書家 ほの花

Life Calligrapher|書き文字に真心を込めて、感じた世界を筆先で表現✍️|…

書家 ほの花

Life Calligrapher|書き文字に真心を込めて、感じた世界を筆先で表現✍️|古典臨書・筆耕|『筆であそぶ会』主宰|くらし、人生、いのち。重なる「日々」を書でお手伝い|命名書、文字デザインなど、ご相談ください|よく手紙を書いています|撮るのも好きです📸|

マガジン

  • 私の頭の中のガラクタ

    その日の思考のお掃除的文章を集めてみました。 「ガラクタ」って、「我楽多」って書くんですって。 「ガラクタなんか捨てなさいよ」って言われるかもしれないけど、 「我楽多」なら、捨てらんないよね。

  • 花が教えてくれるから

    とある花が教えてくれる、日々のきらめき

最近の記事

書のワークス&ストーリーズ(2021/04)

3月で世界文庫アカデミーを卒業し、自分の生活でもこれがひとつの区切りとなりました。 と言っても、生活は急に変わるわけではなく、むしろ1年間の学びがじわじわ〜と効いてくる、そんな感覚を抱きながらニューシーズンを淡々と歩んでいた4月。 そうして過ごしていたら、立て続けに、「字を書いていただけないですか?」というご依頼が2件。何かを手放したら(今回の場合はリミットが来た、が正しいけど)、新しいものが入ってくるというのは本当なんだなあと、ちょっと俯瞰して、他人事みたいに感心しながら

    • あの日、あの時。 そして、今/3月11日

      あの日。 私は高校を卒業し、長めの春休みの真っ只中だった。18歳。 進路は、100%思うようには行かなかったけどほとんど決まっていて、ちょっとしたほろ苦さと、この先に始まるはずの、この街を離れた新しい生活になんとなく期待しながら、なんでもない昼下がりを過ごしていた。 実家のリビングに居た。揺れた。テレビをつけた。少し経つと、想像の遥か上を行く映像が目から、必死に避難を呼びかけるアナウンサーの声が耳から入ってきた。「津波が街を飲み込んでいる」という現実。地元の海で見る「波」と

      • 薄墨に意味があり、/3月5日

        人生で初めて、薄墨で“意味のある”文字を書いたのは、おぼろげながら、確か1年前だった気がする。 職場の上司の実のお母様が亡くなった、なので、今日の午後から郷里に帰るので数日不在にする。上司自身が、その連絡をメールで部下に送り、私は朝出社し、いつものようにメールボックスを開き、無機質に光を放つモニターの画面を見て、その事実を知った。 上司の席を見た。普段と変わらず、淡々と仕事をこなしている。 きっと急な話ではなくて、前々から、いつかこの日が来ることをそれなりに想像してらっし

        • #morningroutine/3月4日

          朝起きてから、(もろもろのことをして、)筆をとって、「おはよう」と書いて、その日の東の空を背景に写真を撮って、Twitterに投稿することが、日課になってきた。ルーティーンワーク。 平日はだいたい同じ時間に。1月中旬に、思いつきで始めて、かれこれ2か月近く続けてきて、わかったことがある。当然のことも、新たな発見も。ざっと書き出してみる。 ・日が昇る時間が、日に日に早くなってきている。季節が前進している。 ・右手で紙を掲げ、左手で撮った方がうまく画角に収まる気がする。 ・始

        書のワークス&ストーリーズ(2021/04)

        マガジン

        • 私の頭の中のガラクタ
          29本
        • 花が教えてくれるから
          8本

        記事

          「大人になる」とは、その愛を想像できてしまうこと/3月3日

          春一番が吹いた後、例に漏れず、寒さが戻った。 張り切って咲こうとしている桃の花も、身を縮めずに入られない。 先日、職場の先輩がご出産された、部内の皆さんでお祝いを贈ることになり、その選定係に任命された。 出産祝いを選ぶのは、初めてのことだ。Googleで「出産祝い おすすめ」と入力して検索をすれば、無数の情報が一気に表示されるが、選び慣れていない私にとってはどの情報もどうも無味無臭で、かつ無限大で、画面を見ているだけで疲れてしまった。 ということで「フィールドワーク」であ

