングランド旅2週間も費やしたのは、この目標に対する自分の意志の最終確認と、帰国後全力で目標に向かっていくための燃料補給みたいな位置付けだった。

3〜4年前に大学卒業後の人生のことを考え始めた頃から、生きることに対して漠然とした疑問と不安を感じて、それがいつまでも拭えなくて、しんどかった。起業しようとか酪農しようとか、あれこれめちゃくちゃ迷走した。笑
大学卒業から旅に出るまでの社会人だった約15か月間は、自分が何のために働いているのか、どこに向かっているのか、さっぱりわからなくて苦しかった。
出発前のnoteにも書いたように、妹や弟みたく目標に力強く向かっていく人間になりたかった。
今回一旦仕事から離れて、これまでの自分、今の自分の気持ちや感覚、ほんの一部の世界、などなどを基に今後の人生を本気で考えることができた。ようやく、自分が心から納得のできる目標が定まって、今は割とすっきりした気分。

理由

まずこの目標は、”自分自身と自分の目に映る世界”を満足させるためのもの。

  1. サッカーに熱狂する人々の多さを実感した。

  2. リヴァプールが小さい頃からの憧れで今でも変わらない。

  3. イングランドで闘ってみたい。

自分自身と自分の目に映る世界を簡単に分解するとこんな感じかな。

1.サッカーに熱狂する人々の多さを実感した。

バンコク、シェムリアップ、イスタンブール、バーミンガムのスポーツバーでリヴァプールの試合を観た。イスラム圏だったバンドンではスポーツカフェで観た。
バーに限らず、世界一周中、多くの場所でサッカーが愛されていることを感じた。

東南アジアやインドでは、模造品のユニフォームが至る場所で売られていて、老若男女問わず着られていた。ボロボロになったサッカーボールで遊ぶ子供達を何人も見た。
シェムリアップのバーで観た試合は午前2時からの試合だったにも関わらず、10歳前後くらいのちびっ子達も見に来てた。親無しで。それに関しては良い事ではないのだけれど。。
スプリットでは日本人に遭ったのは俺が初めてというピザ屋のおじさんから、「トヨタ、ヤリスクロス、カズヨシミウラ、ディナモ・ザグレブ」って言われた。調べてみたら1999年に所属していて12試合のみの出場だったけど、おじさんの記憶に刻まれてるカズ。キング過ぎる。
ニューカッスルのホステルで出会ったスロバキア人は日本に来たことないのに埼玉を知っていた。2002でしょ?って。めちゃくちゃびっくりした。俺は南アフリカ、ブラジル、ロシアのスタジアム名なんて覚えてないし、この先もきっと覚えることはないと思うけど。

これらだけに限らず本当に至る所でサッカーに触れて、何かサッカーって凄くないか??って思った。

そんな素敵なサッカーに携わりたい。流石に選手としては無理だけど、今の自分にとれる方法で。 

2.リヴァプールが小さい頃からの憧れで今でも変わらない。

👶🏻

父親の影響で小さい頃からリヴァプールが大好きだった。小学生の頃は、毎週月曜日だったか火曜日だったかの朝に放送されるプレミアリーグハイライトを観てから登校するのが日課(週課?)だった。中学、高校生では夜更かししながら試合を観た。大学生になってからは、現地に試合を観に行くことが目標になって、実際に2度だけ、何とか現地観戦することができた。

今回で3度目のリヴァプール。試合は観なかったけれど、この写真を撮ってきた。目標を忘れないために。ちなみにこの写真を撮影した10月7日はアーノルドの24歳の誕生日だった。あとからインスタで知った。これが新しいプロフィール写真。

彼はリヴァプール生まれリヴァプール育ちの同い年。1998年生。

”I'm just a normal lad from Liverpool whose dream has just come true”

俺と同じ年に生まれて、同じ様にリヴァプールに憧れて育った。そして、俺とは違って子供の頃の夢を叶えて、俺とは違って世界中の人々を魅了している。
ここ最近の数試合でのミスが目立って、サポーターから批判されて、この壁画にも白いペンキがかけられちゃってる。でも壁画が掲げられたこと、そしてそこにペンキをかけられちゃうまでの一連は彼がリヴァプールの選手として生きている紛れもない証なんだと思う。
羨ましい。
彼と自分を比較するなんて烏滸がまし過ぎるのはちゃんと理解してる。こんな感覚持つなんてどうかしてるって百人中百人に言われるだろうけど、正直な気持ち。

