姉と弟

私にとって京都から東は地図にない。修学旅行で奈良にも行ったけど、奈良の方が京都より東かな?
何て言うか、糸魚川断層線より東は日本列島の輪郭だけで、後は白地図だ。京都奈良断層線と私が名付けたラインより東は糸魚川断層線までの間がグレーの濃淡で、そこより東は白無地だ。まあ、東京とか横浜とかネズミーランドなんて、架空の世界か夢の世界の話だ。

学校から帰ると、農作業を手伝い、駅前のスーパーのレジを手伝い、新聞配達をする。実はアルバイト禁止なのだけれど、学校側も私の家の事情を考慮して認めてくれている。
私は学校が認める優等生で、県立一高への進学を勧められているが、私は進学するつもりはない、なんて、うそだっぴ。勉強する暇はないし、好きでもないし、だから中卒でいいやと思っている。きっと将来中卒の学歴を嫌だと思う年が来るかもしれないけれど、それでいいと決めた中学時代の自分がいるのだから、良しとしよう。

勉強はできないけれど、クラス一の美人で、皆にテレビタレントになれと言われる。というのも嘘。まあ、平均的だけれど、近視と乱視でメガネが離せない。小学校の時からメガネで、「メガネ」という何の閃きもないあだ名が今でも続いている。

中学の卒業旅行は東京だという。私には未開の地だ。土人がいるとは思えないし、おそらく大阪とそんなに違わないと思う。だから修学旅行はパスしてアルバイトを続けたいと思っていたが、先生から一度は見ておいたほうがええと言われて、スーパーの店長も新聞店も誰もが親切に「行って来いよ」と言ってくれて、だから私は京都奈良断層線を越えていく修学旅行に参加することにした。

私たちは東京までの新幹線でピューっと東京に着いた。
新幹線の窓から見える景色が、横浜を過ぎると途切れることのない家家ビルビルとなり、こんなにたくさんの家を見たのは初めてだった。大きな橋を渡ると東京都に入った。家がなくなり、ビルばかりになった。新幹線の窓枠に切り取られていた景色だったので、東京駅から外に出たときはビックリした。まあ内心ではということで、私は大して心動かされたりはしていない振りをしていた。

だって振り仰いでも屋上が見えないんだよ。まるで天に届けと言うバベルの塔みたいだ。きっとこの街は神に罰せられるだろう。
背中も首も硬い私はビルの屋上も確認できないまま、修学旅行バスに乗った。行く先はネズミーランド周辺の今日の宿泊先だ。バスに乗って驚いた。道路がビルの間の空中を走っている。川の上を走ったり、川に沿って走ったり、川を超えるとビルが低くなって、次第に民家も増えてきた。前に座っていた子が、「あれあれお城だ。お城が見える」と指さした。

お城というとラブホテルだ。高速道路のそばにもお城がある。指さす方向を見ると、あ、シンデレラ城だと思った。私は子供の頃シンデレラ城にあこがれていたんだ。折り紙で雄雛と雌雛を作って、シンデレラ城で遊んでいた。あの当時はまだ母も元気で、父も農協で働いていた。母が咳をして寝込むようになったのは私が小学校三年のときだ。肺結核で入院したが、肺がんだったのだろうと思う。入院六か月で亡くなった。それ以降父と弟の面倒は私が見ている。

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