          「大人になる」とは、その愛を想像できてしまうこと/3月3日

          春一番/3月2日

          手元にある季節それぞれの服たち、今季はこれが最後に着る機会、などと認識もしないまま、自然は勝手に移ろってゆく。前へ前へと、私たちが置いてきぼりにされて進んだと思ったら、急に猛スピードでバックしてきたり。私たちは揺れ動かされながら、知らぬ間にそれらの服を洗い、しまい、前の季節に閉じ込めて、次の季節に最適な服をまた、手にする。肌に触れる。 服をしまうタイミングが読めないのと同じように、新しいシーズンにそれを引っ張り出すタイミングも突発的だ。 その衝動がふっと沸き起こるのは、カレ

          春一番/3月2日

          私が着たいものを選ぶ/3月1日

          朝起きて、ふわっと花の香りが鼻をかすめた。また日付は1に戻る。 ずっと、「おしゃれな人」に憧れていた。今も、ずっと憧れている。 自分で服を選んで買って、ってするようになったのは、いつだろう。 本当に小さい頃は、記憶にある限り、母が結構かわいい服を選んで着せてくれていた気がする。私が幼かった頃は、まだ「ユニクロ」がなかったし、ローコストで服を買える文化がなかった時代だったろう。親が選んだ服を着ていたのは、小学校ぐらいまでだろうか。 中学校、高校はそもそも、私服を着る時間

          私が着たいものを選ぶ/3月1日

          2月/2月28日

          2月。初旬には「立春」を迎え、まずは暦が春を匂わせてくる。 今住む街は毎日だいたい青空で、控えめな太陽と顔を合わすことができ、 冷たく乾いた風が肌を刺す。 季節が進むと、ほころびだす梅の花。ふわり、ほわり。 街に少しづつ、色づき始める。 春を目指して、自然は暦を追いかける。 だけど私にこびりついた「2月」の記憶には、あまり色がない。 空は鉛色、反射して必要以上に眩しい雪の白、氷の透明。 帰り道、雪のせいで歩道と田んぼの境界もわからなくなり、 長靴が雪の中にはまって抜けなく

          2月/2月28日

          いのる/2月27日

          のんきにホットケーキを焼いていた土曜日の朝、心配なニュースが飛び込んできた。 遠方に住む大切な友人の、身体と心のこと。 月並みな言葉だけど、彼女のことを想うと、どれだけ残念で不安な気持ちだろう、と。 私にできることなんて、何もなかった。不安な気持ちに直面する時間を減らすための気の紛らわしになりそうなドラマを紹介することくらいしか。あとは、祈ることだけ。 小学校低学年の時、私は、クラスの全員が自分の「友達」だと思っていた。 小学校高学年の時、私は、担任の先生が「大人になったら

          いのる/2月27日

          「なぜ」の面倒くささなら、大いに受け入れよう/2月26日

          「なぜ」と問うことが苦手だった。「質問がある人?」と問われても、何も思いつかなかった。 そんな自分に気づいたのは、大学生のゼミ活動。担当の教授が「“問い”をしてなんぼ」というスタンスの人だった。「なんぼ」とか言ったが、教授はそんな言葉を使っていない。思いっきり標準語だった。新潟出身の酒とスキーを愛する先生だった。 人の話を聴けば、「へぇ」「なるほどぉ〜」「すごーい」止まり。 大学生までで、こんな自分が出来上がった原因に思い当たる節は大いにある。 それまで、自分の生活は答えの