「ジェラードのようになりたい!」という小さい頃の夢は、「アーノルド羨ましい!」という馬鹿げた嫉妬に変わってる。ジェラードやトーレスに対して抱いていた強烈な憧れは、選手が入れ替わるにつれて、リヴァプールというクラブそのものに向いていった。

この嫉妬と憧れを、しっかりと、目標に書き替えて本気で向かっていく。そして達成する。そんな人生にしたい。
アーノルドになるのは流石に無理だけど、アーノルドのように”フットボール”を提供する側に回り、リヴァプールを支えることなら、もしかしたらできるかもしれない。一万分の一くらいの確率で。いや、もっと低いか。笑

でもとにかく、リヴァプールという要素が含まれているからか、この目標に何故だか心から納得できる。向かっていきたいんだ。

3.イングランドで闘ってみたい。

今回の旅で初めて、貧しい暮らしをする多くの人々を目の当たりにした。そして、彼らから優しくもてなされた。「この人たちの暮らしを改善する活動もいいかも」って何度か考えた。実際、素敵な選択肢だと思う。相当な気力や体力を要するだろうし、そういった活動をされている方々を本当に尊敬する。
ただ、今回の旅に出ることができた経緯を踏まえて、まずは商売の世界できちんと成果を出して恩返ししなきゃいけないと思ってる。

ジャカルタでご馳走してもらった学生時代のバイトの先輩が、別れ際、インドネシアにいる間何かあったらいつでも連絡してと言ってくれた。「カッコいいぃ。。🥹🥹俺もそんな事言ってみたい!!」って心から思った。
因みに、2度目のリヴァプールの試合観戦はこの先輩と来た。

俺も同じように海外で闘ってみたい。そして、その舞台はイングランドが良い。なぜかと言うと、重複するけれど、リヴァプールが好きでそこに近づきたい、支える立場になってみたいから。
それに、世界中の多くの人々が注目しているサッカー、の最高峰であるプレミアリーグの発展に寄与することが、世界をより良くすることになってない?
かなり飛躍した考えで、無理やりこじつけてる感満載。でもこういった考えまで連想できるから、この目標に心から納得できるんだ。

以前から、海外で仕事することに憧れはあった。ただ、英語話せないし、頭も悪いし、無理だろうなって諦めてた。でもそういうのはもう辞めにしたい。

革命

まだ仕事で何一つ結果出していない俺にとって、目標というよりも夢のまた夢みたいな話。やらなきゃいけない事が盛り沢山。格好付けた表現をすると、現実から逃げに逃げ回ってきた自分の堕落した人生に対して”革命”を起こさないといけない。

イングランドではブリュードッグのバー巡りに勤しんだ。ドラムを除く各都市で1店舗ずつ、ロンドンでは4店舗行くことができた。フランクフルトにもあったからそこを合わせると全部で14店舗。ブリュードッグっていうのはスコットランド発祥のクラフトビールの会社。そして以前のnoteにも書いたように、ブッリュードッグの「PUNK IPA」は俺が人生で初めて飲んだビール。

「Start a revolution, not a business.」

大学生の時に買って読んだ本だけど、イングランド滞在中の移動時間や寝る前に読み返した。ブリュードッグの創業者、ジェームズ・ワットがこれから起業したい人向けに書いたビジネス書。ただ、経営に必要な知識や技能というより、起業を成し遂げる上で必要な気概について書かれた本。
バラナシで買った「The Secret」はまだ全然読み終わらないのだけど。。

ジェームズ・ワットにとってブリュードッグは単なるビジネスや金稼ぎの手段ではない。「ビール業界に”革命”を起こす」という使命を果たすための手段として位置付けている。それは本に気前よく書いているだけでなくて、訪れたバーの至る所で見ることができる。

ロンドンの大型店
2階から1階に滑り台で降りれたり、会議室が設けられてたり。
ミニビール工場みたいなコーナーもあった。

このお店は遊園地みたいでとりわけ凄かったけど、他の店舗にも固定観念に縛られない色んな仕掛けがあって面白い。日本には六本木にあるから行ける人はもし良かったら実際に足を運んで、そんな色んな仕掛けを見つけて、感じて、楽しんでほしい。ビールはめちゃくちゃ美味しいし種類も豊富だよ。

