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1年生の国語『スイミー』から学びたいこと

2022.3.3【101限目】

3学期も終ります

3学期も終わりに近づき、今年もコロナ禍で、卒業式・修了式を迎えることになります。小学校では、コロナに感染した児童が増えても、学級閉鎖や休校はせず、欠席している子どもは、リモートで授業を受けているそうです。

担任の先生がコロナに感染、濃厚接触者になった時は、欠席されるので、専科の先生が学級担任をして学校運営をしている学校もあります。春の訪れとともに、コロナの感染が治まって欲しいと思います。

立春を迎え、春を楽しみにしていた時に、オリンピック・パラリンピックの平和の祭典とロシアによるウクライナへの軍事侵攻という悲しい出来事が起こりました。戦争と平和について考える春になりました。


『スイミー』の単元目標

1年生国語の物語文で最後に『スイミー』があります。

単元の目標は、「人物の行動を具体的に想像して、自分の体験と結び付け、お話の好きなところを見つけることが出来る。」

教科書の付録に、よみとしては「おはなしの中で、すきなところを見つけると、おはなしをよむことが、さらにたのしくなります。すきだとおもったわけを、ともだちとつたえあうと、おはなしをよむたのしさがひろがります。」と、あります。 


『スイミー』を読む

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この絵本の作者と絵は、イタリア人の レオ・レオニ 訳 たにかわ しゅんたろうです。外国の人の書いたものを、日本語の言葉に直した作品です。

構成(段落分け)
 第一の場面 スイミーときょうだいたちが、楽しく暮らしている。
 第二の場面 恐ろしいまぐろが、きょうだいたちを食べてしまう。
 第三の場面 スイミーはひとりぼっちで、海の底を泳ぐ。
 第四の場面 すばらしいものに出会い、スイミーは、元気になる。
 第五の場面 小さな魚のきょうだいたちと出会う。


第一の場面

今までの物語は、敬体で書かれていましたが、『スイミー』で初めて常体で書かれています。〔楽しく くらしていました。〕ではなく〔たのしく くらして いた。〕と、なっています。

〔みんな 赤いのに、一ぴきだけは からす貝よりも まっくろ。およぐのは だれよりも はやかった。名まえは スイミー。〕と、体言止めになっています。

また、〔スイミーは およいだ、くらい うみの そこを。〕など、倒置法がたくさん使われています。比喩もたくさん使われていて、子どもたちが想像を想い巡らしやすく、心に響く文章になっています。


第二の場面

〔おそろしい まぐろが、おなかを すかせて、すごいはやさで ミサイルみたいに つっこんで きた。〕

まぐろの形とか色とか、そのすごい速さとかをたとえていますが、それだけではなく、ミサイルと言えば、私たちの生活、平和をいっぺんに破壊してしまう恐ろしいものです。そういうもので、まぐろをたとえています。


第三の場面

〔くらい うみの そこを。こわかった。さびしかった。とても かなしかった。〕

何が「こわかった。」どうして「さびしかった。」のか、何が「かなしかった。」のかを考える。まぐろに対する恐怖、ひとりぼっちの寂しさ、仲間を失った悲しさを捉える。

ひとりぼっちになってみて、初めて孤独であることの怖さと寂しさと悲しさというものを、スイミーは体験します。

この気持ちが、第六の場面で、スイミーが「仲間と一緒に暮らしていこう。そして、集団を組織して、まぐろを追い出そう。」と、決意することにつながっていきます。


第四の場面

〔うみには、すばらしい ものが いっぱいあった。おもしろい ものを 見るたびに、スイミーは だんだん げん気を とりもどした。〕

スイミーが見たおもしろいものを、比喩表現を使って、繰り返し紹介しています。〔にじいろの ゼリーのような くらげ。〕〔水中ブルドーザーみたいな いせえび。〕など体言止めで、イメージが作りやすく、スイミーの目と心に寄りそって表現されています。そしてスイミーは元気になります。


第五の場面

〔その とき、いわかげに、スイミーは 見つけた、スイミーのと そっくりの、小さな さかなの きょうだいたちを。〕〔出て こいよ。みんなで あそぼう。おもしろい ものがいっぱいだよ。〕と、自分が見てきた世界のすばらしさを見せてあげたいと思います。

