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失敗を少しでも許容できる風土を会社に作っていきたいのだ僕は。

おそらく多くの日本企業は失敗を許容しない文化が根強い。

それは普段のサラリーマンとしての務めを通じて感じることが多いが、もしかすると日本全体がそういう傾向が強いのかもしれないということを、学生から話を聞いたり、子育てをしていて外に出るときに感じることもある。

誰しも会社では「チャレンジすること」をいうものだが本気でどこの会社もチャレンジしているかというと実はそうでもなくて口で言っているだけだったり、狭い範囲でのチャレンジのことしかいっていなかったりするものだ。もしくはただのポーズとしてチャンレジする姿勢のことを言っている場合もかなり多いものだ。

そして現実の仕事になるとチャレンジするものはほぼおらず、上司の言うことをしっかりと回す人、どちらかというと意見を言わず従順な人が重宝され出世していく。そして社員のイエスマン率、媚びうる率、パフォーマンスよりも人間関係に依存する率が高まっていく。

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何がこうなってしまう背景にあるか。

集団主義と減点主義という2つが大きいのではとぼくは常々思っている。

チームワークとチームプレーはおそらく意味は違っていて、みんなできる人もできない人も平等に扱って全体としてはバリバリやる人は数%しかいないというのが一般的なチームワークを重視する日本企業。突出している杭はたたき年功序列や調和を時には結果よりも重視する。意見=批判というようにとらえられるので誰も意見を言えなくなり年長者に従うだけになる。それが良い家族的な面もあるわけだが近年は悪い面ばかりが出ている節がある。こういったところに集団主義の特徴が出ている。

一方で個が自立していることが前提で、お互い違う特徴や個性を生かしながらチームワークでタスクを処理していくチームワーク型のスタイルで仕事を回していくようなスタイルが対局にある。個が自立していることが前提にあるので個々人の責任が重かったり仕事に対してシビアだったりするが、あくまで仕事に対してであり人間関係や俗人的なつながりよりも仕事そのものにウェイトを置いているような面が個人主義的な色が濃い文化には根付いている。

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失敗というのは調和を乱す出来事と捉えられる。空気を読み、人と比べて逸脱しないように常に気を付けている社会で何らかの失敗をするというのは一回で致命的な印象の悪化を招く。

そう考えるので結果としてミスができないということになってしまう。

減点主義が日本は非常に強い。もちろん海外でもミスは叱責されるものであり簡単にクビになるシビアさはあるが、日本よりも場所を変えて再チャレンジすることが比較的しやすいところが違うかもしれない。リカバリーのチャンスが圧倒的に少なく、昔の一度の失敗を常に言われる。そんな面が日本では強く出ている気がする。もちろんすべてがそうではないのであくまでその傾向が強いということは付け加えておく必要がある。

ぼくが事務局をしている経営会議でもミスは許されず準備や進行には細心の注意が必要だし、だれもが不用意な発言をしたり、社長や会長の顔色をみて何も言わないようにしている。そんなある意味で生きた心地がしない世界に長く親しんでいるとさらにミスを犯してはいけないというある意味伝染病のようにノーミスの精神は強まっていくと感じる。ぼくはやるべきことをやるという思いといざとなったら殺されるわけでもなくクビ程度と思っている節があるので割と好き放題やらせてもらっているが、そんなぼくでもミスは怖くなってしまう雰囲気があるものだ。

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ラグビー日本の監督だったエディ・ジョーンズの番組プロフェッショナル仕事の流儀を見たことがあった。共感することが多く、その語著書「ハードワーク」を読むにいたった。とてもライトな内容で数十分で終わるような本だが、書いていることは日本の特徴をよく表していた。

彼はいろいろな国の代表監督をつとめて各国で成果を上げている稀有な監督だ。選手それぞれの力量はたいして変わることはないのでスポーツというのは監督一人で結果が変わるというのは不思議なものだ。会社も社長次第ということを表しているのかもしれないが、エディがぼくの会社の社長だったらどう改革してくれるのだろう。

