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ゆたかさについて考えたら、左ききのエレンのセリフ「全部出し尽くして諦めろ!」にたどり着いた

ゆたかさについて考えていたら、マンガ「ハチクロ」を思い出し、ついにはマンガ「左ききのエレン」のセリフ「全部出し尽くして諦めろ!」にたどり着いていました。
考えるというのは、好きな作品から何かを見いだすことなのかもしれません。

ゆたかさはお金だろうか

ゆたかさってなんだろうか?
単にお金なら、学生時代よりも社会人の今がお金はある。
自分で稼いだお金があるからだ。
お金があればあるほど、ゆたかになったといえるのだろうか。
個人的にはあまりそうではない気がする。

ゆたかさは時間だろうか

それでは時間があるほど、ゆたかになるのだろうか。
たとえば、大学時代(4~7年前)はゆたかだっただろうか。
俺は恵まれており、実家からの仕送りはもらえたが、
もちろん大学生のときは今よりも自由に使えるお金は少なかった。
大学生の特徴に自由な時間がたくさんあることも挙げられるが、
大学時代の一番の特権はその自由な時間を使っていくらでも悩んでよい、ということではないだろうか。
大学時代はいくらでも悩んでもよかった。
社会に出る前で、何を糧にして生活していくかがまだ決まっていない。自分は何者か、どう進めばいいかなどについて、悩んでも許される時期である。
まさに青年期、自分探しにぴったりの時期だ。
マンガ「はちみつとクローバー(ハチクロ)」に登場する、悩める大学生「竹本くん」も、ぶらりとママチャリで北をめざして自分探しの旅を始める。
世間から大目に見られる、という評価はゆたかさではなさそうだ。

ゆたかさとは充実した時間ではないだろうか

「何かがあるからゆたかだ」という考え方をするのではなく、
「ゆたかなものとは何だろう?」と考えてみた。
たとえば充実した時間を過ごすことは、ゆたかだろう。
ゆたかな時間、充実した時間は、何かに打ち込んでいる時間であると思う。
きっとやりたいこと(夢)を見つけて、そのことに打ち込んでいるときが、一番充実している時間を過ごせる気がする。
ゆたかさとは、時間やお金を使って、心が欲する何かに打ち込むことではないだろうか。

今俺にとって、やりたいことの一つは「書くこと」だ。
だから、随想や小説を書く、企画を考える、ストーリーの構想を練る、思いついたことをメモする、文章を読む、随想を読む、ストーリーを知る、小説やマンガを読む、何かを調べて書く…。
ゆたかさとは、時間やお金などのリソースを、満足感が得られるほど、消費することではないだろうか。
心から欲することに、それらを消費できるのなら本望ではないか。

ゆたかさとは考えて答えを出す過程ではないか

もしかしたら、自分が打ち込みたいことを見つけられたこと自体が、人生のゆたかさであるのかもしれない。

急に手のひら返しをするが、俺にとって書くことが本当に人生で最優先すべきことかどうかはわからない。
今打ち込みたいと思っていて、仕事をしながら時間を割けてはいるものの、俺はいつかは書くことを辞めるかもしれないし、あきらめるかもしれない。
けれども、人生で自分は何をしたいかということについて考えて、現時点である答えを出したことは、ゆたかさではないか。
ゆたかさとは、「考えて答えを出す過程」といえるのではないかと思う。

自分がやりたいことにリソースを費やしつつも、その成果が夢には達しないことを認識し、何年か経ったら夢はかなわないとあきらめるかもしれない。
文章を書いて収入を得ることも、ライターになることも、作家になることもできないかもしれない。

そんなときに、いやいつも心のなかに思い浮かぶ言葉が「全部出し尽くして諦めろ!」である。
マンガ「左ききのエレン」で、天才を夢見る凡才デザイナー「光一」に対して、天才アーティスト「エレン」がかける言葉だ。何かしたいことがあったのなら挑戦してみろ、というメッセージが込められている。
俺は書き続けようと思う。書きながら考え、考えては書く。
それが今の答えだ。


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