          「なぜ」の面倒くささなら、大いに受け入れよう/2月26日

          「意思」と「運」の心地よい分岐点をさぐる/2月25日

          水の入ったコップが溢れるように突然花粉症を発症する、と言われるその日がいつか来るだろう、という予想はついている。 しかし私には徐々に忍び寄っている気がしてならない。 ここ数年、季節の変わり目になると明らかに目の調子がおかしくなる。 コンタクトをしていようものなら、目がゴロゴロしてずっとしかめっ面をしていなければならない羽目になる。体感では、今の自分、ガチャピンぐらいしか目が開いていないだろうなと思っている、そんな感覚。 ただでさえ調子は今ひとつなのに、先をなんとなく見通せ

          「意思」と「運」の心地よい分岐点をさぐる/2月25日

          その続きを贈らせて/2月24日

          先日のキュンキュンドラマ(「恋つづ」)から興味があちこちに飛び火している。 今は主題歌を歌っていた「ヒゲダン」を聴きまくるところに行き着いた。毎日のように「イレーギュラーーーー」をリピートしている。もちろん、その他の曲も。聴けば聴くほど、良い。 Official髭男dism。第一印象は、「読みにくいアーティスト名だなあ」だった、気がする。当時、特に好んで聴いた訳ではなかったが、こちらが求める前に、いつの間にか至る所で「Pretender」が流れまくって、ああ、あの読みにくい

          その続きを贈らせて/2月24日

          思考の掃除をしている/2月23日

          昨日は変な時間に帰ってきてそのままドラマを見ることにして、これを書くのを諦めた。 実質の毎日更新は止まってしまったけど、なんだかんだ、一応、毎日続いている。 今の時点では、たくさんの誰かに読んでいただきたくて書いている、というわけではない。自分の日々は「なんでもない」けど「なんにもない」わけではない、という証を残したくて、自己満足のために書いている側面が強い。とは言いつつも、完全にパーソナルにもしていない理由は、続けるモチベーションとして、誰かと繋がれたら、といった深層の思

          思考の掃除をしている/2月23日

          月曜から夜ふかし/2月22日

          空気を読んだような無駄な残業をしてしまった。 帰ってきてご飯を食べて、もうこんな時間か、でも明日は休みだぞ、と無敵な気がして、最近見ていた“キュンキュンドラマ”の残り4話を一気見した。 もう今日は頭は使わない、ただこの世界に浸るのだ。 ドラマをリアルタイムで見ることはほとんどない。毎週決まった時間にそこに1時間ほど居続けなければいけない、というのが苦手だから。(レコーダーはあるのだけど、ここに引っ越してきてから、テレビとレコーダーをうまく繋げずじまいで今日に至る) なので

          月曜から夜ふかし/2月22日

          「食べることは生きること」/2月21日

          もともとそこまで料理が得意ではないが、一人暮らしをしていると「自分だけの食事」を用意することがなおさら億劫になる。実家から送ってもらえる(これはありがたい)米を炊き、冷蔵庫にある食材を組み合わせてみそ汁を作ったらとりあえず及第点。メインを作れたら万々歳。面倒な時は躊躇せず、スーパーのお惣菜を投入してバランスのよい風な食事を用意する。 食べることが生きることに直結していること、よく噛んで味わって食べることが大事なのは重々承知だが、あまりに毎日のことすぎて、しかも1日に3度も訪れ

          「食べることは生きること」/2月21日

          その不自由を愛せよ/2月20日

          自由が欲しいか、という問いは、至る場面で投げかけられる。 欲しいです、と答えるのは簡単だ。 中学校の時の国語の先生は、子どもの目から見ても、知性的で博識でストイックで勉強家で、周りの先生たちとはまとっている雰囲気が少し違っていた。そもそも中学時代の授業の記憶なんて断片的だけど、その先生に「国語」を習った記憶もかなり曖昧である。その代わり、中学生に投げかけるには少し小難しい、だけど今思えばボディブローのように効いてくる、人生に必要な考えについて幾度となく時間を費やして語ってく

          その不自由を愛せよ/2月20日