足るを知る
「足る」を知るの足るとは
足りないのではない
現状に満足している状態
=幸福度なのでしょうか…
幸せの尺度は
人それぞれで
平均値を知ろうとしても
推量れません
私の父を例えに
話を書いていきます。
父は成人してすぐに
祖父から
「お前はここに住め」
と実家の斜向かいの一軒家を
どーんともらいました。
今考えると
東京のど真ん中でそんな恵まれた話を聞いたことはありません。
「じいちゃんはずいぶん太っ腹だったのかな…」
現在の父は
その押し付けられた土地に
苦しめられています。
土地と一軒家をもらった父は
やりたい放題の人生ではありませんでした。
有り難いと言う言葉は
ありがとうとは違います。
感謝の言葉には該当しないそうです。
私は母よりも幼い頃から父と一緒に過ごす時間が多かったので、私のモノの見方は父寄りかもしれません。
私は祖父のことをあまり知りません。ここ何年か父の愚痴りから時々聞く程度です。
愚痴とボヤきも全然違います。
父の愚痴りから思うことは
ボヤきしか出て来ません。
足るを知るとは
周りと比べては全くわからないと言うことです。
ただ
親族の平均値から見ると
やはり父は恵まれています。
恵まれた土台があったら
やはりかなり努力が必要です。
父は努力をしてもしても報われないと思っているか、努力をするのが当たり前と思っているのか、見返りは必ずもらってやると言うど根性が凄いのか
精神的に凄く強いです。
だけど
頭の良い人の特徴としてか
幼い頃から何度も何度も手術を経験していて、憶えてないぐらいだそうです。
祖父から遺伝したものは
慢性的蕁麻疹
(時々帯状疱疹になる)
足が右足だけかなり内股
やり出すと止まらない
(大工仕事、酒、趣味)
私から見た祖父は
脳梗塞を起してから
半身麻痺になり
大工さんを引退して
穏やかに生活をしていました。
昔の職人なのでとっつきにくくて喋りにくかったせいか、亡くなるまで会話らしい会話をしたことがありません。
母から聞いた話は
「けい子は良い子だよ」
おじいちゃんってそんなものなのでしょうか…
私はじいちゃんに恥ずかしいと言う思いが最近までありました。
石和の温泉病院でリハビリして
新築したばかりの自宅に帰って来て、2階の外周を決まった時間に何度も往復する姿を遠目に見ていたからです。
○ワンコの散歩しか出来ない自分
○先代のワンコを最後まで散歩出来なかった自分
1番始めに散歩の担当になった猛犬な柴犬は、私には全く猛犬でもバカでもありませんでした。
散歩をしなくなってから
じいちゃんの歩く外周の下に
閉じ込められるようにいたワンコ
色々なことが重なり
15才の私には後ろめたい思いを
ずっとずっと引きずりました。
「生まれた時から犬が絶えたことがない」
父にとっては
生き物と一緒に住むことが当たり前
私にとっては
2代に渡るワンコを幼い頃から育てられたことはとても幸せな時間でした。
父からのおこぼれは
近所に住むイトコから手乗りに懐いてからもらったインコ
「うちの子供インコアレルギー?だから」
ワンコと一緒に大切に大切に育て一緒に過ごしました。
青いセキセイインコは
本当の青い鳥だったかもしれません
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