そんな彼はチームの個性を何よりも大切にしていることを著書の端々で感じた。チームをよく研究し、勝てるポイントを明確にして徹底して磨く。何か特定のプレイスタイルに固執することなく、そのチームそれぞれの良い点や差別化できる点を考えてチームを設計している。冷静に競合チームと比較して勝てるポイントを探して磨くというのは、経営戦略やマーケティングと共通する部分が実に多い。

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そんな彼は日本人はどこの国よりも愚直に努力を続けるハードワークという強みがあると考えた一方で極度の減点主義が悪影響を与えていて「ノーミス」ということが強く言われることを直そうと考えた。

ミスをすることは学びであり、ミスをしても良いということで大胆なプレーや思い切った動きができるようになる。お互いカバーすればよいという考えも根付きチームワークも強まる。そんなことを日本チームのカイゼンすべき点として彼はてこ入れを行った。

あえてアメフトのボールを使って選手にミスがたくさん発生するようにさせたりいろいろな手段を使って「ミス=悪ではない」ということを伝え続けたということが書いてあった。

ミスをしてはいけない手術と違ってスポーツではミスは何かを学ぶという上では成功であるということを日本人や日本企業では考えられていない。「失敗は成功の母」という言葉があったり、「失敗は存在しない、なぜなら成功するまでやるからだ」といった名言が生まれたりする以上、トライアンドエラーは何事においても必須の要素であることは間違いない。自転車に乗れるようになるまで何度も転んだのと同じように。

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失敗の大切さをこうしてぼくらは認識しているはずなのに会社組織になると途端に失敗をおそれてチャレンジがしづらくなる。

失敗を許容できないのは自分が上司としてさらに上の上司に報告できないと考えたり、一度のミスで出世が危ぶまれたりする事実があるから誰も慎重になる。一度ダメなやつというレッテルを張られると十字架のようにそれを背負わされるので、そんなのヘッチャラというタイプ意外は気にして動けなくなる。そして大部分の人が口ではチャレンジを言うような人が増え、自分はチャレンジしていないのに部下にチャレンジを求めるような人で上層部は溢れかえるようになる。

結果として稟議や承認プロセスがとても長くなり、誰の責任にもならないように石橋をたたきまくって、時にはビジネスのタイミングを逸してしまって海外勢にリードポジションを奪われたり、日本企業は意思決定が遅いとか慎重すぎるというような評価を受けたりするようになる。

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ぼくが考えるに、日本企業の粘り強さや、中長期的な視点をもてるという強みは他の国には自信をもって勝てる部分だ。こういった他国と比べた優位性を活かすには、あとは会社や国全体としてチャレンジするという文化をさらに醸成するだけだともいえる。

何事も粘り強くまじめに中長期視点で考えることが得意な部分はチャレンジしてこそ活かされる。みんな違っていていい、迎合しなくていい、その代わりお互いに尊重しあい個性を出しまくって一緒に上下関係なく働けるという前提が会社で作れれば日本の良さが発揮できるようになると僕は信じている。

それでもいきなりそういう状態にはなれないので、まずはステップを踏んでいくことが現実的かもしれない。

例えばあらかじめ会社で失敗できる許容範囲を決めておく。失敗した時のインパクトを把握して大丈夫かどうかを冷静に理解しておく。失敗してもチャレンジするほうが奨励されるということを色々な制度設計などで証明する。

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実際は会社のヒエラルキーが崩れるという恐怖心を社長や幹部はもっているので抜本的に会社が変わるようなチャレンジはどんなにそれが必要であっても受け止められないのが現実だ。

そんな経営者を変える権利は一般社員にはないのだから社長が変わるのを待つか、風土が変わっていくような仕掛けをコツコツ作っていくしかない。経営者が変わることを期待しても次に経営につく人が良いとは限らず運任せということになってしまう。

そういう現実も踏まえてチャレンジできる風土をコツコツ、ジワジワ作っていく努力は続けていこうと思っている。最近は徒労感が強くモチベーション的に継続できなくなってきているけど。

まあこれからもやっていきますよ。

Keiky.

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