今回の2週間のイングランド旅で(きちんと?)学んだ、ブリュードッグの”パンク・ロック”の精神を、先述した俺の人生に対しての革命に盛り込んでいきたい。全ての行動が、掲げた目標に裏付けされなきゃいけない。らしい。できるかな。やるしかない。
旅の予算が尽きてるにも関わらず、ただ単にビールを楽しんでいた。というわけでは無いのを証明するためにも。

5年

奇跡的に恵まれた状況にいて、達成できる可能性は低いけれどゼロではないというのが事実。ずるいけど、だからこそ目標にすることができた。

でも「”いつか”イングランドでプレミアリーグと仕事をすること」って目標にしたら、俺のことだからきっと死ぬまで達成できないと思う。
ただの世界一周と違って、お金が用意できれば何とかなるってわけでもないし。

仮に、今置かれた状況を利用しても2027年の大晦日までにイングランドに到達できなかったら別の手段を模索する。約5年。ワーホリの資格が30歳までということも考えて、20代最後の大晦日を期限にしようと思う。

目標達成シート

目標を達成するのに必要なことを挙げたら大量にありすぎて簡単に作れた。

今回の旅は間違いなくこれまでの人生で一番幸せで贅沢な100日間だった。1秒も退屈という感覚は無くて、刺激的な毎日だった。
これが自分の人生の頂点にならないようにしたい。

聞かれてもないのに過去の行動を武勇伝として語るような大人にはなりたくない。そうならないためにも、明確で短期的な目標に集中して納得のいく毎日を過ごしていきたい。

最後に

この100日間を許してくれた全ての人、旅を支えてくれた全ての人に本当に心から感謝してます。ありがとうございました。もしこれまでの様に、自分に都合良く夢や目標から逃げようとしていたら、逸れてるぞって叱ってください。

セブでのある出会いから帰国後のことを真剣に考えたいと思い、旅の間じっくり煮詰めてきました。できるだけ逃げ道を遮断しようと思って、今回のnoteの軸にしました。生意気な目標とか夢とか面白くないnoteになってしまってごめんなさい。

恥ずかしい話ですが学生時代は、海外に行くことが何よりも素敵なことだと思っていました。馬鹿みたいに自慢して、みんなに勧めてました。だからそれを失ったコロナ禍は本当につまらなかったし、何のために生きてるのか、仕事してるのか、わけがわからなくなってました。

旅の間様々な人たちを見て、触れて、とても刺激的な毎日を過ごすことができました。本当に夢のような日々でした。海外に出られなかったコロナ禍を経て、国際交流はとても素敵なことだと再確認しました。でもそれは、あくまでも自分にとっての話です。

旅を助けてくれた大切な人の中には、金銭的な問題や、所有している国籍が原因で望んではいても海外に出ることが難しい人たちがいます。
日本人にも、海外に行く機会が全員に等しくは与えられてないかもしれません。

自分の場合、やりたい事を自由にやらせてくれる親の下に健康な身体で生まれてくることができなかったら、海外に行くことはもっともっと難しかったはずです。多くの方々の協力が無かったら、世界一周は実現しませんでした。日本のパスポートでなかったら、無計画で出国し旅先で臨機応変に目的地を変更することは不可能でした。

いくつかの偶然がたまたま起きたからこそ今の自分があるということに、今回の旅で気づきました。
自分自身が奇跡的に経験できていることを、それが当たり前かのように人々に無責任に勧めることはこれからはできません。

国際交流が好きだから、奇跡が続く限りは追求し続けます。それだけです。今後もnoteやSNSは続けますが、「面白さを知ってもらう」というテーマは捨てます。勝手に自分の物差しで他人の人生を測って口出ししてるみたいで気持ち悪いなと思いました。自分自身のために発信する中で、そこから面白さを感じてくれる人がもしいたら嬉しいけど、別にいなくて良いです。

様々な局面においてどの選択肢を取るか自分で判断し行動してきた結果として、この100日間が実現し且つ楽しめたとも思っています。一つの成功体験として捉え、これを糧に、今後も素敵な偶然が引き寄せられるように歩んでいきたいです。

帰国後

ロサンゼルスで最大限の節約をしながら1週間頑張って生き延び、無事帰国することができたら、1週間のヒッチハイク旅をしてくる!!!

最後まで読んで頂きありがとうございます🙌🏽 頂いたサポートは全て海外で冒険する資金に充てています。何卒宜しく宜しくお願い致します🙇🏾