ところが、小さな魚たちは〔だめだよ。大きな さかなに、たべられて しまうよ。〕と、言って、出てきません。

スイミーは〔だけど、いつまでも そこに じっとして いるわけにはいかないよ。なんとか かんがえなくちゃ。〕

ひとりぼっちで、自分だけがすばらしい世界にいても、つまらないことを経験したスイミ―は、みんなと一緒に生きたいと思っていました。

〔スイミーは かんがえた。いろいろ かんがえた。うんと かんがえた〕色々考えるというのは、広く考えること、うんと考えたということは、深く考えることです。


第六の場面

〔そうだ。みんな いっしょじ およぐんだ。うみで いちばん 大きな さかなの ふりを して。〕スイミーはおしえた。けっして はなればなれに ならない こと みんな もちばを まもる こと。

これはみんなで、行動を共にするときには、大切な事です。大きな魚が出来たとき〔ぼくが、目に なろう。〕と、スイミーは黒い色をしていたので、自分の特徴を生かして、目になろうと言います。

〔あさの つめたい 水の 中を、ひるの かがやく ひかりの 中を、みんなは およぎ、大きな さかなを おいだした。〕また、平和な世界がもどってきました。


平和に暮らすということ

最初の場面の〔きょうだいたちが、たのしく くらして いた。〕平和な場面と、最後の〔大きな さかなを おい出した。〕平和な場面とは、内容が違います。

前の平和の場面は、いつ殺されてしまうかもしれない、組織されていない集団でしたが、あとの方の平和は、みんなが、自覚した一つの集団として組織されているので、見かけは、どちらも平和で楽しい姿がありますが、本質的には違うことが分かります。

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(参考文献「西郷竹彦 教科書指導ハンドブック」)


授業を終えて

子どもたちは、『スイミー』のおはなしが好きです。

海の中で楽しくくらしているところ、まぐろに食べられてしまう悲しい出来事の中でも、美しい海で、心が元気になっていくところ、小さな仲間に出会うところ、みんなで力を合わせて、大きな魚を追い出したところなどです。

悲しい出来事に寄りそう、力を合わせて一つのことをやり遂げた喜びなどを、『スイミー』を学習する中で学んだと思います。

図画工作の時間に、小さな魚をひとりひとり描いて、それを大きな模造紙に貼って、みんなで、大きな魚を作りました。海の中の美しい世界の絵も描きました。カラフルな楽しい絵になりました。


戦争と平和

私たちが住む世界でも、毎日変わらない日常を、日々暮らしています。その日常が、かけがえのない一日であるという事、それが幸せなことであることを、『スイミー』を改めて読んでみて、心からそう思いました。

世界中に、何気ない日常が過ごせる幸せな日が、一日でも早く訪れることを願います。

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【編集担当より】
”すいすいすいすいすいすーいすいすい♪”と頭の中で音楽が流れましたが、調べたらスイミーとは関係ないんですね。変なところで記憶がつながっているものですね。

映画などで記憶違いをネタにしたシーンが結構好きです。恋愛ものなのでどちらかがすっとぼけているときゅんとします。最近Netflixを見るようになって、『イカゲーム』から始まり『今、私たちの学校は…』でゾンビに悶え、『梨泰院クラス』でどっぷり韓流ドラマにはまりました。(母親が韓流ドラマにはまっていたのディスっていたので、母親には内緒です)

『梨泰院クラス』の人間模様の濃さが大好物で、Wヒロインの一人、キム・ダミにすっかりはまりました。そこから『その年、私たちは』で別れた二人の再会から始まる物語にはまり、韓流ドラマの沼に入っています。


『その年、私たちは』でも、別れた二人が5年ぶりに再会したところで、どちらが先に好きになったかみたいなシーンがありますが、すっとぼけているのが尊いです。ぜひ表情などに注視してご覧ください。

ここ数年、様々な問題で心が晴れないですが、気分転換に映画やドラマなど、どっぷりはまってみるのもいかがでしょうか。それでは、この週末も韓流ドラマにはまることにします。

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