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哀しそうな顔の徹子さん


先日の徹子の部屋スペシャルを見て、映画「窓際のトットちゃん」は見ないと思うと書いていた私にも心の動きがありました。

Kindle版を最近流行りのAudibleで
仮視聴してみると
「速くて聴き取れない💦」

これが私の発達障害のようなものと言われていた部分です。

母親の勘違いから多分始まったのでしょうが私の発育歴には

「言葉が遅かった…」

それは私にどうしたいのか?と言う問いかけを一切したことがなかったからで、学校生活や友人関係で私は困ったことはほぼありませんでした。

早口で多方面に喋る学校の授業を
「宇宙人が喋ってるみたい」と表現しただけで、国語だけはみんなと同じような作文が書けないなら母自身が恥をかくからやらなくていいと言う母親の小1の授業参観後の曲がった感想に従ってただけなのです。

洋楽を聞き始めたのがきっかけで中学校卒業する辺りから読書を好むようになりました。

速読と言うものに憧れたこともありましたが、読書量が多くなると速く読むことが出来るようになりました。

黒柳徹子さんのことはご本人よりもバイオリニストのお父さまの方を知っていました。

徹子の部屋をやっている時間帯は昼食後や移動時間にあたるので、40代の私には昼間見る機会がほぼありませんでした。

聞き取りが悪い=頭悪い

母の頭の中ではこういう仕組みだったと思いますが

聞いたものを全てストックしておく記憶力が異常にあったので、後まわしにしておいただけです。


黒柳徹子さんの話しに戻りますが
後々自分自身が学習障害だったことを知りとてもショックを受けてしまったそうです。
※著者より

「私は今でもひとりよ」

マツコさんに対しての言葉は何か孤独と言うよりも苦々しいものを感じました。

わかってもらえない幼少期の記憶と言うものは、なんとなく陰鬱な影としてずーっと残ってしまい、変われないならこのままでいいと言う方向性になり
私とは180度違う女性優位の価値観の人と思いました。

私は両親や母にわかってもらえなかったことを引きずることはそんなにありませんでした。

どちらかと言うと
母が私の気持ちがわからないと言う悩みが大きくなり病んでいってしまいそれに巻き込まれた感じです。

男子の気持ちに寄り添い男子の友人が多くなり、私の中では異性と友人関係が成立する価値観が育っていったので、徹子さんと全く違う対等意識なんだと思います。

私は社会で特別に認めて欲しいと言う思いは薄く、
家族や家庭を大切にしたい
それが出来た上で仕事のようなものがたまに出来れば精神的に困らないんです。父親や友人や彼がわかってくれていて飲み込んで居てくれる環境を大切にしているので、そんなにカッカするようなせっかちさはありません。

たまに困ったことをそこに居合わせた人に話して「それは大変だったでしょう…」とか、同業者の方ならば「それじゃ収拾がつくのに…」「相手が子供を生むと仕事の仕方が以前より変わってしまったり上手くいかなかったり…」

こんな話を聞くだけで自分自身のやるせない気持ちや報われない気持ちが収まったり薄まったりするんです。

映画「窓際のトットちゃん」を見ようと言う気持ちになったら入り口でお腹いっぱいになってしまいました。

私はアニメの絵が好きじゃないので、Audibleに挑戦しましたがいつか地上波で放送された際にタイミングが合ったら見ようと思います。

天才には
先見性の型と秀才型があり多分別れるのでしょうが、才能と言うものは社会に認められお金になってからと言う古い考え方の人が多いので、公にしてあまり人に対して言わない方が本人も苦しまないんだと思います。

神の恩恵=才能?
いえいえ
生きやすさかな









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