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あの日、あの時。 そして、今/3月11日

あの日。
私は高校を卒業し、長めの春休みの真っ只中だった。18歳。
進路は、100%思うようには行かなかったけどほとんど決まっていて、ちょっとしたほろ苦さと、この先に始まるはずの、この街を離れた新しい生活になんとなく期待しながら、なんでもない昼下がりを過ごしていた。

実家のリビングに居た。揺れた。テレビをつけた。少し経つと、想像の遥か上を行く映像が目から、必死に避難を呼びかけるアナウンサーの声が耳から入ってきた。「津波が街を飲み込んでいる」という現実。地元の海で見る「波」とは、全くの別物だった。街に、人に容赦無く襲いかかる。
ちょっとよく分からなかった。すごいことが起こっているのには違いないだろうけど、どうもピンと来なかった。少なくとも、なんでもない1日は、なんでもない1日ではなくなった。この日の空は、私の街も、テレビの向こうの空も、鉛色だった。

そして、「原発が危ない」らしい。テレビをつけると、その様子が画面の右下に小さく映り続けている。「水素爆発した」らしい。そもそも、“原子力”というものになじみのなかった私は、それが爆発することで、どれほど恐ろしいものなのか、これもピンと来なかった。自分の中にあるのは“原爆”のイメージのみ。だから絶対に安全なはずはないのだけれど、原子力発電所が爆発して起こる被害、そこに住む人々の生活、「東京電力」と国の対応、そんなことまで考えられなかった。


あの時。あまりにも大きな被害で苦しむ人々が大勢いることは、なんとなく理解はできた。でもまだ未熟で、自分の住んでいる狭い世界しか知らず、大きな災害の当事者にもなったことがなく、想像が及ばなくて、それを自分事として取り込むことができなかった。知り合いもいない、訪れたことのない土地での出来事は、どこか他人事だった。


そうして淡々と「3.11」という日を、毎年繰り返していた。その日が近づくと、被災地の方や街の復興の様子を取り上げたレポートがいたるところで取り上げられる。「また1年が経ったんだな」と思って見ていた。やはり、それでもまだ、自分事にはならなくて。恥ずかしながら。


先日、本屋さんでたまたま見つけた、好きな作家さんの新作エッセイ集を手にとって読んでいた。なんでもない日々を丁寧に綴ったエッセイで、その中でその作家さんが「津波の霊たちーー3・11 死と生の物語 」という物語を紹介していた。石巻市立大川小学校ー児童・先生のほとんどが津波の被害で亡くなった、果たしてそれはただの天災だけだったのかーを取り上げたノンフィクション。この本の存在をそのエッセイで知った時、私は「今これを読まなければならない」と直感的に思った。
震災が起こった時代をこの日本で生きてきたのに、これまでそれを自分事として取り入れられずにいた。でも今なら「知ること」から始められそうだと感じた。自分のことしか考えられない自己中心的な自分が、少しだけ、ようやく大人になれたのか、分からないけれど。その本をすぐに取り寄せた。

内容は事実に基づいて淡々と、かつ筆者は外国人ジャーナリストなので、その震災の事実だけでなく、日本人の精神性についても客観的に考察されている。
津波でお子さんを失った親の痛み、悲しみ、苦しみ、怒り。その中でも、遺体が発見されているケースもあれば、まだ家族の元に帰ってこれていないケースもある。それぞれの立場に置かれた人々の心情と交錯が、繊細に描写されている。
あくまでも、事実として客観的に捉えなければ、そう務めなければ、心が張り裂けそうだった。こんなにも辛く苦しい思いを抱いている人が、この日本に今存在しているという事実。私がテレビで眺めることしかできなかったあの震災は、街の形を変え、瓦礫の山を残していっただけでなく、そんな大きな爪痕を一人一人の心に残していったのだった。「寄り添う」だなんて、安易な言葉を発してはいけないと改めて思った。

この本を読み終えた後、あの日、18歳の私が事の重大さを理解できていなかった福島第一原発のことについても知っておかないと、と思い、もう1冊を今年の3.11までの“課題図書”にした。読んだのは「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発」。
現場で起こっていた壮絶な闘いと、東京の官邸と東電本社とのやり取り。この件について全くといっていいほど、恥ずかしながら知識がなかったので、あくまでも、客観的に読んで、まずは知ることに徹した。国や東電の「過ち」はこの本の外でも、たくさん語られていると察している。(それでも、あの大震災の翌日に一国の首相が本部の東京を離れて、原発に乗り込んできた…というのは、常識的に考えても「え?」と思った)

そして偶然にも、この2冊を読む前に柳美里さんの「JR上野駅公園口」を読んでいた。主人公は福島出身のホームレス、彼が見た光と闇。
この小説自体の主題は別にあるが、昔から出稼ぎをしなければならないくらい貧しい土地だった場所に、「原発」が利益と雇用を生み、街に潤いがもたらされ、という構造があることを改めて認識した。
これまで、原子力発電に賛成か、反対か、という問いに、(これも恥ずかしながら)そもそも向き合ったことがなかったが、その土地で生きる人々の暮らしを守るため…と考えると、一筋縄ではいかない問題であると、ようやくそのスタートラインに立った。いろんな方向からこの問題を考えるための知識がまだまだ足りていない状況である。


自分が「知りたい」「知らなくては」と思った時に取り入れた情報、そこで抱く感情は、浸透圧が高い。誰かに勉強しなさい、と言われて読むのとは、雲泥の差だと実感した。
私がこのタイミングで知りたいと思えたのは、別に今年が震災から10年だったから、という訳ではないと思っている。自分に、ようやくそれを自分事と捉えるキャパシティができたからだったのだろう。

あの震災の時、地元の同級生がすぐに被災地にボランティアに行った、という話を当時聞いた。困っている人がいるからすぐに向かう、私はそんな立派な人間ではなかった。
昨日見ていたテレビ番組で、原発事故のせいで地元を追われた、自分と同じ年くらいの方が、当時原発に生活を追われたけど、今度は自分が原発の廃炉作業に携わって復興の力になって故郷を元に戻せるように尽くしたい、とおっしゃっていて、そういう話を聞くと、尊敬の念を抱かずにはいられないのと同時に、本当に自分の未熟さを突きつけられる気分になる。


けれど、そもそも、自分にできることなんてわずかなんだから。ひどく傷ついた人の心に「寄り添う」なんて到底できないし、現地で直接復興の力になることもできない。
だけどこうして、ひとつずつ事実を知って、考えることならできる。ちょっとできた。そして知ることは、想像力を深めることに繋がっていく。寄り添えはしないかもしれないけれど、想い、悼み、祈ることができるようになる。
あの時を、この国で、リアルタイムで生きていた身として、もっと知って、考えて、想像して、それを誰かに伝えたり、誰かと語り合うことが、東北を遠くから見つめることしかできなかった人の“使命”だと、今ようやく気づいた。
遅ればせながらだけど。遅いことはない、と信じたい。
10年だから、ということはなくて、この気持ちをずっと持続させていくことができるように。


2022年の3月11日も、その先も。
ここに残して、帰ってこられるように。


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上記で紹介した本です。
①②は非常にボリュームがありますが、読みやすい文体で書かれているので、すらすら読めるかと。

①津波の霊たちーー3・11 死と生の物語

②死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発
→映画版の「Fukushima50」が明日3/12に金曜ロードショーで放送されるそうです。

③JR上野駅公園口


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