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学校は何のためにあるのか?(4)

ご家族の協力が得られない現実

お忙しい中、時間を作ってくださり、お話を聞かせていただいた時に、

「学校は子ども達の将来のために、今、できることをしっかりとしないといけない」

とおっしゃってくださった小学校の先生。

子ども達の将来のために、とわかっていても、日々、目の前の子ども達、目の前の仕事に追われて、いつの日か、あきらめてしまって、どうすることもできない現実を突きつけられて、一人の働く人間としては、とてもこれ以上はできないと思うところがあることも、正直な気持ちとしてお話しくださいました。

ところが、先生からは、この小学校1年生、2年生のところの問題は、学校だけでは解決できないことがあるとおっしゃっていたのです。

小学校低学年でも、授業中に立ち歩く子ども達がいると、他の子どもの集中が途切れることもあり、まずは、座らせることから始めないと、どうにもできない現実があることは、誰が見てもわかるのです。

ところが、座らせるためには、授業時間をかなり取られてしまうことも現実です。

その時に、このことをご家族に伝えると「わかりました。家の方でもできるだけやってみます。」と言ってご協力くださるご家族が少ないのだと、この小学校の先生はおっしゃっていたのです。

この話は、フリースクールに在籍している不登校の子どものことで、今からちょうど4年前におうかがいした小学校の先生も同じことをおっしゃっていたのです。

私が教えていた高校からおうかがいした、その小学校の先生は、一人の子どもの将来をしっかりしたものにしたいからこそ、ご家族と連携して、家でも学校でも同じ取り組みをしていきたいと思っていらっしゃいました。

しかし、「学校に学びに行かせてるんだから、そのくらいは学校でしてください。」とご家族から言われて知らん顔をされてしまっては、学校だけでなんとかはなるものでもないので、どうしたものかと、途方に暮れていらっしゃいました。

「学校は何をするところなのか?」という問いには、子ども達が将来、自立して生きていくために、身につけなければならないことを学び、身につけていくための場であるという答えに対して、異論を唱える方は少ないと思います。

学校がそのような場であるためには、子ども達にとっては、他の多くの子ども達と共に過ごす場であり、安心・安全の場でなければなりません。

だからこそ、トラブルも経験し、ケンカしてお互い様というコミュニケーションも学び、共に学んでいくことができる場なのです。

そのためには、大前提として、ご家族にも、学校は子ども達の将来のための場という共通認識が必要であり、授業を受けたり、コミュニケーションをとったり、子どもどうしが「お互いさま」として過ごす場であるという共通認識が必要です。

そして、当然、就学までに、学校で他の子どもと一緒に過ごせるように、必要なことを身につけさせてあげることは、ご家族がやらなければならないことです。

この大前提があって、はじめて、学校は子ども達の将来、自立して生きていくために、身につけるべきことを学ぶ場であると言えると、私は思うのです。

その大前提がないことは、学級崩壊、不登校、いじめなどの問題につながっていると、私は子ども達と接していて、強く感じています。


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