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【34限目】結婚記念日

2020.11.19

11月17日は、結婚記念日でした。46年が過ぎました。人生の3分の1は夫との暮らしという事になります。長かったようで、あっという間だったようにも思えます。

結婚式の日は、朝から雨が降っていました。滋賀県で初めて担任をした子供達が8人ほど私の花嫁衣裳を見たいと、朝早くから我が家にやってきました。家から花嫁衣装を着て出ることになっていましたので、白無垢姿になるまでずっと見守っていてくれました。そんな結婚式の朝でした。


夫との出会いと結婚(同じ方向で夢を語れる人に出会う)

出会いは、大学時代の器械体操部の同級生からの紹介でした。最初から気が合ったというか、10日目にはプロポーズをされました。なんでそんなに早く決められるのかと聞いたら、「28歳にもなったら、2時間話したら、どんな人かが分かる。」という事でした。

結婚前に、夫が言った言葉で覚えていることは、「地球がここにあるとして、赤道よりも僕が北半球にいたら、そこにいてくれたら、どちらを見ていてもいい。」という事と、「自分たちの事でケンカするのはいいけど、他の人の事でケンカはしないようにしよう。」という事でした。

おかげで、私は自由にやりたいことをさせてもらい、協力もしてくれましたし、ケンカもしないで、今日まで来たように思います。


親になる(専門家の指導を受け努力した結果が実りました)

私は、スポーツをして体を鍛えてきました。結婚したら子供はすぐに授かるものだと思っていたので、結婚した次の年の3月に、高校の教師を辞め、専業主婦になりました。

子どもはなかなか授からず、なんとなくモヤモヤしていましたが、夫は、「まだ二人は、父、母になるには未熟なんだろうから、授かるまでは、人として、父、母になれるように頑張ろう。」と、言ってくれました。今まで少し志してきた華道や初めての油絵も習いに行きました。心も落ち着きました。  

夫は、製薬会社に勤務しており、病院回りをしていたプロパーの人から、不妊治療に、いい病院があると聞き、扇町の北野病院を教えてもらって、朝6時ごろから夫は予約を取りに行き、私はその時間に通院するという日が続きました。それでもなかなか授かりませんでした。

卵管造影検査をしてその後に授かる人が多いという事で、検査をして頂いたら、やっと結婚3年目に長男が授かりました。それからすぐに、次男が授かりました。二人が大きくなると、また、赤ちゃんを育てたいという母性が湧き出てきて、そして、7年目に三男が授かりました。


子育てのスタイル(親がやって欲しいことから、子どものやりたいことへの転換)

やっと授かった子供を、大切に育てたいと思いました。大切に育てるという事は、親が子供に良いと思うことをさせてあげることだと思っていました。

私は、子どもが少し大きくなった頃、スポーツクラブの体操のインストラクターをしていたので、子どもを体操クラブに入れて、併設しているスイングクラブにも入れました。習い事も英語・習字・ピアノと、通わせ、忙しい子どもたちだったと思います。

夫は、スポーツ少年団でソフトテニスのコーチをしていたので、子どもたち3人は、6年生になるまで、夫と一緒に、ソフトテニスをしていました。後になって、子どもたちから、習い事は、あまり楽しくなかったと言われて、とても反省したことを覚えています。

中学校に入学したら、三人ともソフトテニスをしませんでした。長男はサッカー部、次男はソフトテニスを続けたかったのですが、中学校のテニス部が廃部になっていたので、続けることが出来ませんでした。

次男はバレー部に入りました。そのバレー部は、市でも強いチームだったので、練習も厳しかったのですが、3年間、親も追っかけをして楽しませてもらいました。三男は、ガンバの下部組織でサッカーをしていました。

私たちは、子どもたちのやりたいことを、先ず第一番に認めるようになりました。 これが、我が家の子育てのベースになったように思います。


今秋も、嬉しいことがありました

毎年、秋が終るころ、滋賀から、柿と新米が送られてきます。初任で中学三年生を担任した子で、地元に残って、勤めと農業をしていました。高校を卒業していつからか、大阪の私たちの家に遊びに来るようになりました。

私の母が柿を好きだという事を知って、それ以来、毎年、庭に出来た柿と自分で育てたお米を送ってくれます。

母が亡くなった後もずっと続いていて、今年は、たまたま結婚記念日に柿と新米が届きました。いつも変わらぬ優しさに、幸せな気持ちになります。毎年、感謝して頂いています。柿は仏壇に供えてあります。


夫の誕生日会ゴルフ(長男が招待してくれました)

今日の、長男とのゴルフは、惨敗でした。これからも勝てそうにないと思うぐらい上達していました。長男は、今回も、父親には勝てていませんが、(前半のハーフでは、1打勝っていたのに後半は抜かれました。)そのうち、夫が負ける日も来ると思います。

嬉しいような、寂しいような一日でした。コロナ禍でのゴルフでしたが、手洗い・マスク・三密を避け、車も三台で行き、帰ってきてから、使った車の中を消毒して、まだまだ、コロナに対しては気を抜かないようにと言って、帰っていきました。

久しぶりの息子とのゴルフは、お天気にも恵まれ、身も心も解放されたいい一日でした。

これからは、巣ごもりばかりせずに、お天気の良い日は、晩秋を楽しみながら散歩をしようと思いました。


これから

あと4年経つと、金婚式を迎えます。それまで、みんな仲良く、元気に、自然体で過ごせたらいいなあと思っています。


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「ばらとコーヒーミル」


【編集担当より】
今回は、結婚から出産、子育てまでの話です。
学生の頃、実家には本が山のようにあり、それを漁るのが好きでした。ある日、ほんの隙間にメモ長があったので覗いてみました。すると、自分(=長男)が、受精卵から育っていく日記?のようなものでした。内容を覚えていないですが、形容しがたい気分になったことを覚えています。

両親のプロポーズの下りは、「あ、そう・・・」ぐらいで反応するのが、男の子の正しい反応可と思いますので、スルーします。

ゴルフについては、しっかりと勝負付けは済みましたので、三男と競っていただければと思います。次は、父親を超えていきます。

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